熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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強くなろう。

本日は19時からのナイトゲームで鹿島アントラーズ戦。



サポーター的には北海道命名150年記念ユニフォームのデビュー戦。



選手は先月からこのユニフォームを着用しているから、今夜の試合は負けたけれどこのユニフォームじゃ勝てないってことにはならないのですが(東京や神戸にはこれで勝っている)、サポーターがこのユニフォーム(レプリカ)を手にしたのは先週だったので、サポーター的にはデビュー戦。

チャナティップの背番号とネームを入れたのですが、今夜は、チャナティップは、完全に抑えられちゃいました。ジェイも同じ。ストロングポイントを消してきて一種の隙を逃さない鹿島アントラーズは、さすがです(などと余裕かましていられるのはもう勝ち点を41も積み上げているからなのだが)。コンサドーレは今や上位チームだから、相手チームはきっちりと対策を立ててくるのだなあと、よくわかりました。今は見たことのない景色を見ているのだから、いろんなことに遭遇します。ここを逃げずに立ち向かって越えていくことで、また新たな景色が見える場所にたどりつくのです。

強くなろう。

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別所沼と私

昨日のチャレンジ2020の様子がFacebookの速報ページに上がっています。こういうふうに自分の走っている姿を写真に撮ってもらえると、自分のフォームをチェックすることができるのがありがたいです。

速報(写真多数)

動画

1周(923.2m)走ったら他の2人が走る間は休憩という形だったから、合計15kmぐらいしか走ってないのですが、ふだん出さないようなスピードで走ったから、今日は、腿裏がとても痛いです(笑)。昨日のぼくのペースは1周だいたい4分45秒前後(時計持って測って走っているわけじゃないのにほとんど同じというのが不思議)。わかりやすくいうと、キロ5分05秒〜10秒ぐらいのペースでした。休みを入れながらとはいえ、こんなスピードで15kmも走ったのは初めてでした。礼文島のフラワーマラソン(10km)だって、5分20秒ぐらいでしたからねえ。

速報ページ(上記のリンク先)の写真を見ると、ときどき、すごく苦しそうに走っているのがあって、それは自分で走っている間もたかが923mでこんな苦しいって情けないなあと思っていたのですが、他の二人も(ぼくとはスピードが違いますが)同じ思いだったことが、終了後に話をしてわかりました。レベルは違うとはいえ、苦しさを感じていた場所が同じだったのは、大きな驚きと発見でした(ほかにも発見がいろいろあったのですがくどくなるのでまたの機会に)。

チャレンジ2020に関しては、去年の9月から、話せば長いあれこれが、たくさん、ありました。その辺は、また、機会を見つけて、書いていこうと思います。「ありました」と過去形にしちゃったけど、たぶん、これからも、この物語は続いていくことになるのでしょう。



チャレンジ2020が行われているさいたま市の別所沼公園(どうもいまだに「さいたま」というのが馴染めない)は、ぼくにとっては、懐かしい地名です。子供の頃、浦和市の西部に親戚がいて、当時住んでいた川越から、親に連れられて、ときどき、遊びに行ってました。今ならば東上線と武蔵野線の乗り継ぎで行けばさほど遠くない場所なのですが、当時はまだ武蔵野線はなかったから浦和からバスで行くしかなくて、このバスがまた時間がかかることもあって、子供にとってはけっこうな大旅行でした。

いまだその頃の記憶が強いから、あの辺りは駅から離れていて不便な場所、というイメージが刷り込まれているのですが、今は、武蔵野線はもちろん、埼京線もあって(これもいまだ「通勤新線」と言われていた頃の印象が強くて…)、ずいぶんと、便利になりましたねえ…という話が通じるのは、もう、50代以上の人限定、になっちゃうのかなあ。

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3時間09分00秒でフィニッシュ!

