熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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川内選手はひらひらが好き

昨日ほとんど見られなかったMGCの女子のレースを、今朝、録画で見ました。気づいたことが二つあって、女子も2位の鈴木亜由子選手はピンク色のナイキの厚底(ナイキズームXヴェイパーフライネクスト%)だったことと、女子はナンバーカードのスポンサーが東京メトロ(これは男子も同じ)とANESSAだったこと。

今朝の北海道新聞、社会面に「北海道マラソンから飛躍」の大見出し。



このANESSAのサンプル、北海道マラソンの受付のときに配られているのをもらったのですが、北海道マラソン当日は日差しがなさそうだったので使わず(曇っていても紫外線は出ているから日焼けはしますけど)、その翌週の日本最北端わっかない平和マラソンも曇り予報だったから使わず、未開封のままになってます。終わってみれば、北海道マラソンは雨は降るわ風は吹くわ強い日差しは出るわと天候が目まぐるしく変わり、わっかない平和マラソンは思いきり日差しを浴びてかなり焼けてしまったのですが。

女子の序盤、5人の集団になったときには、そのうちの4選手が、後ろにひらひらが付いている帽子をかぶってました。

こんなやつ(今年のカーター記念黒部名水マラソンのときのオレ)



ひらひらといえば、川内優輝選手。

2019年8月18日の北海道新聞掲載、8月12日の川内選手の講演録から


北海道マラソンの出場者へのアドバイスとして《首の後ろを守るため、帽子は後ろ側にひらひらが付いているものを勧めます》と書いてあります。

北海道マラソンの翌週に開催されたわっかない平和マラソンには、「川内優輝選手×あいおいニッセイ同和損保 マラソンキャラバン」のブースが出ていて、レース終了後には、川内選手と記念撮影ができました(ぼくも撮ってもらいました)。



ぼくの前に写真を撮ってもらっていた人が、後ろ側にひらひらの付いている帽子をかぶっていたのですが、その方が川内選手との写真を取り終えて席を立つとき、川内選手、嬉しそうに「そのひらひら、いいですね」と言ってました。

来月の東北・みやぎ復興マラソン2019にも、川内選手が招待選手として出場し、あいおいニッセイ同和損保マラソンキャラバンのブースも出るようですが、こちらはフルマラソンだけで12,000人の大会ですから、800人の稚内のような記念撮影タイムは難しいんだろうなあ。

東北・みやぎ復興マラソンの前に、ぼくには、まず、オホーツク網走マラソンがあるし、昨日のMGC見てると、あるいはみやすのんき氏の最新刊を読んでいると、走りたい!と思うのですが、北海道マラソン、わっかない平和マラソンの2週連続のフルマラソンの直後に遅い夏休みで台湾に行って、自覚以上に身体にダメージがあるらしく、台湾から帰ってきてすぐに近所をちょっと走ってみたのですが体が重かったこともあり、今日はひとまず休養して、11月3日までの間(の個人的フルマラソン集中軌間)の過ごし方でも考えることにします。

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厚底半端ないって

見ましたか、MGC。ぼくはずっと楽しみにしていて、だけど、もしかすると生中継を見られないかもしれないスケジュールが入ってきて、でもNHKがライブブロードキャストで男女のレースを配信してくれるというから移動中でもiPadで見られるなと思っていたら、直前になってNHKの配信のうち男子のレースの配信は中止になってしまったため、結局、スケジュールを調整して、男子のレースを最後までテレビで見てから自宅を出て(地下鉄だと間に合わないかもしれないので)タクシーをつかまえる作戦に切り替え、女子のレースの終盤は移動中にNHKの配信をiPhoneで見ました。

始まってすぐに、男子の選手たちの足元が、厚底シューズだらけであることに気づきました。いや、より正確にいえば、多くの選手が鮮やかなピンク色のシューズを履いていて、一瞬、なんだこれ?と思ってから、ああ、これが噂の厚底なのか、みんな厚底じゃないか!と、びっくりしたのでした。

ナイキの厚底シューズについては、たまたま(MGCとは無関係に)昨日読んだ「のんきか!みやすのんきか!」でおなじみ(?)、みやすのんき氏の最新刊『アルティメットフォアフット走法』(実業之日本社)に、市民ランナー目線で見た評価や実体験(みやすのんき氏は厚底シューズを履いて56歳にして自己ベストを更新)が詳しく書かれてました。みやすのんき氏ならではの、人体の構造に基づいたランニングフォームの考察もあり、この本は、とても、おもしろかったです(ようやく4時間半を切ったレベルのぼくには、実用性が高いとは言い難い内容ではありましたが)。



スタート直後から設楽悠太選手が飛び出し、どんどん後ろを離していくのは、かっこよかった。一方で、わ!これ大丈夫なのか?との思いもありました。でも、自分のやりたいように勝負するってすごいなとも思い、単純に、すげえなぁ!と思って、見てました。

ぼくは、MGCに出るような選手たちとは、もちろん、まったくレベルが違うんですけど、2週間前の稚内で、ぼくも、設楽選手みたいなことをやってるわけですよ。その前週の北海道マラソンで自分が思っていた以上に走れたから、もう少し上のレベルを目指してみよう、とにかく行けるところまで行ってみようと、オーバーペースの自覚はありながらも、序盤でがんがん飛ばしたら、25kmで力尽きちゃった。だけど、それは、自分がチャレンジした結果だから、後悔はないのです。

2週間前に自分自身がそういう経験をしていたから、設楽選手は大丈夫なんだろうか?と心配しつつも、でも、このレベルの人たちはこれで行けちゃうのかもしれない、これで最後まで行ったらすごいなと思いながら見ていて、30km過ぎてもまだトップを譲らないから、おお、もしかしてこれホントにこのまま行っちゃうのか!と期待したら、やっぱり、追いつかれてしまった。

