熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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『ふしぎな鉄道路線 「戦争」と「地形」で解きほぐす』



少し上の世代の鉄道ファンの方とお話したときに、「鉄道は地域の発展に貢献してきている一方で、戦争とも切り離せないものだった」と言われたのがずっと頭に引っかかっていました。

ぼくが子どもの頃から20代半ばまで暮らした家の裏は空き地でしたが、そこには太平洋戦争中のわずかな期間だけ線路が敷かれていたらしく(これは廃線跡探訪みたいな本を見てもほとんど出てこない話でそこに実際に列車が走っていたというのはぼくは自分の父の話以外には見聞きしたことがない)、父が言うには、戦争中だったから何を運んでいたかはわからなかったとのことなのですが、とにかく、そこに線路が一時的に敷かれたのは、戦争があったからです。

ぼくは自分の年齢の割に両親が年を取っていたので戦争中の話もわりと身近に感じていたのですが、学校教育的にいうと総じて戦争のことを語るのはタブーだったような空気もあり(もちろん戦争はよくないことだというのは徹底的に教育されてきましたから領土を戦争で返してもらえばいいなんて発想は理解不能ですが)、そこに鉄道が絡んでいるというのは、頭ではわかっていても、いまひとつ、実感できないまま、50歳を過ぎてしまいました。

そこで出会ったこの本は、とても、よい本でした。

鉄道路線、戦争、地形とくると、敵軍の攻撃を避けるために線路を海岸から遠ざけて敷いた、という話がすぐに頭に浮かぶのですが、なぜそこまで鉄道が攻撃されることにこだわったのか?というと、鉄道は、兵員輸送に最大の威力を発揮する道具であったからです。この本、タイトルが「ふしぎな」と妙に柔らかいのですが、その辺の記述は、骨太です(こういう内容が新書で読めるのはありがたい)。そこを「戦争と鉄道」だの「軍隊と鉄道」だのと、軍隊側から語ると、政治色が出かねないのですが(書いているほうがそれを意識していなくともそうなりかねないのですが)、この本は、あくまでも鉄道側から描いているので、そうしたむず痒さはありません。

そもそも、戦争というと、ぼくなんかは戦争=太平洋戦争だったりするわけですが(これは確実に自分が受けてきた教育の影響だ)、日本にはその前に日清戦争や日露戦争があって、この本の中で描かれている戦争は、主として、日清戦争や日露戦争です。この本では、その頃の国際情勢、日本国内の雰囲気を背景にした鉄道の位置づけといったことが、一次資料をふんだんに使って説明されています。

目次
第一章 西南戦争と両京幹線
第二章 海岸線問題と奥羽の鉄道
第三章 軍港と短距離路線
第四章 陸軍用地と都心延伸
第五章 日清戦争と山陽鉄道
第六章 日露戦争と仮線路
第七章 鉄道聯隊と演習線
第八章 総力戦と鉄道構想

第七章は、鉄道ファンの方ならすぐに想像がつく通り、新京成線の話です。ああ、それは有名な話だよねと思いながら読み進めていくと《俗説では、鉄道聯隊の演習目的でわざとカーブを多くしたとされている。だが、》と、有名な話を「俗説」としています(「だが」に続く部分は、本を買って読んでください)。

とても勉強になりました。おすすめします。

(ただし、Kindle版は、あまりおすすめできないです〜図表の文字が小さくて=大きくする方法あるのかな?=Kindle側のフォントを拡大しても、地図のところだけは拡大できず、厳しかったです〜なので、紙の本を買うことをおすすめします)

 

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『走る奴なんて馬鹿だと思ってた』

電子版を買って、函館マラソンへ向かう特急列車の車内で読みました。



「はじめに」から:
《本文で詳しく語っていますが、私は10代から30年以上、運動と名づくものはいっさい拒否、169センチ・52キロというガリガリ虚弱体質で、完全文化系夜型生活を送ってきました。40歳のとき禁煙したら、今度はたった1カ月で16キロ激太り。(中略)そんな私が、なぜ45歳のときに、意を決して走り始めたのか。最初は50メートルで足がもつれた軟弱ボディは、なぜ走ることに「はまった」のか。そしていつ、10キロ以上を平気で走れるようになったのか。そして挑んだフルマラソン。その結果は?というのが、おおよその本書の内容です。》

どうですか。読みたくなってくるでしょ?