2020年の東京オリンピック・パラリンピックまでの2020日間、毎日誰かがフルマラソン(42.195km)を走る市民参加型マラソンイベント「チャレンジ2020」の第1360日目=本日=を、3人チームで走ってきました。まずは、連続2020日間を途切れさせずに役目を務められたことに、ほっとしています。

3人のリレー形式で走って、3時間09分00秒。

みんな、がんばりすぎだって(笑)。

3人のフルマラソンのベストタイムを合計して単純に3で割ると、3時間42分ぐらい(ぼくが一人でかなり足を引っ張ってます)。ただ、ベストタイムというのは、気象条件やコースもベストだったから出たわけで、今日がそうなるかどうかは別問題。一方で、一人あたりの走る距離は42.195kmの3分の1なのだから、ペースは、フルマラソン完走を目指すときよりも上げられます。そう考えると、3時間半から4時間の間ぐらいだろう、まあさすがに4時間はかからないだろうなあと考えていたので、3時間10分を切れたのは、予想外の素晴らしい出来でした(自画自賛)。

チャレンジ2020が今年7月25日のNHKおはよう日本で取り上げられた際、「予約は1ヶ月先までいっぱいだそうです」との紹介があったのですが、それは平日も含めればという話。1年ほど前にHクンが単独で「チャレンジ2020」を走ったとき、ぼくが興味を示したら、Hクンが「じゃあチームを組んで一緒に走りましょう」と言って(ぼくの予定を確認することもなく)予約を入れてくれたのですが、その時点で、土日のスケジュールで空きがあったのは、ほぼ1年後でした。それが、今日でした。1年前から、この日を目標にあちこちでマラソン大会を走ってきたりしたのですが、もう、あれから1年経っちゃったんですねえ。

ぼくより圧倒的に速いお二人は関東の人たちなので今はシーズンオフ明け。それに対して、ぼくはシーズンのピークなんで、速いお二人ほどではないにせよ、そこそこ、走れたんじゃないかと思います。最初と最後の周回は3人で走ったから、単独で走ったのは15周だけですが、ほとんど同じペースで走れたもんね。あのペースでフルマラソンを走れたら3時間40分ぐらいでゴールできるんだよな(笑)。

とても楽しいランニングでした。わざわざ札幌からさいたままで行ったかいがありました。誘ってくれたHクン&一緒に走ってくれた地元Hクン、そしてボランティアで運営に当たってくれているスタッフのみなさん、最初の周回の伴走や途中の応援をしてくれた別所沼スマイルランニングクラブのみなさんに、感謝申し上げます。



ところで、マラソンとは関係ないんですけど、札幌から来たというと、ほとんど全員の方に「地震は大丈夫でしたか?」と尋ねられました。ああ、やっぱり外からはそういうふうに見えているのかと、ちょっと、驚きでした。

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稚内市北方記念館へ徒歩で行く

先日紹介した稚内市樺太記念館のブログ記事が好評だったので、こうなると稚内市北方記念館にも足を運んでおかないと片手落ちになるかと思い、行ってきました。

稚内市内における歴史展示施設の位置づけについて
稚内市樺太資料展示施設整備基本構想計画書(平成29年9月稚内市教育委員会)より

北方記念館は、稚内市開基百年記念塔の中にあります。以前は近くまでロープウェイで上がれましたが、現在は、公共交通機関はありません。稚内市のホームページには「アクセス JR稚内から車で約15分」と書いてあるのみですが、観光情報を集めた民間のウェブサイトの中には「稚内駅から徒歩で30分」という記述もみられます。

「徒歩で30分」は、歩いていく距離ではない、というのが普通の解釈で、以前の自分であればタクシーで行くか、タクシーに乗ってまで行くほどのこともなかろうと考えて行かなかったか、どちらかだったであろうと思うのですが、今回は、マラソンの練習不足を補うことも兼ねて、タクシーは使わずに、歩いて行ってみました。