レース後のコメントを見ると、設楽選手が疲れを感じたのは25kmだったとのこと。しつこいけどぼくとは全然レベルが違うんですけど、やっぱり、飛ばしちゃうと25kmで足が持たなくなるんですね。25kmで足が残っていなかったら、フルマラソンは、無理です。

終盤、大迫傑選手がトップに立ったときは、昨年の作.AC真駒内マラソンのコース脇に掲げられていた看板「大迫傑半端ないって!」を思い出しながら、思わず「大迫来た!」と叫んでしまったのですが、あの大迫選手をしても、あの美しいフォームがあれほどまでに崩れてしまうと、ダメなんですね(というか、足が残ってないから、フォームが崩れちゃうんでしょうけど)。

というわけで、サブ4.5ランナーのボクでも、学ぶことはたくさんありました。それと、東京の都心を走れるのは、うらやましい。ぼくは中学1年生から社会人12年生までの23年間、山手線の内側に通っていたし、浅草は毎年5月に某会行事で出向いていたから、東京の都心部の風景は、やっぱり、なじみがあるわけです。ああ、走りたいなあと思いました。

女子は、2017年北海道マラソン優勝の前田穂南選手が1位、2018年北海道マラソン優勝の鈴木亜由子選手が2位と、北海道マラソン優勝の二人が東京五輪出場権を獲得したのが、嬉しかったです。なんといっても、ボク、この両選手と同じ大会を走ってますからね。この2選手とも、どこかですれ違ってるはず(新川高校の前あたりかなあ)。そんなトップレベルの選手と一緒に走れるのが北海道マラソンの魅力であり、暑くて記録が出ないだの新川通が単調でつまらないだのエイドのフードが貧弱だの言われるけれど、やっぱり、北海道マラソンは、北海道のランナーの最大の祭典なのです。
 

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令和元年台湾鉄路九百公里(4)

気まぐれ列車的行程とはいっても、これだけは絶対に乗ろう!と決めていた列車が、一つだけ、ありました。台湾南部、枋寮(ファンリャオ)と台東(タイトン)とを結ぶ、1日1往復の、台湾国鉄に唯一残された普快車。枋寮10時40分発→台東13時05分着3671次(日本ふうに表現すれば3671レ)、台東16時10分発→枋寮18時22分着3672次。台湾鉄道通の諸先輩方が「いつ廃止になってもおかしくない列車だから絶対に乗っておくべき!」と、みな口を揃えて勧めてきた列車です。

枋寮は、高雄から1時間弱。



高雄9時35分発の自強号に乗ると、台東行き普快車の出発時刻の8分前に枋寮に着きます…というのは、時刻表上の話で、実際には自強号が遅れたため、枋寮駅の階段を駆け下りて、地下道を走って、普快3671次が待つホームへ駆け上がるという、落ち着かない乗り換えになってしまいました。そんなこともあろうかと、余裕を持って枋寮に着いておきたかったのですが、高雄9時35分発の前は7時14分発で、これはいくらなんでも早すぎる。

枋寮から台東までは98.2km、2時間25分。運賃は104元(360円ぐらい)。



台湾の鉄道のきっぷは列車ごとに出てきます。たとえば、台北〜高雄間であれば、自強号(特急的な列車)だと843元、莒光号(急行的な列車)だと650元、復興号(快速的な列車)だと542元。乗車券があって特急料金がある、のではなく、こういう体系になってます。このとき、ぼくは、高雄から枋寮までの自強号の切符を買って、自強号に乗って枋寮まで行き、枋寮でいったん改札を出て、台東までの普快車の切符を買うつもりでいました。ところが、自強号が遅れたため枋寮で改札を出て切符を買っている時間がなくなり、枋寮からは切符を持たないまま普快車に乗ってしまったのですが、通路を歩いてきた車掌さんに枋寮までの切符を見せたら、車掌さんが持っていた端末から、上の車内補充券(のようなもの)が出てきたのでした。

枋寮から台東まで100km弱で360円というのは破格の安さに感じますが、台湾は、総じて、鉄道の運賃が安い。東京〜名古屋とほぼ同じ距離の台北〜高雄(371.5キロ)で、特急に相当する自強号に乗っても、843元=2950円ぐらい。それでいてシートピッチは日本のグリーン車並みに広く、とても快適です。台北〜高雄には新幹線もあって、こちらは所要時間90分で1,490元=5,200円ぐらい。

さて、こちらは快適とはいえない普快車の話に戻りましょう。

いくら人気の列車といっても平日なら空いているだろうと思っていたのですが



枋寮でぼくが乗り込んだときは、もう、海側の席は、ほとんど埋まってました。3両編成のうちの1両目に至っては、団体さんが乗っていて、海側も山側も、ほぼ、一杯(この団体さんは台東の少し手前の知本駅=台湾南西部の有名観光地である知本温泉の最寄駅=で下車していきました)。鉄道ファンらしき人もいることはいますが、大半は、台湾の、普通の観光客の方です。




南国の海。




この風景を眺めるだけなら、自強号や莒光号のほうが快適です。冷房のない普快車は不快です。窓からの激しい風で髪の毛はボサボサになるし、トンネルの区間では耳がキーンとすることもあります。でも、みんな、わざわざ、この列車を選んで乗ってます。なんだかわかんないけど、この列車に乗っていると、旅してる、って感じがするんですよね。ぼく、こうやって書きながら、もう、また乗りたい!と思っちゃってますもん。

ここからは鉄道ファン(現地語でいうと「鉄道迷」)向けのお話。

枋寮〜台東間の南廻線は、2020年末までに電化される予定になっています。そのため、電化される前に(架線柱が立って架線が張られる前に)撮っておきたい!と考えて現地を訪れる撮り鉄さんが少なくないようですが、乗る側にとっても、電化されると、だいぶ、いろんなことが変わってきそうです。

