熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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「最初から自分たちのプライドをチラつかせられたら、誰も応援しようとは思わない」

2019年4月30日第一刷発行。



きわめて個人的なことなのであまり口外してませんが、この半年ばかりの間にいろんなことがありすぎて、ようやく、ただ楽しむだけのための短い旅に出ることができるようになったときに、しかし、そういう状況は本当にしばらくぶりだったから、旅の作法をすっかり忘れていて、移動中に読むものを持ってこなかったことに札幌駅で気づき、札幌駅の駅ビルの本屋さんに入って、限られた時間でとりあえず何か買おう…という中で買ったのが、この文庫本でした。

結局、その旅の中では最初の「文庫版のためのまえがき」すら読まなかったんだけど、帰ってきてからちょっとだけ読んだら、おもしろくておもしろくて、しかし日常のあれこれの中では一気に読むわけにもいかず、寝床でちまちまと読んでたんですけど(寝床でiPhoneいじってるよりはいいでしょ)、ついに、昨日、コンサドーレの試合から帰った後、ほかにもやることあるんだけどなあと思いつつ、最後まで一気読みしてしまいました。

プロレスの本じゃないんです。

どっちかというと、ビジネスの本、生き方の本、それも薄っぺらな教訓めいた言葉を並べただけの本とは段違いの迫力を持ったノンフィクション、だと思うんです。ぼくは、こういう本、大好きです。

いちばん印象に残ったのは、これです。

《マスコミの前でははっきりと口にしないものの、新団体を作った選手たちの本音は「大仁田レベルで成功するなら、元より格上の俺が失敗するはずがない」であり、「サスケみたいな若僧の無名レスラーが認められるなら、俺だって大丈夫だろ」だった。(中略)しかし、大仁田がファンから支持されたのは、ちっぽけなネームバリューは利用しつつも、過去の栄光をバッサリと捨て去り、本来ならかっこ悪くてとてもできないと思うほどの恥を前面に曝け出すことで共感を得たから。最初から自分たちのプライドをチラつかせられたら、誰も応援しようとは思わない。》

すべての原点は、こういうことなのですよ。「本来ならかっこ悪くてとてもできないと思うほどの」ことを、恥ずかしげもなくできるのかどうか。目指すところ、手に入れたいものがはっきりしていれば、できるはずなんだ。自分にとって何がいちばん大事なのか。本当にそれを手に入れたいのであれば、他人にどう思われようが、そんなの関係ないですから。

《「うるせぇな!なんで君を介して話をしなくちゃいけないの?だったら、俺の回答を伝えておいてよ。そんなに邪魔だったら、お望み通り、消えてやるよ。週プロ辞めてやるよ!」それまで週プロを辞めるつもりなんて、まったくなかった。(中略)実際のところ、本当に辞めたかったわけではない。(中略)人間とは不思議なもので、一度、口に出してしまった思いは、どんどん肥大化してくる。ただでさえ割が合わない過酷な仕事。それを雑誌に対する愛、そして自分が働かないと週プロが出ないという責任感だけでこなしてきた。気力だけで働いてきた。しかし、その気持ちが音を立てて折れてしまったら、これまで喜びだった忙しさは、単なる苦痛でしかなくなってしまう。たったそれだけの理由で?そう、それだけの理由だった。》

そうなのだ。本気でないことでも、言葉にしてしまうと、それが現実になっていってしまうのだ。だからキミは本心でもないこと、さほど強く思ってもいないことを口にしたりこういうところに書いたりしてはいかんのだ!と、最近、反省するようになりました。言葉って恐ろしい力を持ってるんですよね(だからオレは今はツイッターはやらないのだ<あれはホントに怖いよ)。

《周囲のサポートもあって健康を取り戻した僕は「死」というものを強烈に意識するようになった。週プロ時代は「明日、死んでもいい」と思っていたが、いまはそんなことは考えてもいない。もちろん、長生きはしたい。ただ、人はいつ死んでしまうかわからない。だったら、やりたいと思っていた仕事を全部やろう。》