ただひたすらに上り坂。

坂道

正直、途中で、二度ほど、行くのをやめようかと思いました(笑)。そのぐらい、この上りはきつかった。「徒歩で30分」と書いてあるなら20分で行ってやるぜ!と思って向かったのに、写真を撮りながら歩いていたこともあって、やっぱり、30分かかりました。荷物を背負っていたこともあって、もう9月の半ばだというのに、背中は汗でぐっしょり。

礼文から戻る船の上から見た百年記念塔。手前の大きな建物はANAホテル。

船の上から見た風景

百年記念塔の入口に受付があって、入場料400円を払って中へ(入場料を払わずに入れる場所はまったくないので展望台には興味がなくとも入場料は払わざるを得ない)。展望台には興味はなかったものの、せっかく上がれるのならと、まずはエレベーターで展望台まで上がってみたのですが、狭いところと高いところが苦手なぼくは、エレベーターに乗っている(というか感覚的には「閉じ込められている」だけで恐怖(笑)。ましてや展望台は(上の写真でわかるように)塔の縦の部分から外にはみ出していることもあって「この床の下は何もないんだ…」と思っちゃって落ち着かず、すぐに下りてきました(先客ゼロだったので上りも下りも待ち時間なし)。



エレベーターから外に出て、1階の北方記念館へ。

北方記念館入口

塔の1階と2階が北方記念館です。1階が間宮林蔵や伊能忠敬を中心とした展示、2階が近代以降の稚内と樺太の展示。このところやたらと稚内の情報をインプットしていることもあって、とても興味深い展示物がたくさんありました。鉄道関係の展示も多く、稚内という国境の町の発展には鉄道の役割がいかに大きかったかを、あらためて思い知らされました。

稚内公園のうち、氷雪の門などがあるエリアにはこれまでも何度か行っていますが、この百年記念塔は、過去に訪れたことがあるのかどうか、わかりません。32年前、枕崎へ出発する前日には、急行利尻で稚内に着いた後に定期観光バスに乗っているから、そのときに訪れている可能性もありますが、記憶がはっきりしません。

稚内市街地と稚内公園を結んでいたロープウェイ山頂駅の跡

不自然な柵
柵の向こう側があいている

防風柵らしきものが中途半端に切れている間が、かつてのロープウェイ(日本一短いロープウェイだった)の山頂駅があったところです(このロープウェイの廃止後の様子については、2010年9月27日にもちらっと書きました)。ここまでロープウェイで上がってこられるなら、百年記念塔へ行くのは、だいぶ、楽になります。近年、稚内は夜景を売りにしているので、ロープウェイが残っていたら、便利だったのですが…。

稚内の市街地を上から見下ろす

上から眺めながら、あの向こう側をず〜っと走ってきたんだよなあ…って、まだ(また)言ってるのかって思いますけど(笑)、これがワンウェイコースのおもしろさ。周回コースだったり往復コースだったりしたら、こんな感想は出てこない。片道だからひたすら向かい風の厳しいレースになっちゃったけど(第1回日本最北端わっかない平和マラソンのことです)、片道コースだったから、よかったのです。片道コースだったから、こんなに長い距離を走ってきたのか…と、振り返ることができるのです。

そんなぼくでも、ここまで徒歩で行くのはきつかった(笑)。車がない場合は、タクシーで行ったほうがよいかと思います。帰りは下りなので、歩いてもいいかと思います。

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なぜ復旧に時間がかかるのか

昨日の続き。
 
地震で線路が壊れたわけではない釧網本線が17日間も運休するのは、地震の直後に北海道のほぼ全土が停電したことの、いわば後遺症です。昨日のブログで「いかなる事情があるにせよ…」と書いたのは、その辺の事情を斟酌してのことでした。

