熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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『方舟を燃やす』

方舟を燃やす』2024年2月25日発行



《口さけ女はいなかった。恐怖の大王は来なかった。でも疫病が流行し、今日も戦争は続いている。》



《1967年の飛馬が育った時代は、みんなノストラダムスの大予言を信じてUFOを待ち、コックリさんに夢中になった昭和のオカルトブーム真っ最中だった。》

本屋さん(日之出ビルの文教堂書店=かつてのリーブルなにわ=の2階のような地下1階)で見て、これは読まなきゃいけないなと思いました。読みたい、というより、1967年生まれでノストラダムスの大予言の年には32歳なんだなと(もしかしたらそこで自分の人生は終わるのかなと)ぼんやりと考えていた(こともある)自分にとっては読むべき本だと思いました。作者の角田光代さんも1967年生まれだったはずだから、同時代を生きてきた人として、何か通じるものがあるはずだ、と。

でも、いや、だから、というべきか、読み進めていくのは、なかなかに、苦しいことでした。地方都市で育った主人公と自分とは生きてきた世界が違うはずなのに、彼の考えていること、やっていることが、自分そのものに見えてきたりする。まるで自分の思い出したくない記憶を無理やり引っ張り出されているような気持ちになることもしばしばでした。もう一人の主人公である女性にしても、自分の周囲に似たような人はいないはずなのに、あちこちで、ああ、そういうことだったのかと思い当たることが出てきて、そのたびに立ち止まらざるを得なくなる。とにかく、読んでいくのが苦しい。

それでも小説なのだから、最後には何か希望が見出されるに違いないと信じて、少しだけがんばって読み続けました。そこにどんな結末が待っていたのかは本を読んでいただきたいのですが、陳腐なハッピーエンドでもドラマティックなどんでん返しでもないことだけは書いておきます。そういう作品ではないのです。でも、やっぱり、小説の力ってすごいなと、ひさしぶりに、感じました。

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『国鉄史』

国鉄史 (講談社選書メチエ) (鈴木 勇一郎 ・著、2023年12月刊)



とてもよい本です。

『国鉄史』というタイトルですが、いわゆる国鉄=公共企業体としての日本国有鉄道の歴史だけを扱っているのではなく、概ね、国鉄的なもの=全国ネットワークの鉄道網を中心に、日本の鉄道の歴史を俯瞰した本です。

「プロローグ」で、筆者は、日本の鉄道の歴史は以下の4つの時代区分で眺めると見通しがよくなると説明しています。

私鉄の時代(1872年〜1906年)
国家直営の時代(1906年〜1949年)
公社の時代(1949年〜1987年)
JRの時代(1987年〜現在)

現代の日本について考えるときには「戦前」と「戦後」を別物として扱う思考の癖がぼくにはあって(この辺は世代によって=受けてきた教育によって=異なるのではないかと思います)、ゆえに戦前の日本の鉄道と戦後の日本の鉄道を同じ土俵に上げることはこれまでしてこなかっただけに、この時代区分で日本の鉄道の鉄道を論じていることは、目から鱗でした。そして、たしかに、こうやって眺めてみると、コロナ禍で噴出してきた地域鉄道の問題も、よく見えるようになるのです。

この本と合わせて、昨年12月16日に開催された一般社団法人交通環境整備ネットワーク主催 地域鉄道の高付加価値フォーラムin五所川原「どっすー?地域鉄道」 の基調講演「地域交通法改正のポイント、地域の鉄道はどうあるべきか」(国土交通省大臣官房参事官 田口芳郎氏=前・鉄道局鉄道事業課長)を聞くと、さらによくわかるようになります(講演の内容はリンク先のページから動画で見ることができます)。



ローカル線問題や並行在来線のことなど、現在の日本の鉄道が抱える課題について論じると「そもそもこうだったはず」といった話になりがちなのですが、その「そもそも」が、かつては正しくても、今はもう違うのかもしれない。そうだとすれば、今後数十年間を見据えて(←ここは大事なところで近視眼的にならないよう注意しないといけない)制度設計をし直して、それに合わせた法整備を進めなければならないはずで、そのためにも、鉄道に関心のある者としては(こうでなければならないと決めつけることやこうあってほしいと感情的な願望を抱くことから離れて)しっかりと勉強し、自分の頭で考えることが大事です。この本=『国鉄史』は、そのための参考書として最適な一冊だと思います。

