『方舟を燃やす』
《口さけ女はいなかった。恐怖の大王は来なかった。でも疫病が流行し、今日も戦争は続いている。》
《1967年の飛馬が育った時代は、みんなノストラダムスの大予言を信じてUFOを待ち、コックリさんに夢中になった昭和のオカルトブーム真っ最中だった。》
本屋さん(日之出ビルの文教堂書店=かつてのリーブルなにわ=の2階のような地下1階)で見て、これは読まなきゃいけないなと思いました。読みたい、というより、1967年生まれでノストラダムスの大予言の年には32歳なんだなと(もしかしたらそこで自分の人生は終わるのかなと)ぼんやりと考えていた(こともある)自分にとっては読むべき本だと思いました。作者の角田光代さんも1967年生まれだったはずだから、同時代を生きてきた人として、何か通じるものがあるはずだ、と。
でも、いや、だから、というべきか、読み進めていくのは、なかなかに、苦しいことでした。地方都市で育った主人公と自分とは生きてきた世界が違うはずなのに、彼の考えていること、やっていることが、自分そのものに見えてきたりする。まるで自分の思い出したくない記憶を無理やり引っ張り出されているような気持ちになることもしばしばでした。もう一人の主人公である女性にしても、自分の周囲に似たような人はいないはずなのに、あちこちで、ああ、そういうことだったのかと思い当たることが出てきて、そのたびに立ち止まらざるを得なくなる。とにかく、読んでいくのが苦しい。
それでも小説なのだから、最後には何か希望が見出されるに違いないと信じて、少しだけがんばって読み続けました。そこにどんな結末が待っていたのかは本を読んでいただきたいのですが、陳腐なハッピーエンドでもドラマティックなどんでん返しでもないことだけは書いておきます。そういう作品ではないのです。でも、やっぱり、小説の力ってすごいなと、ひさしぶりに、感じました。
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