JR北海道の現場のみなさんは、頑張っています。

あれだけの大地震がありながら、震源の近くの、線路がずれたようなところでも、物流を担う幹線については、すぐに、復旧させているのです。

それなのに地震の被害を受けなかった路線の復旧が遅くなっていることについては、9月11日にJR北海道から出たプレスリリースの中に、ちゃんと、理由が書いてあります(運転を見合わせている路線の再開見込みについて(9月11日、14時00分現在))。ただ、そこまで見る人は少ないでしょうし(一次資料に当たらずに適当な口コミを信じる人がいかに多いのかは今回の地震と停電でよくわかりました)、マスコミでも理由までは報じられない。報じられているのかもしれないけれど、生活に直結するテーマについて大量の情報がある中では埋もれてしまって、目につかない。

だから、そういう部分は、わかっている人が補完しなきゃいけない、ということで、9月11日の段階で、鳥塚さんが、わかりやすく、説明してくれています。

着々と進む運転再開の道のり。JR北海道各線
(Yahoo!ニュース、2018年9月11日)

以下、長くなりますが、引用させていただきます。

《復旧作業の状況を見ると多くの区間で「レールの研磨および踏切設備の点検及び動作確認を実施」と書かれていますが、地震発生直後の停電から数日間列車が走っていませんので、レールの表面が当然錆びています。前回のニュースでも書きましたが、レールの表面が錆びるとどうなるか。線路には様々な電気的な回路が設置されていて、例えば列車検知システムや踏切鳴動スイッチなどが、列車が走ることによって電気的に感知されて作動する仕組みになっています。ところが線路が錆びているとその回路が働かない可能性が出てくるわけです。
そうなると、列車が区間内を走行中なのに走っていないことになったり、踏切に列車が近づいてきても踏切が作動しない危険性が出てきます。そういうことを一つ一つ調べて確認しなければならないのです。全長2000km以上の全区間を、限られた人数で。》

それでも復旧が遅すぎる!という意見は、復旧が遅れている沿線地域にあっては、出てきて当然です。もっと早くやれ!というのはその通り。でも、JR北海道は、徹底した合理化(=経営努力)の結果、会社発足(国鉄分割民営化)当時に比べると、社員数が大幅に減っています。ローカル線の廃止で路線長も減っているとはいえ、広大なエリアをカバーしていることは変わりがありません。他のJR旅客各社に比べて、路線営業キロあたりの社員数は最少であるとのデータもあります。限られた人数で全道の線路を点検して復旧させるためには、どうしても、優先順位を付けざるを得ない。

儲かっていないのだから人を減らすのは当然だろう、との考え方は、民間企業なのだから、という視点だけから見れば、その通りかもしれません。でも、一方で、公共性の高い事業を、民間企業的な(黒字か赤字かという)理屈だけで片付けていいのか、という観点もあります。この辺は、根本的なところ、すなわち、なぜその事業が存在するのか、誰のための事業なのか、その事業はなぜ必要なのか、という部分でどこに立脚するのかを明確にしてからでないと、議論が噛み合いません。そこをスルーしてこの種の議論を始めてしまうと、お互いに疲弊するだけです。

JR北海道は、限られた人数で、一生懸命、やっています。だけど、それと沿線地域が抱く思いとは、また、別の問題です。一生懸命やっているから許される、ということではない。だからといって、それらの問題を別の問題だとして切り離し続けていると、コミュニケーションが不在になり、相互の不信感が増していき、最後には、不幸な結果を招いてしまいます。そうならなくてもよいのに不幸な結果になってしまうことは、社会全体にとっての損失でもあります。

だから、いろいろ言いたいことはあっても、それを飲み込んで、自分たちができることをやっているMOTレール倶楽部の活動には、大きな価値があると思うのです。もっと注目されていいし、多くの人が見習うべきことです。

とはいえ、言いたいことを飲み込んで、というのは、ずっと飲み込んでいるべき、ということではありません。当事者どうしでは、どんどん、言い合うべきです。雨降って地固まるという言葉もあります。