そうだね。人はいつ死んでしまうかわからない。そんなことは、若いときは考えたこともなかったけど、最近は、やっぱり、考えますよ、そういうことを。だからやりたいことを云々、というのは、これも若いときだったら、刹那的な快楽に走ったりしそうなんだけど、もう、50年以上も生きてますからね。わかりますよ。そういうことじゃないんだよな。

 
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犯人捜しと思い込み

いまさら紹介するのも恥ずかしくなってしまうほどのベストセラーになっちゃった本ですが、新しい年度を迎えるに当たっての(きわめて個人的な)決意表明的に、書いておきます。

《どんなことであっても、ひとりの人やひとつのグループだけを責めないようにしよう。なぜなら、犯人を見つけたとたん、考えるのをやめてしまうからだ。そして、ほとんどの場合、物事はなるかに複雑だ。だから、犯人よりもシステムに注目しよう。世界を本当に変えたければ、現実の仕組みを理解することが必要だ。誰かの顔に一発パンチを食らわすなんてことは忘れたほうがいい。》
FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣

プロジェクトがうまくいってないときは、「あいつのせいだ!」と(口に出すかどうかは別にして)いつも誰かさんのことを怒ってる、みたいなことになりがちです、が、だからといって、その人物を糾弾したところでプロジェクトがうまくまわるわけではないんですね。ましてや、糾弾してやりこめて溜飲が下がったところで、プロジェクトの成功とはまったく関係がない。

大事なことは何か。到達すべきゴールはどこか。

それがちゃんとわかっていれば、誰か(何か)を言い訳にすることはない、はず。



もうひとつ、これはベストセラーではないけれど、この冬の間に読んだ本。

《悲しみは個人のもの。喜びはみんなのものなのだ。》
北風 小説 早稲田大学ラグビー部: 小説 早稲田大学ラグビー部

そういうことだ。だから、Facebookに「悲しいね」を付けられるような投稿はしちゃいけない…というと、あんたしてるじゃないかと言われそうなんですが、本人は、悲しいねと言われたくて何か投稿しているようなつもりは、ないんです。たとえばデストロイヤーの訃報の記事を貼ったとき、ぼく、それは、寂しいことであっても、悲しいことだとは思わなかったんです。だって、90歳近くまで生きて、家族に看取られながら、静かに息を引き取った、というのだから、むしろ、幸せなことじゃないですか(まあ、しかし、北尾の訃報は、やっぱり、ちょっと、悲しかったな…)。



有川浩の『旅猫リポート』のラスト(本を読んでない/映画を見てない人にはネタバレになっちゃいますがご容赦ください)で、自分の死期が近づいていることを意識したナナ(主人公の猫)が「僕のリポートはもうすぐ終わる。それは決して悲しいことじゃない」と言っているのは、そういうことなのだと思います。

明日から新年度。
みんなを笑顔にする、自分も笑顔になる仕事を、たくさん、していきましょう。
 

ハンス・ロスリング,オーラ・ロスリング,アンナ・ロスリング・ロンランド
日経BP社
¥ 1,944
(2019-01-11)

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橋本治さん

21日の夜に北海道で大きな地震があって、と書くと、北海道の人からは「北海道で、じゃないよ!北海道のごく一部の地域だよ!」と言われそうなのですが、これが不思議なもので、そのときに北海道外にいると、北海道のそういう広さは十分にわかっていても、「北海道で」という枕詞を付けてしまいたくなるものなのですね、という話はさておき、とにかく、大きな地震があって、そのとき北海道内にいなかったぼくはその大きさが実感できなくて、家の中のあんなところこんなところがこんなことになっているのだろうなと想像しながら帰ってきたのですが、こんなに(とここに書いても読んでいる方にはわからんのですが)むちゃくちゃな本や書類の積み方をしているにもかかわらず、崩れていたのは、そりゃここは崩れるだろうなと思っていたところだけ、でした。