駅は、電化に先がけて、ほとんどが、真新しい姿に変わっていました。



工事も、あちこちで、やってます。



この辺は架線柱が立ち始めています。



トンネルも含めて線路を付け替える箇所も多数あるようです。



ぼくが乗った日の普快車の編成は、枋寮方から、35SPK32757、35SP32578、40TPK32228の3両編成。枋寮方の2両が日本製で、デッキ付きの国鉄スハ44形タイプ。台東方の1両はインド製で、デッキはなく、両開きの自動ドアが付いてます。

昔懐かしい感じの、国鉄旧型客車と同タイプの、日本製客車。



車両中ほどに両開き自動ドアが付いた、インド製の客車。



駅に停車すると、車掌さんがドアの右上にある箱に鍵を差し込んで、ぐるっとまわす。そうすると、ドアが開きます。もっとも、それが必要なのはインド製の車両だけで、残りの2両の車両のドアは手動だから、車掌さんが何かすることはありません。放っておくと開いてしまうのか、手動の扉は開きっ放しで走っていた区間もありました。



全行程の中ほど、大武駅で、長時間停車。



宮脇俊三さんの『台湾鉄路千公里』の頃は、まだ南廻線が開通しておらず、宮脇さんは、台東から枋寮までの区間を、バスで旅しています。

《台東から一時間半、大武というやや大きな集落でバスは一〇分間休憩した。ここで太平洋と別れ、中央山地の末端を越えて西海岸に出るのである。》(宮脇俊三『台湾鉄路千公里』)

宮脇さんの旅から39年後、普快3671次は、大武で、20分近く、停車しました。

後ろから来て先に行く莒光号(彰化発台東行き)に道を譲る。



電源車。



客車。



この長時間停車の間に、ホーム上では、乗客のみなさんと車掌さんとの記念撮影が続いていたらしい、ということを、あとから知りました。そうだったのか、ボクも一緒に撮ってもらえばよかった、と思ったんだけど、鉄道迷のオレはホーム上でそんなことが行なわれていることにはまったく気づかず、車両や構造物を撮ることに熱中していたのでありました。



台東発のほうは、ちょっとだけ、乗りました。



上の写真は台東駅の改札口上に掲げられていた出発時刻表、いちばん上の16時10分発の普快車の次に16時55分発の自強号があって、時刻表通りなら上から2番目にあるべき16時32分発の太魯閣号は(25分遅れということで)3番目になってます。中国語が読めなくても、鉄道迷でなくとも、「晩25分」が「遅れ25分」であることは、まあ、わかりますわね。

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令和元年台湾鉄路九百公里(3)

大改修中の高雄車站(Kaohsiung Station)。
最近できたばかり(らしい)新しい駅は、めちゃくちゃカッコイイ。



ホームは地下にあります。



駅前のホテルにチェックインしたら、道路が大変なことになっていた。



これ、もちろん、バイク専用道ではありません。自動車もバイクも走る道路です。この前後の信号がバイク用と自動車用に分かれていて、バイク用が青信号になった後は、こういうことになります。これは夕方の写真ですが、朝はもっとバイクだらけの道路になってました。

バイクが溢れる道路橋を挟んで、奥にあるのが現在の高雄車站(高雄駅)、手前に見えるのが歴史的建造物としてこの場所に移築された旧高雄駅站の駅舎。



旧高雄駅站の建物は、曳家によりこの場所に移築された由。高雄駅站周辺の再開発が終了する頃には、この建物が上の写真の左側に移動し、再び駅の玄関口として使われることになるそうです。

旧駅舎は「高雄鐵路地下化展示館」という展示施設になっています。入場無料。…ということを文字で説明するのと合わせて、この建物の手前にある入口の写真を載せるのがこのブログのいつものパターンなのですが、どうやら入口の写真は撮らなかったらしい。たぶん、暑くて頭がまわってなかったのと、歩行者があまりに多くてカメラを構えているような余裕がなかったからだと思います。

中に入ったら、服務台(Information)のおばさまが声をかけてきた。



「Where did you come from ?」
「from Japan」
「あー、わたし、日本語、話せません…英語と日本語で説明します…ここは、seventy eight years ago、できました…just a moment」

そう言ってバックヤードに消えたおばさまは、しばらくしてから(あれ?どうしたんだろう?と思うぐらいの時間が経ってから)、何かを手にして、戻ってきました。

「ここは、seventy eight years ago、日本の方が、つくりました。日本、ありがとう。これは、おみやげです」

わざわざバックヤードまで行って(おそらくはかなり探して)持ってきてくれたのは、「高雄鐵路地下化 107年10月14日」の文字と、路線図と、イラストが描かれたクリアファイルでした。裏には「交通部鐵道局南部工程處 Southern Region Engineering Office,Railway Bureau,MOTC」の文字。中華民国107年10月14日というのは西暦2018年10月14日のことで、それが地下化が完成した日であり(つまりまだ1年も経っていない)、そのときに配布された非売品なのでしょう。

鉄道愛好家(収集家?)的に嬉しいという気持ち以上に、片言の日本語で、「日本、ありがとう」と言われたことが、嬉しかったです。じーんと来ました。この建物を未来永劫まで駅舎として残そうと判断した台湾の人々への感謝の気持ちで一杯になりました。こちらこそ、ありがとう。

この建物がすぐ下に見下ろせる高雄駅前のホテルの朝食、饅頭が美味しかった。



27年前に台湾に来たときは、台北の市街地でも、朝になると、そこらじゅうで饅頭やお粥を食べていて、そこらじゅうで湯気が上がっていたものですが、今回は、そうした光景は、もう、なくなってました。

高雄といえば、世界初の全線にわたって架線のない路面電車(高雄輕軌=LRT)も楽しみだったのですが、まさかの15分間隔運転に、ぼくが高雄の街がこんなに大きいことを理解していなかったこともあって、停留所で充電するところを見ただけで、今回は乗ることができませんでした。高雄は、高鉄(新幹線)を使えば台北から1時間半、あるいは新千歳空港からの直行便もあって、その気になればすぐに行ける場所ですから、そのうち、架線レスLRTが延長開業したら、または高雄駅站周辺の再開発が完成したら、いや、それより前でもいいんだけど、また行けばいいや。



そう思って帰ってきてから、札幌マラソンのサイトの右下に「2020 KAOSHUNG MARATHON」の文字があるのを発見。バナーをクリックしたら「2020高雄マラソンに無料で参加できます」との案内が!