でも、ネット上で批判を書き散らすことは、ただの自己満足、欲求不満の解消でしかない。それどころか、関係ない人の不信を増幅させることにもつながりかねない。百害あって一利なし、です。

お互いが、できることをやりながら、実現可能な接点を探していく。その中で答えを見つけていく。もう残された時間は限られているけれど、いま求められているのは、そういうことだと思います。そんな思いで、できるだけ鉄道を利用し、鉄道について考えていくことは、次の世代のために、未来の北海道をつくっていくことでもあるはずです。

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網走へ行こう 釧網線に乗ろう

JR釧網本線の網走駅〜摩周駅間は、先日の地震に伴う停電の影響で、現在、不通となっていますが、今度の日曜日=9月23日から、運転を再開します(当初は24日からと発表されていましたが、1日繰り上がる旨の発表が昨日ありました)。

当該区間は震源地からは300km以上も離れており、地震の揺れはほとんどなかった地域です。それなのに、17日間もの運休です。いかなる事情があるにせよ、わかりやすい被害がない中で半月以上も列車を止めてしまったのでは、「もう乗らなくていいですよ、なくても困りませんよね」と言っているようなものです。存続に向けて沿線地域に協力をお願いするどころの話ではありません。

そんな中にあっても、地道に活動している人たちがいます。

一昨日(9月17日)、網走市を拠点に活動するMOTレール倶楽部のみなさんが、不通になっている区間の無人駅の清掃を行いました。運転再開を目前に控え、観光客の方々に気持ちよく使ってほしいとの思いから、急遽、清掃を行うことを決めたそうです。こうして文字にしてしまえば簡単ですが、対象となる駅は、桂台、鱒浦、藻琴、北浜、原生花園、浜小清水、止別、中斜里、南斜里、清里町、札弦、緑と、12箇所もあります。

釧網本線の無人駅をボランティア清掃(YouTube)

地震とは無縁だった釧網本線の運転再開が他の幹線や都市部に比べて大幅に遅くなったことには、怒りも、嘆きもあるでしょう。でも、文句の一つも言わずに、また、パフォーマンス的に事前に告知するようなこともせずに、こうした取り組みに昇華させたMOTレール倶楽部のみなさんの行動力には、本当に頭が下がります。

MOTレール倶楽部のFacebookページでも、各駅での清掃の様子が報告されています。

釧網本線2日間乗り放題+知床方面へのバスにも乗れる「ひがし北海道ネイチャーパス」の販売も、釧網本線の運転再開に合わせて、再び始まります。「ひがし北海道ネイチャーパス」の利用可能期間に限り、快速しれとこ摩周号に指定席車も連結されます。

網走へ、釧網本線へ、ぜひ、足を運んでみてください。

網走から釧路までの乗車券

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何もしない日

礼文島に行って、何もしないといっても、何かはしてます。

朝食の後、まずは、宿からそれほど遠くない、ゴロタ岬へ。



しばらく来てなかったら、こんな看板が立ってた。



そこでふと思い立ったのは、最近すっかりアップデートしなくなっちゃった礼文島のホームページに掲載している内容が古くなりすぎてないかどうか、確認しなきゃいけないな、ってことで、どうしてそんなことを思いついたのかというと、このちょっと前に、ぼくの作っているホームページを見て礼文島に行ってそれから海憧さんの常連になりました、って書き込みを、ネットで見ていたからです。ツイッターだのインスタだのといっても、ホームページ(ウェブサイト)やブログという、アーカイブが閲覧可能な情報というのはやっぱり必要なもので、まあ、それを言い出すと、近年の宿泊客の傾向を見ていると英語版が必要なんじゃないかと思ったりもするわけですが、とにかく今回はしばらく行ってないところに行って様子を見てこようと、ゴロタ岬(ゴロタ山の頂上)で思ったのでした。