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『八月の御所グラウンド』



きっかけは、12月に発売されたナンバーの箱根駅伝特集号に掲載されていた[特別エッセイ]田中希実×万城目学「都大路を駆け抜けた、その先で。」でした。



《今夏、『八月の御所グラウンド』という小説を上梓した。この作品は二編で構成され、表題作と「十二月の都大路上下ル(カケル)」という短編が収められている。「十二月の都大路上下ル」は、タイトルどおり、毎年十二月に京都で開催される全国高校駅伝が舞台だ。》

東京へ向かう飛行機の中で、読みました。



「十二月の都大路上下ル」の主人公は陸上部の女子高生です。市民ランナーとはいえ本格的な競技経験どころか運動部の経験もない50代男性が感情移入するには難しい設定です。でも、リアリティ溢れるレースの場面でどんどん引き込まれ、ラストシーンでは涙が滲みました。本格的な競技経験はなくとも、東京マラソンや北海道マラソンのような大規模な市民マラソン大会を走ったことのある人であれば、読んでいるうちに、主人公になれるはずです。

それに続く「八月の御所グラウンド」は、一転して、不快な暑さに覆われた八月の京都を舞台に、不健康な生活を送る男子大学生が、京都御所の敷地内にあるグラウンドで草野球をする話です。京都御所の敷地内のグラウンドというのはフィクションかと思いきや、万城目学さんと同じ大学で学生生活を送った友人によると、実在していて、しかも、この小説に描かれている草野球のような話は、よくあることなのだそうです(「御所グラウンド」と言っただけで友人が=ぼくがこの小説の話をする前に=してくれた話がこの小説に描かれている世界そのもので驚いた)。

ダメダメな大学生のどうしようもない物語はきわめてシンプルで、頭を使わなくても読めるオモシロ話、なのですが、終盤になって、まるで画面の色が変わるかのように、別の物語へと昇華していきます。

これぞエンターテインメント。読み終えてから数日経った今でも、まだ、余韻が残っています。

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『旅の作法』

「旅の成功に障害や年齢は関係ない」との副題がついた『旅の作法』は、高萩徳宗さんの9年ぶりの新刊です。



「旅の作法」(エイチエス株式会社による紹介ページ)

「作法」といっても、マニュアル本ではありません。旅、社会、人生について考えるヒントを教えてくれる、ページ数以上に濃密な一冊です。

書かれている内容は、著者の長年の実体験に基づくものばかりです。それがゆえに、著者の言葉には、強い説得力があります。ときに厳しい、あるいは刺激的な、人によっては反発したくなるかもしれない言葉も出てきますが、この本全体を通読すれば、著者はとても優しい人であることがわかるはずです。

ぼくは、朝早くから夜遅くまでびっしりと予定を詰め込まれた旅行が苦手で、ゆえによほど親しい人と一緒でないと誰かと旅行をするのは(口には出さないけれど)苦痛に感じることすらあります。ひとりで旅行していると、朝はまあまあ早く出ることが多いものの、午後はまだ十分に日の高いうちに宿に入って、あとはほとんど外に出ない、ということが、よくあります。交通機関の乗り継ぎで空白の時間ができて時間を持て余すのは、程度にもよりますが、基本的には大歓迎です(だから先日の花輪線の大館のときのように接続がよすぎると、むしろ乗り換えを拒否したくなるのです)。

しかし、そういう人は少ないのか、あるいは表に出てこないのか、SNSでは、乗り継ぎなどで時間が余ることは時間がもったいないと考えているのであろう人が圧倒的です。それが鉄道やバスを乗り継ぐ旅の弱点だと言わんばかりの人もいて、だからマイカーまたはレンタカーがないと旅行できないと思っている人も多いようですし、観光スポットも、近年は、「車で◯分」と案内するのがすっかり普通のことになってます。マイカーまたはレンタカーを使えない人は来なくていいですよと言っているようにすら見える(のですよ、使えない人にとっては)。

でも、この本を読んで、そんなことは気にしなくてよいのだと、救われた気持ちになりました。もう40年ぐらい昔のことですが、レイルウェイ・ライター種村直樹氏が「お金がないから普通列車で旅行をしている」という若い女性のグループに対し「『あなたたちの旅行は進んでいるのだよ』と褒めたのに理解してもらえなかった」と書いていたことを思い出しました。