ところが、この本、ランニングの入門書としては、まったくといっていいほど、役に立たないんです(笑)。著者がやっていることは、メチャクチャなのです。なにしろ、走ろうと決意をした日から、一日も休まず、走り続けているのです。それも、最初こそ歩くのと変わらないようなペースであるものの、すぐに、かなりのスピードを出して走るようになっているのです。

そんなに急にやったら怪我するだろうと心配しながら読み進めると、実際に、怪我するんですね、これが。でも、やめないんだ。これは、普通の人は、やっちゃダメです。でも、なるほど、ここまでやるともともと運動してなくてもすぐにこのレベルまで達するんだというのがわかる、というのは、おもしろい。

それにしても、著者は、なぜ、そこまで「はまった」のか?

《走る人のタイプもそれぞれだろうが、きっと私は向いていた、のだと思う。一人でいることが苦にならない。目標を立てて、黙々とそれを遂行できる。コンプリート癖、マニア癖がある。(中略)まあ簡単に言うと、団体行動が嫌いなマニアは、意外にランニングに向いていた、ということになる。(中略)フィジカルな問題よりも、マニア体質に直結しているような気がする。体が欲して走るよりも、ラン用アプリの結果を見るのが楽しみで走るという、健康的な本末転倒ぶり。》

コンプリート癖、マニア癖。

もちろん、ぼくは、よくわかります(笑)。

そういうことなんです。ぼくが今年の冬から早春にかけてやたら走ってたのも、去年の作.AC真駒内マラソンでもらったランニングノートに走行距離を書いていく(そして月間累計で何キロとかわかる)のが楽しみだったからです。

この本の中に、著者がだんだん走れるようになってきて、走るコースを作るべくパソコンに向かって地図を眺めているうちコースづくりのほうが楽しくなってきて時間を忘れる、といった話が出てくるのですが、これ、まさに、自分が経験してきたこと。

ぼくのまわりでは、北海道マラソン(あちこち大会に出るようになってから全国的にみるとじつはすごく厳しい大会だと知ったのですがぼくはもともとこれしか知らなかったからフルマラソンというのはこういうものだと思っていた)を一度完走したら「もうこんなに苦しいことはやりたくない」と翌年からは出なくなる人も少なくないのですが、ぼくは、一度完走したら、もっともっとやりたくなっちゃって、あちこち遠征してたくさん大会に出るようになっちゃったわけですが(さすがに今年はやりすぎのような気がしているので来年は少し数を絞るかもしれない)、言われてみれば、これも、一種のコンプリート癖、マニア癖。

正統派のマラソン入門書としてはアウトでしょうけど(そもそもこの本は入門書ではないのだが)、同じようなコンプリート癖、マニア癖のあるぼくにとっては、役に立つこともいろいろ書いてあります。なにより、単純に、おもしろいです。
 

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「最初から自分たちのプライドをチラつかせられたら、誰も応援しようとは思わない」

2019年4月30日第一刷発行。



きわめて個人的なことなのであまり口外してませんが、この半年ばかりの間にいろんなことがありすぎて、ようやく、ただ楽しむだけのための短い旅に出ることができるようになったときに、しかし、そういう状況は本当にしばらくぶりだったから、旅の作法をすっかり忘れていて、移動中に読むものを持ってこなかったことに札幌駅で気づき、札幌駅の駅ビルの本屋さんに入って、限られた時間でとりあえず何か買おう…という中で買ったのが、この文庫本でした。

結局、その旅の中では最初の「文庫版のためのまえがき」すら読まなかったんだけど、帰ってきてからちょっとだけ読んだら、おもしろくておもしろくて、しかし日常のあれこれの中では一気に読むわけにもいかず、寝床でちまちまと読んでたんですけど(寝床でiPhoneいじってるよりはいいでしょ)、ついに、昨日、コンサドーレの試合から帰った後、ほかにもやることあるんだけどなあと思いつつ、最後まで一気読みしてしまいました。

プロレスの本じゃないんです。

どっちかというと、ビジネスの本、生き方の本、それも薄っぺらな教訓めいた言葉を並べただけの本とは段違いの迫力を持ったノンフィクション、だと思うんです。ぼくは、こういう本、大好きです。

いちばん印象に残ったのは、これです。

《マスコミの前でははっきりと口にしないものの、新団体を作った選手たちの本音は「大仁田レベルで成功するなら、元より格上の俺が失敗するはずがない」であり、「サスケみたいな若僧の無名レスラーが認められるなら、俺だって大丈夫だろ」だった。(中略)しかし、大仁田がファンから支持されたのは、ちっぽけなネームバリューは利用しつつも、過去の栄光をバッサリと捨て去り、本来ならかっこ悪くてとてもできないと思うほどの恥を前面に曝け出すことで共感を得たから。最初から自分たちのプライドをチラつかせられたら、誰も応援しようとは思わない。》