が、その前に、少し下って、鮑古丹神社へ。



北海道ではときどき見かける白い鳥居。わざわざ、白い塗装を施してある。

神社なので手を合わせて、戻ろうとしたら、腰に巻いていた長袖シャツ(暑くて脱いだ<もう9月の半ばだというのに)が、ずるっと、下に落ちた。歩いている間に少しずつ緩くなっていたのが、たまたま、ここで落ちただけだと考えるのが普通なのでしょうが、どうも何かに引っ張られたような気がして、この奥にある船泊ユースホステル(民宿海憧の前身)の古い常連さんのお墓にお参りしてから帰ることに。

といっても、このお墓というのが、藪こぎしないとたどりつけない場所で、ぼくは、知っている人に連れてもらって来たことしかないから、どこから入ったらいいのかわからない。仕方ないので、途中までついている踏み分け道を歩いて(それ以外にもいくつか墓石が立っている場所があってそこまでは道らしいものがついている)、いくつかある見知らぬ人たちのお墓も含めて、そちらの方向に手を合わせてから帰ってきました。みなさんのおかげで、私はいま、こうして生きています。



じつは、今回は、旅行そのものをやめるつもりでした。また行くからよろしくと宿にメールした直後にあの地震(と停電)があって、仕事やら何やらバタバタになっちゃったし、なにしろ心身ともへんに疲れました。ところが、地震と何の関係もない礼文島(島に発電所があって北海道本土とは独立しているから停電もしていない)ですら、連休中の宿泊予約がゼロになってしまったと嘆きのメールが来たもので、こりゃ自分が行かないってわけにはいかんなと、予定通りに出かけることにしたのでした。

だから、観光バスやハイヤーが走っているのを見ると、ほっとします。



一気に南下して、北のカナリアパークへ。



桃岩展望台への道は工事で通行止めになっていたので、バスの折り返し場まで行って、ついでに桃岩トンネルを見に行ったら、入口が塞がれてました。



去年の夏は、通行止めになっていたものの、トンネルの口は開いたままでした(そのときも写真は撮ったけれどブログに載せるのは自主規制しました)。

観光バスが来ていて、人がたくさん歩いてました。



新桃岩トンネルを抜けて、元地へ。



桃岩トンネルの元地側の取付道路は、舗装が剥がされていて、知らなければここに道路があったことがわからないほど。



これだけまわって(ほとんど島内一周)宿に戻っても、まだ、午前11時半。お昼食べて、しばらく昼寝して、起きてから本を読んで、お風呂は16時からだからと15時少し前に着替えてランニングに出て、宿に戻って、お風呂に入って、また本を読んで、夕食をいただいて、また本を読んで、軽く飲みながら(飲まないけど)話をして、寝る。

本は、何冊か、持っていきました。こういう時期に行くときは、もしかすると本を読むために礼文島に行くんじゃないかというぐらいに、本を持っていきます。本を読むなんてのは自宅にいてもできるんだけど、自宅には集中力を削ぐ要素がたくさんあるし、また、旅先(礼文島)で読むことで頭の中のふだん使っていない場所が動き出す本もある(今回はそういう本=未読ではなくかつて読んだことのある本が中心=を持っていきました)。

その昔、宿がユースだった頃、鴻上尚史さんが常連客で、鴻上さんが何かのエッセーに「宿で本を読んでいたら宿の主人に『ごろごろしてるんじゃない、行くぞ』と言われてむりやり漁の手伝いに連れていかれた」みたいなことを書いていたことがありました。その主人=ユースのとうさんはすでにこの世を去り、最近の若い人たちは鴻上さんを知らない。そんな時代になりました。

今回の夕日(この時期は山の向こうに沈みます)