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令和元年台湾鉄路九百公里(2)

(1)で書いたように、台湾東部の台東線(花蓮〜台東)は、40年ほど前までは、他のどの路線とも繋がっておらず、線路の幅も台湾の他の路線より狭い、孤立した路線でした。その台東線は、線路の幅を広げ、また、起終点の花蓮や台東の駅を移転させることによって、現在では、台北や高雄への直通列車が行き交う路線へと変貌しています。

花蓮も台東も、街の中心は、いぜんとして、かつて駅があった場所の周辺です。どちらの街でも、駅から旧市街地まで、タクシーで移動したのですが、花蓮は現在の駅とかつての駅の場所がさほど離れていないこともあってか、駅から旧駅跡まで市街地が連続している感じ。一方の台東は、駅を離れるとしばらくは賑わいから遠ざかり、このままどんどん寂しくなっていくのかと思ったら商業エリアが登場する、といった感じでした。

旧駅跡地は、どちらの街でも、文化施設として活用されています。

花蓮鐡道文化圓區






台東鐡道藝術村







かつて市街地にあった鉄道にまつわる構造物が、文化や芸術の情報発信基地として、あるいはカフェとして、などなど、さまざまな形で、市民生活に活用されています。車両をきれいに保存して展示する施設、とういよりは、かつてここに鉄道があったことを感じながら市民が集う施設、といったイメージです。

どちらも、車両を柵で囲うようなことはしておらず、車体については、最低限の補修はしているものの、屋根などはなく、雨風に晒されるがままに置かれています。車両や線路を残しつつ、かつて鉄道運行に利用されていた施設を別の形で活用することで、街の発展を支えた鉄道がコミュニティのシンボルとして位置づけられているような印象です。

…と書きながら、現地に持参していったガイドブックなどなどを今になって見直してみると、ボク、じつに、いろんなものを、見落としていたようです。とにかく暑いから、外を歩いていると、頭の中が機能不全に陥るのです。台東は立ち寄っただけだから仕方ないにしても、花蓮は宿泊もしたから、翌日に出直すこともできたはずなのですが、そう思っていても、朝起きてギラギラの太陽が照りつけているのを目の当たりにしてしまうと、もうどうでもいいや、って気分になっちゃうんだよなあ…

それもこれも、事前にちゃんと調べることなく、行き当たりばったりで旅をしているから、なのですが、行き当たりばったりだからこその楽しみもあり、あらかじめカチッとスケジュールを決めて分単位で動くような旅をしていたら、その辺の普通の食堂に入って何かを食べたり、街の雰囲気を感じたりすることはできないわけで、これはこれで、いいんです。気になるならば、また、行けばいいだけのことだ。

花蓮の市街地で見つけてしまったポスター。



花蓮太平洋縦谷マラソン、2019年12月7日開催。申込期限は9月1日とあり、惜しくも間に合わなかった、というべきか、間に合わなくてよかった、というべきか。大阪マラソンの抽選に外れたから、12月前半には、マラソン大会に出る予定がない。この申込期限が間に合っちゃってたら、申し込んじゃってたかもしれない。花蓮は、いい街でしたから。

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令和元年台湾鉄路九百公里(1)

1980年に刊行された宮脇俊三さんの『台湾鉄路千公里』は、いま読んでもおもしろい、宮脇作品初期の名作です。タイトルの「千公里」は、当時の台湾鉄路管理局(台鉄=台湾国鉄)の路線長が1,000キロ余りだったことに因んでいます。

台湾の西側、つまり台北から高雄にかけては、いわば表台湾で、耕地は広く、人口の大半がこの地域に集っている。高速道路があり、鉄道も複線電化の縦貫線を「自強号」をはじめとする高速列車が走っている。
これに対し東側は険しい台湾山地が迫って平地が少ない。とくに東北部は断崖がつづき、台北方面との陸上交通を阻んでいた。鉄道も花蓮―台東間に狭々軌(ナロー・ゲージ、軌間七六二ミリ)の台東線が孤立してあるのみで、陸の孤島といわれた東部台湾を象徴していた。
(中略)
そういう地方であったが、今年の二月に画期的な工事が完成した。待望の「北廻線」が開通したのである。
北廻線は宜蘭線と台東線とを結ぶ鉄道で、これの開通によって、台北から東部台湾の中心都市花蓮まで汽車で行けるようになったのだ。
(中略)
私が台湾に行こう行こうと思いながら今年まで延ばしてきたのは、北廻線の開通を待っていたからでもあった。
(宮脇俊三『台湾鉄路千公里』)


そんな北廻線の開業から10年余を経て南廻線が開業し、台湾の鉄道路線図は、ようやく、一つの輪になりました。「輪」の総延長は、875.9キロ。今回、ぼくは、その「輪」の部分と、台湾高速鉄道(高鉄=新幹線)の一部区間36.4キロの、計912.3キロに乗ってきました。