去年の9月6日の地震のときは、我が家で最も大きな本棚の中身がごそっと外に出てきたのだから、そのときに比べれば、今回は、ほとんど揺れなかったといってもいい程度、だったのでしょう。

そんな本棚の一角にある、橋本治コーナー。



橋本治さんの「ああでもなくこうでもなく」は、雑誌『広告批評』の1997年1月号から2009年4月号まで連載されていたもので、そのうちの2008年8月号の分までが6冊の単行本にまとめられています。ぼくは、この本を読んでいた頃は、小さな付箋をつねに携行していて、それを気になった箇所にペタッと貼り付けることをやっていたから、6冊の「ああでもなくこうでもなく」には、たくさんの付箋がついたままです。そして、これらの単行本は、発行元の出版社が会社を解散してしまったから、今や「入手不能」なのだと、その後に別の会社から出た「ああでもなくこうでもなく インデックス版」の冒頭の「『終わってしまったもの』にまえがきを書いても仕方がないんじゃないか、と思いつつ」に書いてあります。



橋本治さんの書いたものは、ぼく、そんなには、読んでないです。『ああでもなくこうでもなく』の全6冊(+インデックス版)が、すぐに取り出せる場所にあったり、『二十世紀』の上下巻がときどき参照する本のコーナーにあったりするのだから、ぼくの頭の中にそれなりの影響を与えているのだろうとは思いますが(このブログの文体がかなり橋本治チックであることはわかる人にはわかると思う)、けっして「熱心な読者」などといったものではないです。ましてや、橋本治さんの小説となると、ほとんど読んだことがない。

『結婚』は、数少ない、ぼくが読んだことのある橋本治さんの小説の一つ。



そして最新刊が『思いつきで世界は進む』。この本、最初に本屋さんで見たときは、こんな帯じゃなかったんだけど、先月の訃報を受けて、こういう帯になったようです。

ぼくの本の読み方は、最近、また、アナログ付箋方式に戻りつつあって(必然的に電子書籍から離れていくことになるため部屋が本で埋め尽くされる状態に戻ることにもなる)、この本も、付箋をペタペタやりながら、電車の中で読みました。どれもみな、ある部分だけ抜き出せば、当たり前のことを言っているに過ぎないように見えてしまうのだけれども、その「当たり前」を前提から疑ってかかって、徹底的に自分の頭で考えてそこへ達するのが橋本治の文章の気持ちよさです。だから、一部分だけを抜き書きすることにはどのくらいの意味があるんだろうか?とも思うのですが、付箋をつけたページのうち、最も大事なことだと思った部分を、ここに書き写しておきます(かような事情で、以下だけ見れば「そんなの当たり前だろ」と思うかもしれませんが、そういうことではないので、ぜひ本を読んでみてください)。

《「民主的であろうとなかろうと、まともな社会は自分達が担うことによってしか成立しないから、その義務と責任を自覚する」ということからしかすべては始まらなくて、そういうことが「明けない夜はない」ということなんだろうと思い、それを放棄した時、誰の得にもならない長い夜は長い夜のまま続くのだろうと思う。》(『思いつきで世界は進む』p.185)

 

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「オホーツクの村」ものがたり

2018年10月刊。



半月ほど前、旅の先輩のお二人と室蘭やきとりをご一緒したとき、オホーツクの村の話になって「オホーツクの村のマークの付いたトレーナーを買った」「オレはトレーナーは買えなくてTシャツを買った」「ステッカーあったよね」「竹田津さんは今は東川に住んでるんだよね」と盛り上がりつつ、ぼくの頭の中では、あ、そうだ、この前、オホーツクの村の本をどこかで見かけたぞ…と、別の思考回路が動きはじめて、しばらくしてから、そうだ、ジュンク堂の1階だ!と思い出して、翌日、この本を買いに行ったのでした。

ぼくが「オホーツクの村」の近くのユースホステルで働いていたのは、もう30年近くも前のこと。その頃、いつも着ていたのが、「オホーツクの村」のキタキツネのマークが付いたトレーナーでした。初めてそのユースホステルに行ったとき、たまたま、地元の方(この本にも出てくる方)がエゾリス観察に連れて行ってくれるというイベントをやっていて、後になって思えば、その場所こそが「オホーツクの村」でした。