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メトロン部屋の休日

シーズンオフに礼文島民宿海憧に行くと、たいてい、海側の部屋です。

昼間だけど布団の敷かれた部屋

礼文に行って何をするんですか?花を見るんですか?山歩きですか?釣りですか?等々、よく尋ねられますが、目的は、ありません。じゃあどうして行くのだろうか?という問いに対する答えが、今回、ようやく、言語化できたような気がします。

何もしない時間を得るために、礼文島に行くのです。

礼文島までの旅費は、いわば、その時間を買うための費用なんじゃないか…と気づいたのは、今回、ランニングシューズを履いて、宿からほど近いエリア峠の坂道を下っていたときでした。こんなところでも走っている人はいて、まあ、おそらくは、近くに陸上自衛隊の礼文駐屯地(以前は「最北の自衛隊」と書かれた大きな看板が入口に掲げられていた)と自衛隊の官舎があるから、自衛隊の方なのだろうとは思うのですが、こんなところですから、すれ違うときにはお互いに笑顔で「こんにちは!」と挨拶をするわけです。

その瞬間に、あ、オレはこの時間を旅費で買ってるんだ!と気づいた。

何もしないことは、自宅にいても、できます。でも、自宅にいれば、何もしないでいるつもりでも、つい、その辺にある何かに手をつけてみたり、あるいは、手のついていないコトやモノが気になるものです。それはたとえば仕事かもしれないし、いつか読もうと思っている本かもしれないし、そのうち片付けようと思いつつ放置しているスペースやモノかもしれない。あるいは、ふと思い立って、そうだ、あれ買ってこようと思うかもしれないし、気になっていたお店に行ってみたくなるかもしれない。

礼文に来ちゃえば、そういうことは、一切、できない。宿とは長いお付き合いだから、あまり気を使うこともない(と言いつつ、誤解なきように書き添えておけば、必要最低限の遠慮はしているから長いお付き合いが続けられているのですが)。

何もしない時間が手に入ると、本当にやりたいことだけをやろうとするから、たぶん無意識のうちにいろんなことが頭の中で整理されていって、突然、何かを思いついたり、何かに気づいたりする、ということの一つのあらわれが、今回の「なぜ目的もないのに礼文島に行くのか」の言語化だったのではないかと思っています。

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また(まだ)稚内のマラソンの話

8月のお盆の時期に礼文島へ行くようになったのは17〜18年前、礼文島船泊ユースホステルが民宿海憧になってからで、それ以前は毎年7月中下旬に行ってました。最初に行ったのは30年以上も前、当時はもうユースホステルは全盛期を過ぎた過去の遺物だと思っていたけれど、今から振り返ればまだまだユースホステルは若者の旅の中心だったし、ユースホステルを使って2週間も3週間も旅をする若者もたくさんいました…という話はさておき、かように、行動パターンは年月とともに変わっていくわけで、この数年は、お盆に帰るときに「じゃあ、また来年ね」と言って出ていくのに、帰った後ややしばらく経ってから急に思い立って9月(または10月)に礼文に行くというのがお約束のようになってます。

べつに狙ってそういうことをしているわけではなく、お盆に帰るときは、ホントに、次は来年のフラワーマラソンの頃かなあと思っているんです。でも、しばらくすると、秋の静かな礼文島に行きたくなってくる。お盆時期は、やっぱりそれなりの喧騒があって、それはそれで悪くないんだけど、観光客がぐっと減る9月はもっと悪くない。静けさを求めるのであれば、春先の、観光シーズンが本格化する前だって静かなんだけど、春先は、これから夏の観光シーズンを迎えるにあたっての準備期間であり、どこか、緊張感があるのに対し、9月とか10月になると、ああ、今年も無事にシーズンを終えることができてよかった、的な、ほっとした感があって、なんとなく、訪問者(旅行者)である側も、より一段と、安らげるのです。