北廻線の嶮路を抜けた「莒光号」は定刻17時29分、花蓮新站(新駅)に着いた。
花蓮新站は北廻線とともに新設された駅で、市街の西はずれにある。従来の花蓮駅、つまり台東線の花蓮とは二キロぐらい離れているが、台東線に接続させるため、線路は先へ三・四キロ延びて吉安に至っている。吉安は台東線の花蓮から二つ目の駅である。
これで、陸の孤島と言われた東部台湾を象徴するかのようにポツンと孤立していた台東線が中央と結ばれたわけだ。北廻線のレール幅が一〇六七ミリであるのに対し、台東線は狭々軌の七六二ミリなので直通運転はできず、吉安で乗り換えなければならないのは不便だが、台北から台東まで鉄道だけで行けるようになったのは画期的なことである。
(宮脇俊三『台湾鉄路千公里』)


台東線は、宮脇さんが乗った2年後の1982年に一〇六七ミリ幅に改修され、他の路線との直通が可能になりました。さらには、2014年には一部区間の線路の付け替えを行ったうえで電化が完成し、現在では普悠瑪(プユマ)号という最高速度140km/hの最新型電車特急がかっ飛んでます。

だから、というわけでもなく、人気の普快車(非冷房旧型客車鈍行列車)から、ちょうどよく接続するのがこれだったから、というだけの理由なのですが、台東〜花蓮は、普悠瑪号に乗りました。



車両が新しいから、車内もきれい。快適です。



普快車からの接続がちょうどよかった、というのは、ぼく的な基準での「ちょうどよい」であって、時刻表上は、普快車の台東到着後に出発する列車は、普悠瑪号の前に、2本あります。

普快車の台東到着の5分後に出発する太魯閣(たろこ)号は、花蓮まで150.9キロの間の途中停車駅が一つしかなく(普悠瑪号は10駅に停車します)、所要時間は1時間27分(普悠瑪号は1時間57分)、表定速度は104.1km/hというスピードスター。ただ、接続時間が5分しかないから、普快車が遅れると、乗れない可能性もある。ぼくは、台東までの普快車に2回乗りましたが(物好きだねぇ)、2回とも、台東到着は定刻よりも遅れました。うち1回は、普快車が台東駅のホームに滑り込むと同時に、客車の扉が手動なのをいいことに、まだ動いている列車から駅のホームに飛び降り、階段を駆け下りていったワイルドなおじさんがいました。たぶん、時刻表上は5分で接続することになっている太魯閣号に乗り換えたのでしょう。

手動だから開けっぱなしでいい、ってわけじゃないけど、トンネル内走行中も開いたままの扉。



列車の最後尾も開いたまま。ここはもともと扉が付いていないのだから閉めようがなく、転落防止用のバーと鎖が設置されていました。



普快車の台東到着後に出発する2本目の列車は、普快車の始発駅である枋寮を普快車の54分後に出発する自強号。この列車の台東発は、普快車の到着から10分後に設定されているので余裕で乗れそうに思えますが、ぼくが普快車に2回乗ったうちのもう1回では、普快車の遅れが15分ほどになっており、本来は普快車の台東到着後に台東に着くはずの自強号が、台東の一つ手前の康樂で、普快車を追い越していきました。



自強号は康樂を通過するものの、その一つ手前の知本には自強号も停車するので(自強号の知本出発は普快車の12分後)、普快車から自強号に乗り換えたい人は知本で乗り換えればいいだけのこと。知本で車掌さんが何か案内していたのはそういうことだったのかもしれないと、あとから思いましたが、いずれにせよ、台湾の列車は長距離列車が多いだけに、5〜10分程度の遅れは常に発生し得ると考えておいたほうがよさそうです。

もっとも、遅れたら接続する列車は待ってくれないのかといえば、そんなこともなくて、ぼくが高雄から枋寮まで乗った列車は10分近く遅れて、枋寮に着いたときは、もう、普快車の発車時刻になってました。まわりの人と一緒に階段を駆け下りたのですが(「水曜どうでしょう」の鳥栖駅を思い出した)、普快車が出発したのは、それからしばらく経ってから。これまた、あとから考えれば、ぼくが乗っていた列車(自強号)が枋寮を出発する前に普快車が出てしまったら、普快車が自強号の前を塞ぐ形になるのだから、数分程度の遅れであれば普快車の出発を遅らせるに決まっているのですが、焦っているときというのはそういうことを考える余裕すらなくなるものなのです(ましてや、不慣れな海外ですから)。

長くなってきたので、ここでいったん終了。続きはまた明日にでも。
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二度目の台湾

遅めの夏休みで台湾に行ってきました。
前回の台湾旅行は1992年でしたから、27年ぶりということになります。

阿里山鉄道が目的だった前回は嘉義まででしたが



今回はさらに南下して高雄を訪れ



さらに南下して、前回の訪問時には台湾最南端駅だった枋寮で乗り換えて



その先の南廻線に残る1日1往復の客車鈍行列車に乗って



(参考:なぜか? 台湾で一番「不快」な列車に群がる観光客の不思議。―Yahoo!ニュース2018年10月7日)



絶景を堪能し



台東ではスコールに遭ってズブ濡れになりかけ



花蓮を通って



台湾を、鉄道で、一周してきました。

総じて、列車は、よく乗ってます。台湾の優等列車は全車指定席ですが、週末の花蓮から台北は午後の列車がほとんど満席で、やむを得ず、スケジュールを変更せざるを得なかったほど。もっとも、スケジュールというほど立派な予定があったわけではなく、1泊目こそ事前に予約していたものの、2日目以降は宿も決めないまま出かけるなど、ざっくりしたまわり方しか考えていなかったので、列車が満席のときには、それに合わせて、都度、行程を組んでました。

唯一、「無座」(立席特急券)を使ったのは、高雄から枋寮への行程。



ここだけは、これに乗らないと、南廻線の1日1往復の客車鈍行=いつ廃止されてもおかしくないと言われているからこれだけはどうしても今回乗っておきたかった=に乗れないから、「無座」でも、この列車を使わざるを得なかった。