ぼくは、そのエゾリス観察をきっかけに、そのときまわりにいた人々の影響を大いに受けて、バードウォッチングをはじめとする自然観察(と野山歩き)を始めたぐらいで(それまではエゾリスとシマリスの違いすら知らなかった)、「オホーツクの村」は、ぼくの人生を変えた場所の一つでもあるのです。

でも、ぼくは、「オホーツクの村」について、何も知らなかったのだ、ということが、この本を読んで、よくわかりました。

そして、この本に描かれている「小清水自然と語る会」の設立以来の経緯は、とても勉強になります。まだクラウドファンディングなんて概念は想像すらできなかった頃に、本業を別に持つ人たちが手弁当で集まって、「オホーツクの村」をつくるべく、大きなお金を調達し、プロジェクトを動かしてきた記録は、自分たちの活動にとっても非常に参考になり、また、励みにもなります。

ぼくの知っている人も、たくさん出てきます。小清水ユースのペアレントはもちろん、木谷のおばあちゃんも登場しているのにはびっくりしました。ぼくはあの頃はわかんなかったけど、みんな、すごい人たちだったんだなあ。

 
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『鉄道快適化物語 苦痛から快楽へ』

2018年9月刊。



すごく手間がかかっている本です。手間をかけたからエライ、ということではないのですが、孫引きだらけのお手軽本と違って、著者自身が一次資料に当たって得た素材がたくさん使われていることに加え、それらを一定のテーマと時系列で整理していること、さらには整理に当たっては単純に時間軸で並べるのではなく著者の解釈を入れながらわかりやすく並べられているところに、非常に高い価値があります。こういうものを1,700円+消費税で読めてしまうのは、大変ありがたいです。

目次
第1章 列車の混雑を改善する―車体と座席スペースの拡大
第2章 客室の改善―客車の構造と種類
第3章 乗り心地の改善―軋み・騒音・振動を抑える
第4章 車内設備の改善―座席・照明・冷暖房・トイレ
第5章 等級制の変遷―三等級制から等級制廃止、そして現在
第6章 電化のあゆみ―無煙化の達成と技術の発展
第7章 サービスの改善―接客・マナー・座席指定・通信手段の変遷
第8章 速達性の改善―高速化と直通化
第9章 安全性の向上―災害・事故への対策
第10章 豪華列車の系譜―プルマンカーから私鉄の貴賓車まで
第11章 クルーズ列車の時代へ―現代の究極の豪華列車たち

これだけたくさんのテーマが詰め込まれていながら、一冊の本として成り立っている(=最初から最後までつながっている)というのがすごいです。現在では常識と考えられているようなことが、なぜ常識になったのか?が(そういうことが直接説明されているわけではないのですが)よくわかります。

さらに、ソフト面だけではなく、ハードについても丁寧に説明されているのも、とてもありがたいです。たとえば第9章「安全性の向上」には「安全を守る技術と設備」という項があって、ここには、先日の地震後にJR北海道が発表した資料の中にあった言葉「軌道変位」について(一般には「歪み」だが鉄道用語では「軌道狂い」「軌道変位」「軌道不整」などと呼ばれている、との説明の後に)軌道変位には5つの種類があることや、それがどのようなものであるかが、図で説明されています(5つの種類=「高低変位」「通り変位」「軌間変位」「水準変位」「平面性変位」)。

海外の事例が豊富に盛り込まれているのも、本書で説明されている現在の日本の鉄道サービスに至る流れの理解の一助になります。たとえば、最終章「クルーズ列車の時代へ」に付された表「主な定期船・クルーズ船と定期列車・クルーズ列車の比較」では、乗務員数に対する定員の比率の比較などもあり、「豪華クルーズ列車(クルーズ船)」という定性情報が定量的に検証されています。

鉄道趣味人が身につけておきたい教養として、強くお勧めする本です。


 

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