前置きが長くなりましたが、そんなわけで、今年もまた、9月の礼文島を訪れました(<ここで「9月の」と書くか「9月に」と書くかは迷うところですが「9月の」なのだと思う)。ただ、今回が近年のパターンと違うのは、8月のお盆時期と9月の間に、稚内までは行っていることです。第1回日本最北端わっかない平和マラソンの楽しい記憶はいまだ鮮やかなままであり、次の大会があれば直近の記憶はまた上書きされるのでしょうが、今のところは、まだ、最新の記憶として保存されています。

ゴール地点。こういう角度から見られるのは、船の上だけです。

北防波堤ドーム

地震の影響で(震源地からは300kmも離れているのに)利尻島・礼文島でも宿泊のキャンセルが相次いでおり、船はガラガラ。それでも船の出航時刻が近づいてくると、乗り場には並ぶ人が出はじめます。たまたま、ぼくのすぐ近くに一人で座っていたお婆さんが「もう並んでる、並んだほうがいいのかしら、もう少し座っていてもいいのかしら」と独り言のようなことを口にしたので「大丈夫ですよ、ガラガラですから、並ばなくても大丈夫ですよ」と言ってあげたら、このお婆さんが独り言なのかぼくに話しかけているのかわからない話を始めて、どういうわけかそこで目の前に見えていた景色に気づいたようで「あら、あれはカラフトに行く船が出ていたところ?あんなに長かったんだ…私は八十六でしてね…」(「サハリン」ではなく「カラフト」と言った)

ちょうど樺太記念館に行った直後であり、また、ぼくもあのドーム型の防波堤を眺めながらいろんなことを考えていたところだったから、ぼくが、このお婆さんを引き寄せちゃったのかもしれない。

いろんなこと、というのは、稚泊航路のことだったり、あのドームの下まで線路があった頃のことだったり、樺太からの引揚船のことだったり、引揚者のことだったり、稚内駅の歴史のことだったり、C55 49のことだったり、昭和61年の種村直樹さんや仲間たちとの旅のことだったりと、あまりにも多くのことが、薄い膜が重なるように頭の中に浮かんでくるのですが、やっぱり、今は、ついこの間の、マラソンの記憶がすべてを凌駕するわけです。

船が出て、いつもならノシャップ岬(と運がよければその背後に見える利尻富士<ここから見えることはあまりない…ので、走っている間ずっと利尻富士が見えていた先日のマラソン大会はじつにラッキーだったと思うのです)の方向を眺めていて、その反対側はあまり意識したことがないのですが、今回は違いました。

礼文島行きの船の最後尾からの風景

この写真にぜんぜん収まらない範囲、この写真のずっと左側の宗谷岬から、右側の稚内の市街地まで、目の前に見えているところをず〜っと、あんなに長い距離を、ぼくらは、走ってきたのです。いや〜、こんなところを走ったのか〜、オレすげえな〜と、ひたすら、自分で自分に感心するばかり。そういう感想になるのは、日本最北端わっかない平和マラソンが、往復や周回ではなく片道コースだったからです。いまこうやって見るとコースの全部が視界に入ってくるけれど、あのときは宗谷岬から対岸に見えた稚内の町がひどく遠く感じたんだよなあ、いや、今だって、視界に入ってくるとはいっても、これ、すごい距離だよ、ホントにオレこんなところ走ったのか?走ったんだよ!…と、ガラガラの船のデッキで、感慨に耽ってました。

流氷まんじゅうとフェリーの乗船券

ホントはね、こういうものは、食べちゃいかんのですよ。重量オーバーだろうなあ、腹回りに肉つきすぎだよと、自覚はしていたものの、健康診断で体重測定したら想像以上の重さ(過去数年で最大重量)だったから、こういうのは食べちゃだめだよと思いながらも、毎回恒例なので、稚内フェリーターミナルの売店で、流氷まんじゅうを買ってしまいました。いつも同じことをやっていたのでは進歩はないのですが、いつもやっていることをやらないというのも、気持ちが悪い。習慣や伝統は、壊せばいいってもんじゃないですから。

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