すべての原点は、こういうことなのですよ。「本来ならかっこ悪くてとてもできないと思うほどの」ことを、恥ずかしげもなくできるのかどうか。目指すところ、手に入れたいものがはっきりしていれば、できるはずなんだ。自分にとって何がいちばん大事なのか。本当にそれを手に入れたいのであれば、他人にどう思われようが、そんなの関係ないですから。

《「うるせぇな!なんで君を介して話をしなくちゃいけないの?だったら、俺の回答を伝えておいてよ。そんなに邪魔だったら、お望み通り、消えてやるよ。週プロ辞めてやるよ!」それまで週プロを辞めるつもりなんて、まったくなかった。(中略)実際のところ、本当に辞めたかったわけではない。(中略)人間とは不思議なもので、一度、口に出してしまった思いは、どんどん肥大化してくる。ただでさえ割が合わない過酷な仕事。それを雑誌に対する愛、そして自分が働かないと週プロが出ないという責任感だけでこなしてきた。気力だけで働いてきた。しかし、その気持ちが音を立てて折れてしまったら、これまで喜びだった忙しさは、単なる苦痛でしかなくなってしまう。たったそれだけの理由で?そう、それだけの理由だった。》

そうなのだ。本気でないことでも、言葉にしてしまうと、それが現実になっていってしまうのだ。だからキミは本心でもないこと、さほど強く思ってもいないことを口にしたりこういうところに書いたりしてはいかんのだ!と、最近、反省するようになりました。言葉って恐ろしい力を持ってるんですよね(だからオレは今はツイッターはやらないのだ<あれはホントに怖いよ)。

《周囲のサポートもあって健康を取り戻した僕は「死」というものを強烈に意識するようになった。週プロ時代は「明日、死んでもいい」と思っていたが、いまはそんなことは考えてもいない。もちろん、長生きはしたい。ただ、人はいつ死んでしまうかわからない。だったら、やりたいと思っていた仕事を全部やろう。》

そうだね。人はいつ死んでしまうかわからない。そんなことは、若いときは考えたこともなかったけど、最近は、やっぱり、考えますよ、そういうことを。だからやりたいことを云々、というのは、これも若いときだったら、刹那的な快楽に走ったりしそうなんだけど、もう、50年以上も生きてますからね。わかりますよ。そういうことじゃないんだよな。

 
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犯人捜しと思い込み

いまさら紹介するのも恥ずかしくなってしまうほどのベストセラーになっちゃった本ですが、新しい年度を迎えるに当たっての(きわめて個人的な)決意表明的に、書いておきます。

《どんなことであっても、ひとりの人やひとつのグループだけを責めないようにしよう。なぜなら、犯人を見つけたとたん、考えるのをやめてしまうからだ。そして、ほとんどの場合、物事はなるかに複雑だ。だから、犯人よりもシステムに注目しよう。世界を本当に変えたければ、現実の仕組みを理解することが必要だ。誰かの顔に一発パンチを食らわすなんてことは忘れたほうがいい。》
FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣

プロジェクトがうまくいってないときは、「あいつのせいだ!」と(口に出すかどうかは別にして)いつも誰かさんのことを怒ってる、みたいなことになりがちです、が、だからといって、その人物を糾弾したところでプロジェクトがうまくまわるわけではないんですね。ましてや、糾弾してやりこめて溜飲が下がったところで、プロジェクトの成功とはまったく関係がない。

大事なことは何か。到達すべきゴールはどこか。

それがちゃんとわかっていれば、誰か(何か)を言い訳にすることはない、はず。



もうひとつ、これはベストセラーではないけれど、この冬の間に読んだ本。

《悲しみは個人のもの。喜びはみんなのものなのだ。》
北風 小説 早稲田大学ラグビー部: 小説 早稲田大学ラグビー部

そういうことだ。だから、Facebookに「悲しいね」を付けられるような投稿はしちゃいけない…というと、あんたしてるじゃないかと言われそうなんですが、本人は、悲しいねと言われたくて何か投稿しているようなつもりは、ないんです。たとえばデストロイヤーの訃報の記事を貼ったとき、ぼく、それは、寂しいことであっても、悲しいことだとは思わなかったんです。だって、90歳近くまで生きて、家族に看取られながら、静かに息を引き取った、というのだから、むしろ、幸せなことじゃないですか(まあ、しかし、北尾の訃報は、やっぱり、ちょっと、悲しかったな…)。