この「無座」に直面して以降、長距離の移動の場合は、駅に行く前に、台湾鉄路管理局(台鉄)のインターネットサイトで事前予約するようにしました。日本だとネット予約した指定券は駅で紙の切符に引き換えることが必要ですが、台湾では、スマホの画面にQRコードが表示されて、それを自動改札にかざせば列車に乗れます。台湾の大きな駅の窓口は混んでいることが多いので、これは便利でした。

当てずっぽうで入った町の食堂は激安激ウマ。



こちらはネットで見つけた有名店。



あちこちの町で、夜市を楽しみ



本場のタピオカスイーツをいただき



町のスイーツ屋さんにおける北海道ブランドの強さを認識。



そんなふうに、いろんなことに慣れてきて、ようやく台湾がおもしろくなってきた頃には、もう、帰国。まあ、旅というのは、そういうものです。帰るところがあるから旅ができるんだよと教えてくれたのは、学生時代にヘルパーをやらせてもらった小清水ユースのペアレントさんでした。

往復は、樂桃航空ことピーチ・アビエーションの新千歳空港〜台北便を使いました(往復で総額3万円台)。帰りの台北発は午前3時(日本時間4時)だったので、ねむねむモードですが(今も)、朝の8時に新千歳空港に到着するのは便利です。



台湾は27年ぶり、そもそも海外旅行がかなりひさしぶりだったこともあり、さまざまな発見があって、とても勉強になりました。その辺は、また、追々、このブログに書いていきたいと思っています。



台湾滞在中、旧知のみなさまから電話やメールをいただき、種村直樹先生の奥様が亡くなられたことを知りました。最後にお会いしたのは、数年前、先生が亡くなられてからしばらく経った後、わざわざ札幌にお越しいただいて、食事をご一緒したときとなりました。30年以上前、我が家が火事に遭ったときは、種村夫人から、さまざま、ご配慮いただきました。最近は具合がよろしくないことを伝え聞いており、お見舞いにうかがうチャンスもなかったわけではないのに、永遠にその機会が失われてしまったことは、少し、心残りですが、あらためて、長年にわたりお世話になりましたことを感謝申し上げます。

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続・第2回日本最北端わっかない平和マラソン

走っている間も、ゴールしてからも、ずっと気になっていたことがありました。大会公式サイトに情報がないかと何度もアクセスし、Twitter検索も繰り返し行っていたのですが、ようやく、わかりました。

稚内プレス「感動の稚内マラソン 川内選手が雪辱の優勝果たし市民ランナーも健闘」(2019年9月2日)から:

「フルマラソン出場男性救急搬送」
1日正午前、平和マラソン大会のフルの部に出場した道外の20代男性が走行中に倒れ、心肺停止の状態で救急搬送された。
稚内消防署などによると、声問地区を走っていた男性は倒れて直ぐ、近くにいた医療スタッフら救護班の素早い応急措置により、病院で意識を取り戻したという。


これを読んだ大多数の人は「そんなことがあったのか!」と思うのでしょうが、ぼくは、自分が走っているときに、このランナーが心臓マッサージを受けている場面に出くわしていたのです。仰向けに横になったランナーの胸を、救護スタッフが、何度も何度も、強く、押さえつけているだけでも、ただならぬ事態であることは伝わってきたのですが、その後ろでモニターを眺めているスタッフが「心肺停止!」と叫ぶ声が聞こえてきて、その後、猛スピードで走る救急車とすれ違ったときには、思わず「遅いよ!急げ!間に合ってくれ!」と呟いてしまったほどでした。

だから、ずっと気になっていて、何か情報はないかと探し続けていて、死亡事故とのニュースがない以上は大丈夫だったのだろうと思いたいけれど、「心肺停止!」の声が頭に残っていたから、ずっと、心配していたのです。

稚内の平和マラソンは、北海道マラソンのように多数のランナーが走っているわけではなく、後半になるとコース上のランナーは「まばら」といった感じになるから、倒れた瞬間は誰も気づかないことも十分にあり得ます。そんな中でも、このランナーの命が救われたのは、絶えずコース上を行ったりきたりしていた自転車の救護スタッフのおかげです。そして、そうした体制を整えていた大会事務局のみなさまのおかげです。

振り返ってみるに、今年の大会は向かい風よりも日差しのほうが気になって、ゴールした直後に、一緒にゴールテープを切ったランナーが発した第一声も「お疲れさまでした!暑かったですね…」(「ですよねえ、風は去年より楽だったけど、暑かったですよね!」「風はそうでもなかったですよね」)でした。ランネットの大会レポを見ても、去年も走っていた人は、今回は風はさほどでもなかったと書いてます。

が、それは、去年も出た人の感想で、やっぱり、向かい風は、厳しかったらしい(風がたいしたことなかったと言っているのは、去年も出た人ばかり)。序盤はそうでもなかったけれど、後半は、やはり、強い向かい風に晒されていたらしい(去年と同じパターンだ…)。

20km過ぎ、私設エイドで給水をいただく。



どうですかお客さん。最近とみに髪が薄くなりはじめているボクの髪の毛が、オールバックになってます。稚内はほぼワンウェイのコースですから、風向きは、最後までほとんど同じままです。これは、やっぱり、きついです。

上の写真は、Facebookで発見されたもの。ここで私設エイドを出していた方が投稿していた写真が顔認証されて、ぼくのFacebookの「お知らせ」に出てきました。写真を撮った方にはFacebook上でお礼を伝えました(いい時代になったな〜)が、それはそれとして、まだ20kmなのにこんな苦しそうな顔してたら、そりゃ、走れないですわね。20kmの通過タイムは、ついこの間までの自己ベストだった去年の東北・みやぎ復興マラソンよりも15分近く早くて、最新の自己ベストの今年の北海道マラソンと比べても8分も早いんだもの。無茶したなあ(笑)。