この本を読みながら、そして、読み終えてからはより一層、もっと一生懸命生きよう、旅に出よう、もっとたくさん本を読もう!と思いました。スマホをいじっている場合ではありません。この本を読んだら、そんなことをしている時間が、もったいなくなります。

ちなみに、著者の高萩さんとは、1987年から88年にかけて、「種村直樹レイルウェイ・ライター開業15周年記念イベント実行委員会」で、一緒に仕事をしたことがあります。高萩さんは、実行委員会の代表として、イベントを成功に導きました。

1988年4月3日 会津鉄道 会津田島駅にて


きわめて個人的な話ですが、つぎの週末は、たぶん30年ぶりぐらいで、会津へ行く予定です。その直前というタイミングで、会津鉄道でご一緒した高萩さんの著書を手に取ったのは、きっと、お導きに違いありません。

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『愛媛県新居浜市上原一丁目三番地』



帯には「初の自伝小説集!」と書いてあるものの、読み終えてみれば、ノンフィクションじゃないか…と思って、ふと、裏表紙の帯を見たら「作家・鴻上尚史の原点とともに、一つの時代を描く傑作小説集。」とある。

なるほど。

綴られているのは、鴻上さんの話ではあるけれど、その時代を生きた鴻上さんの話ではなく、鴻上さんを主人公に時代の風景を映し出す物語なのですね。たしかに、そうだ。

でも、いまの自分に刺さったのは、時代にも環境にも関係のない、この一節でした。

《いつもいつも、命を賭けて努力していては身体が持たない。いつもは、通常の努力をする。でも、人生には何回か、死に者狂いで努力しないといけない時がある。それが今だと思った。》

やっぱり自分はこっち側の人なんだなと思いました。こっち側ってどっち側なのか、そのうち年月が過ぎてから読んだら、書いている自分もわかんないかもしれないけど。

以下は個人的な話。



今となっては知っている人は知っている話なので書くのですが、一昨年の夏、鴻上さんにお会いする機会があって、ぼくはわざわざ2004年に出版された鴻上さんの本を持っていって、サインしてもらいました。そのとき、鴻上さんは、人生の大きな節目にいたのだということを、この本(『愛媛県新居浜市上原一丁目三番地』)を読んで、初めて、知りました。もっとも、演劇人なのだから、新型コロナ禍で大変なことになっているであろうことは、容易に想像のつくことだったはずなのですが、そこにすら想像が至らなかったのは、まだまだ人間ができてないなと、今になって、反省しています。

ただ、まだまだできてないということは、まだ、成長の余地があるということだから、そんなに悪いことでもないでしょう、と、思えるのは、たぶん、この本を読み終えた直後だからだと思います。

それと、この本を読みながら、どうしても自分の人生がオーバーラップしてくる部分があって、というのは、自分の人生ゆえではなく、誰の人生にもいろいろなことがあるのだからそれが自分に固有の事情かどうかはわからないけれど、これは触れておかないと本を読んだ感想としては片手落ちになると思うので書いておくのですが、ぼくの父は鴻上さんのお父様と同じような年齢で他界し、母は存命ですがいずれこういうときが来るのだろうなと、活字を追いながらも、頭の中では同時に別のことも考えていました。目の前にある文字とそれで綴られた物語を理解しながら、同時に違うことを考える、ということは、まったく初めての経験ではないものの、これほど明確に、頭の中で別の物語が立ち上がってくるのは、初めてだったように思います。

もう一つは、この本に出てくる、鴻上さんの大学時代の話のこと。鴻上さんが大学にいた4年半は、ぼくが、すぐ近くの中学校と高校に通っていた期間と、完全に重なっています。物語の舞台の一つである馬場下交番は、高校1年生のとき、いつも、教室の自分の席から見えていた場所でした。だからといって、鴻上さんたちが大隈講堂の前にテントを張って公演を行っていたなんてことは、ぜんぜん、知りませんでした。同時代の同じ場所にいた人はみな同じ空気を吸っているわけではないのですね。かたやで、同じとき、同じ場所にいたことで伝わるものはもちろんあって、そこは、この本の前半で描かれている愛媛県での鴻上さんの少年時代の話とは、まったく異なります。同じ人の話なのに、一方は映画の中の世界、一方は自分の頭の中で何かをつなげようとする世界であるのは、とても不思議な感覚でした。

 

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