有川浩の『旅猫リポート』のラスト(本を読んでない/映画を見てない人にはネタバレになっちゃいますがご容赦ください)で、自分の死期が近づいていることを意識したナナ(主人公の猫)が「僕のリポートはもうすぐ終わる。それは決して悲しいことじゃない」と言っているのは、そういうことなのだと思います。

明日から新年度。
みんなを笑顔にする、自分も笑顔になる仕事を、たくさん、していきましょう。
 

ハンス・ロスリング,オーラ・ロスリング,アンナ・ロスリング・ロンランド
日経BP社
¥ 1,944
(2019-01-11)

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橋本治さん

21日の夜に北海道で大きな地震があって、と書くと、北海道の人からは「北海道で、じゃないよ!北海道のごく一部の地域だよ!」と言われそうなのですが、これが不思議なもので、そのときに北海道外にいると、北海道のそういう広さは十分にわかっていても、「北海道で」という枕詞を付けてしまいたくなるものなのですね、という話はさておき、とにかく、大きな地震があって、そのとき北海道内にいなかったぼくはその大きさが実感できなくて、家の中のあんなところこんなところがこんなことになっているのだろうなと想像しながら帰ってきたのですが、こんなに(とここに書いても読んでいる方にはわからんのですが)むちゃくちゃな本や書類の積み方をしているにもかかわらず、崩れていたのは、そりゃここは崩れるだろうなと思っていたところだけ、でした。

去年の9月6日の地震のときは、我が家で最も大きな本棚の中身がごそっと外に出てきたのだから、そのときに比べれば、今回は、ほとんど揺れなかったといってもいい程度、だったのでしょう。

そんな本棚の一角にある、橋本治コーナー。



橋本治さんの「ああでもなくこうでもなく」は、雑誌『広告批評』の1997年1月号から2009年4月号まで連載されていたもので、そのうちの2008年8月号の分までが6冊の単行本にまとめられています。ぼくは、この本を読んでいた頃は、小さな付箋をつねに携行していて、それを気になった箇所にペタッと貼り付けることをやっていたから、6冊の「ああでもなくこうでもなく」には、たくさんの付箋がついたままです。そして、これらの単行本は、発行元の出版社が会社を解散してしまったから、今や「入手不能」なのだと、その後に別の会社から出た「ああでもなくこうでもなく インデックス版」の冒頭の「『終わってしまったもの』にまえがきを書いても仕方がないんじゃないか、と思いつつ」に書いてあります。



橋本治さんの書いたものは、ぼく、そんなには、読んでないです。『ああでもなくこうでもなく』の全6冊(+インデックス版)が、すぐに取り出せる場所にあったり、『二十世紀』の上下巻がときどき参照する本のコーナーにあったりするのだから、ぼくの頭の中にそれなりの影響を与えているのだろうとは思いますが(このブログの文体がかなり橋本治チックであることはわかる人にはわかると思う)、けっして「熱心な読者」などといったものではないです。ましてや、橋本治さんの小説となると、ほとんど読んだことがない。

『結婚』は、数少ない、ぼくが読んだことのある橋本治さんの小説の一つ。



そして最新刊が『思いつきで世界は進む』。この本、最初に本屋さんで見たときは、こんな帯じゃなかったんだけど、先月の訃報を受けて、こういう帯になったようです。

ぼくの本の読み方は、最近、また、アナログ付箋方式に戻りつつあって(必然的に電子書籍から離れていくことになるため部屋が本で埋め尽くされる状態に戻ることにもなる)、この本も、付箋をペタペタやりながら、電車の中で読みました。どれもみな、ある部分だけ抜き出せば、当たり前のことを言っているに過ぎないように見えてしまうのだけれども、その「当たり前」を前提から疑ってかかって、徹底的に自分の頭で考えてそこへ達するのが橋本治の文章の気持ちよさです。だから、一部分だけを抜き書きすることにはどのくらいの意味があるんだろうか?とも思うのですが、付箋をつけたページのうち、最も大事なことだと思った部分を、ここに書き写しておきます(かような事情で、以下だけ見れば「そんなの当たり前だろ」と思うかもしれませんが、そういうことではないので、ぜひ本を読んでみてください)。

《「民主的であろうとなかろうと、まともな社会は自分達が担うことによってしか成立しないから、その義務と責任を自覚する」ということからしかすべては始まらなくて、そういうことが「明けない夜はない」ということなんだろうと思い、それを放棄した時、誰の得にもならない長い夜は長い夜のまま続くのだろうと思う。》(『思いつきで世界は進む』p.185)

 

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