もうひとつ、上の写真で気になるのは、右の腿の上に白い何かが出ていること。このランニングパンツは、ポケットに重いものを入れるとポケット部分が下に飛び出してきてみっともなくなる、というのを、すっかり忘れていて(だから北海道マラソンではこれじゃないランニングパンツを履いた)、ポケットに井村屋のスポーツようかんを入れていたのでした。この20km過ぎではもう下に飛び出ていることに気づいていて、ようかんを消費すれば取り繕えるのかなと思いつつも、朝ごはんを食べすぎた(バカですね〜)ことに加え、給食ポイントでエネルギージェルもらえたから、結局、最後まで、ようかんは使わずじまいでした。

さらにこの写真で見えない部分にも、苦しみがありました。ランニングパンツの下のパンツ(下着=いわゆるパンツ)は、北海道マラソンのときと同じものを着用していたのですが、どういうわけか、右の裾が擦れて、このときは、もう、かなり、痛くなってました。こりゃゴールする頃には血だらけだろうなあと思いつつも、どうにもしようがない。途中でワセリン塗るわけにもいかんですからね。

そんなことも含めて、楽しい稚内マラソンでした。ワンウェイコースだから公認記録にはならないし、ホテルはめちゃくちゃ高いし、制限時間は5時間半と厳しいし、なにより北海道マラソンの翌週というタフな日程はランナー泣かせではあるのですが、地元のみなさんと自然体で触れ合える規模の小ささは、とても大きな魅力です。小規模でもランナーの救護体制という最も重要な要素はしっかり整備されていることは、今回のことで、よくわかりました。

もうひとつ付け加えると、小規模だからというのもあるのでしょうが、ペースランナーを務める作.AC北海道、北海学園大学陸上部、作.AC札幌、作.AC旭川のみなさんのフレンドリーで温かいサポートも、この大会の魅力を高めています。終盤、ゴールを目の前にしながらさらに5キロ弱を往復させられる厳しい区間で、3時間あるいは3時間30分のペースランナーを務めた若い人たちが沿道から声援を送ってくれたのは、とてもありがたかったです。

さきほど書いたように、この大会の制限時間は5時間半なのですが、ゴールの様子を見ていたら、37.5km関門をクリアした人は5時間半を超過しても最後まで走らせてもらえたみたいです。最後は、5時間30分のペースランナーを含む全員が手をつないでゴールしてました。もう会場はほとんど撤収ムードだったのですが、みんな、すごく、楽しそうでした。

川内選手は来年も出たいと言っているようですし、ぜひ、来年は、みなさんも、一緒に走りましょう。まだフルマラソン走ったことがなくても、半年あれば、なんとかなります。当日は、稚内のみなさんや、ペースランナーが、背中を押してくれます。だから、大丈夫。

今月のANAの壁紙カレンダーは稚内。まさしく、この海岸線を走ります。



33km過ぎ、通り過ぎたばかりの給水所から「しゅうだんきま〜す」の声が聞こえてきて、あ、ついに4時間30分に追いつかれちゃうんだなと、自分のレースを諦めた(^^;)とき(この先の赤いコーンのところで左に曲がります)。



40km。反対側を走ってくるのは往路のランナー。



残り1.5キロぐらい、かな?



歩いたっていいんです。5時間30分以内にゴールすればいいんです。人気の大会に比べると「おもてなし」系は弱いかもしれない、けど、作られたおもてなしでない、自然体の「おかえりなさい」な空気が、この大会にはあるんです。

ぜひ、来年、一緒に走りましょう(>誰となく)。

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第2回日本最北端わっかない平和マラソン(2019年9月1日)

去年に続いて、北海道マラソンと2週連続のフルマラソン。先週の北海道マラソンで望外の記録が出たことで、正直なところ、モチベーションはダダ下がりだったんですけど(先週Hクンとパフェ食べながら「稚内行かなくてもいいんだけどねえ」とまで言ってしまったほど)、せっかく申し込んでるんで(というよりも本音を言うと早割で取った飛行機やホテルのキャンセル料が結構高いんで)、行ってきました。



去年は北防波堤ドーム前だったバス乗り場が、手前の公園に変わってました。それはありがたいことなんだけど、手荷物預かり所もここに移したのは、なんでなんだろ?これ、宗谷岬で荷物預けた人は、ゴールした後どこで受け取ればいいかわかんなかったと思うよ。こんなところまで取りにくるのは面倒なので、ぼくは、ホテルに預けましたけど、ゴールから手荷物預かり所へ行くよりもホテルのほうが近いというのは、なんか、へんだな。

6時50分過ぎのバスに乗って、宗谷丘陵を抜けて、7時35過ぎに宗谷岬へ。

「平和」マラソンがこの日に開催されることには理由があるのです。





ここで1時間半待たされるのは去年と同じで、これだけ時間があれば一通りの宗谷岬観光ができるからありがたいんだけど、雨だったらどうするんだろうなあ…という不安は、やはり、残ります。ぼくは荷物は稚内のホテルに預けてきていたので、ここではもう着替えることはせず、ランナー姿の上にレインコート(捨てる前提の108円商品)を寒さ対策として羽織っていたのですが、そんなの着てると暑いぐらい。

でも、風は強い。今年もまた、向かい風。



お約束の最北端の碑での記念撮影。



スタート前セレモニーは、爆笑(失笑?)の渦。川内優輝選手は登壇の紹介受けたのに「川内選手は、まだ、お姿が見えないようです」とのことで、遅れて登場。その辺のゆるさや、時折会場から笑いが漏れるあたりも、この大会の魅力です。



人数が少ないので、スタートのロスタイムはほとんどなく、スタートラインを越えたら普通に走れます。



なんか後ろからたくさん足音が聞こえてくるなあと振り返れば、4時間のペースランナーが引っ張る集団でした。ありゃ、オレそんなところ走ってんのか、いくらなんでもそれは速過ぎるし、後ろから追われてるみたいで気になるので、ペースを緩めて集団をやりすごしたのですが、でもここまで気持ちよく走れてるんだし、今年は去年ほどには向かい風が強くないし、このコースはそれほどのアップダウンがあるわけでもないので、行けるところまでこれに付いていこう!と考え直し、そのまま集団にくっつきました。



この集団の中で走るのは、楽でした。集団の後ろで走っているサポートランナー(作.AC北海道のSさん)が、「日差しも出てきてるんで給水取ってくださいね〜、もうすぐ給水所ですから一列になってくださ〜い」とか、「風が強くなってきたので集団の中に入ってくださいね〜、前の人を風除けにしてくださ〜い」とか、都度、アドバイスをくれるのもありがたい。

しかし、さすがに、ぼくには、このペースはきつかった。無理すればまだ付いていけそうではあったものの、こんな最初のほうで無理しちゃったら最後まで持つわけがないので、14キロ過ぎで離脱しました。

離脱すると、こうなる。



風は避けられないし、前後にほとんど人がいないから、走りづらくて仕方がない。4時間15分というペースランナーがいればそこに付いたんだけど、4時間の次は4時間半で、先週4時間24分台で走った身としては、4時間半のペースメーカーに付くのはつまらない。

国道からいったん外れて第一折り返しまでの狭い道は、去年は風がなくなって快適に感じた場所。ところが、今年はそっちの道に入った途端、暑くてたまらない。風がなくなったら、ものすごく蒸し暑い(路面が濡れているのが不思議で、途中で沿道のスタッフに聞いたら、この少し前に、この辺だけ雨が降った由)。

りんぞうくんも暑かったと思う。



国道に戻ったら、まだ25キロなのに、先週の北海道マラソンの35キロみたいな感じになっちゃって、スピードがぜんぜん上がらない。先週、ちょっと走れたからといって、序盤で4時間のペースランナーにくっついたのは、やりすぎでした。

それでも、北海道マラソンだとランナーも沿道の応援もたくさんいるから、どうにか気力で走り続けられるんだけど、ここはランナーも応援もいないから、こういう状況に陥ると、簡単に気持ちが折れます(笑)。




そのうちに、どこかから、ジンギスカンの美味しそうな匂いが…

これでした。





ここで、がっつり休憩。もう、完全に、タイムがどうでもよくなりました。スタートしたときは、先週の北海道マラソンのタイムは上回りたいなあ、あわよくば4時間15分ぐらいで走れればいいなあ、なんて考えてたのに、そうした思いをすべて台無しにするジンギスカン(笑)。美味しかったです。稚内木馬館のみなさま、ありがとうございました。ごちそうさまでした!

国道から離れて海側の倉庫地帯に入り、33キロの給水給食ポイントの先で、ついに4時間半のペースメーカーに抜かれる。



ぼくがよほどキツそうに見えたのか、集団の少し後ろを走っていたサポートランナーが「大丈夫ですか?」と声をかけてくれて「大丈夫です」と答えたら「まだ4時間半いけますよ!」とエールを送ってもらいました。ホント、今回は、あちこちで、サポートランナー(作.AC北海道と北海学園大学のみなさん)にお世話になりました。

それとすごいのは沿道の応援です。数は少ないです。でも、途切れ途切れに登場する沿道の人たちが、みんな「がんばれ!」と言ってくれる。途切れ途切れなだけに、それが、すごく励みになるのです。ふだんの生活で、こんなにたくさんの人から「がんばれ!」と言われることなんてないでしょ。嬉しいよねえ。

右手に青い海、正面に百年記念塔。素晴らしい眺め!



36キロ。



うろこ亭さんの私設エイド。



去年は残ってなかったメロン。今年は(ぼくが早いから)たくさん残ってた。



もうタイムどうでもよくなってるし、メロンがあまりに美味しいので、しばらく立ち止まっておしゃべり。「去年のコースだったらあと少しだったのにねえ」「いえいえ、あと6キロですから、頑張ります!」

37キロ。



うまくタイミング合えばどこかで特急サロベツ4号とすれ違えるかもしれないと楽しみにしていたのですが、ぼくが想定外に速すぎて、特急サロベツ4号は、まだ、稚内駅を発車してなかった。

稚内駅前を過ぎると最後の関門(37.5キロ、スタート後5時間で閉鎖)があって、去年のコースはここで右に曲がっておしまいだったのが、今年はここからさらに4.6キロ、付け足しみたいなところを走ってこなきゃいけない。これはつらかった。沿道の人たちは変わらず声援を送ってくれるものの、走っている人の数が少ないから、どこに折り返しがあるのかが見えない。



折り返しに近づくと、その先にノシャップ岬の赤白灯台が見えてきて、テンション上がります。



この折り返しの後のラスト2キロちょっとは、よかったなあ。だんだん近づいてくるサフィールホテル(旧全日空ホテル)に、左は利礼ドーム。ぼく、しょっちゅう稚内行ってますけど、あのドームを裏側から見たことはなかった。背後から見ると、なるほど、あれは稚内桟橋駅を大波から守っていた防波堤なのだと、じつによくわかります。最後の最後に、ここが北への玄関口でもあることに思いを馳せることができるのは、とても嬉しいです。



コースが変わったおかげで、ゴールへの直線が長くなったのも、よかったです。たくさんの人が待ち構えている様子がかなり手前から見えて、すごく楽しかった。

というわけで、2週連続フルマラソン、無事、完走。



最後に少しだけ頑張って、結果、帳尻合わせみたいなタイムになりました。



ステッカーは、優勝した川内選手からもらいました。
アシックス履いてる人限定だそうです。



今年も楽しかった。ありがとう稚内。



また来年!

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