熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)/よかれと思ったことは、即行動へ!
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親近感と安心感

寒いですね(@札幌)。

さて、昨夜配信された宇都宮徹壱公式メールマガジン「徹マガ」の最新号「オランダから見た日本サッカーの15年 サッカージャーナリスト 中田徹インタビュー(後篇)」を読んで、ちょっと嬉しくなって、あれ?嬉しくなっていいのかな?と不安になって、いや、いいんだいいんだと納得した、という話を書こうと思う。

海外サッカーのことはかつての鈴木隆行並みに知らない私は、中田徹さんという方はまったく存じ上げず、このインタビューで初めて存在を知った。「徹マガ」がおもしろいのは、そんな私でもインタビュー記事をおもしろく読めるところで、それはなぜかといえば、聞き手である宇都宮徹壱さんの関心が、たとえば今回のインタビューでいえば半分は「オランダサッカーから見た…」の部分なんだけど、残りの半分はインタビューの相手(この場合でいえば中田徹さん)の生き方にあるからなんじゃないかと思う(そこを宇都宮さんが意識されているのかどうかはわからん)。

フリーの書き手が有料で自分の媒体を持つというのは、基本的にはカネの問題だと思うんだけど(取材費持ち出し→商業媒体で回収というモデルが成立しなくなってきてる世の中ですから)、もともとサッカーを書きたくてこの世界に進んだわけではない(と思われる)宇都宮さんの場合には、既存の媒体では書けないことが書けるというおもしろさが発生している。

今回の例でいえば、たいていのサッカーorスポーツの媒体は、どうしたって、オランダサッカー云々のところにスポットを当てざるを得ず、中田徹さんがオランダに移り住んでサッカージャーナリストになるまでの話なんか、文字にはならないわけですよ。それは媒体制作者(編集者)からすれば「読者の関心はそこではない」ってことになるんだろうけど、そして、それはたぶん正しいんだけど、それだけじゃないと思うんです。

読者っていうよりも、商業媒体の制作サイドが、フリーの人の生き方に関心がないんですよ。制作サイドっていうより、お金を出す人、最終決裁を下す人っていうべきなのかな。みなさんそれなりのサイズの会社に勤務していらっしゃるわけだから、自分が会社を辞めようと思っていない限り、フリーになってどうやって生きてきたか、なんてことへの関心は、オランダサッカーから見た日本サッカーの、への関心に比べれば、あったとしても非常に薄い。

そんなこと決めつけないでくれよ、と頬を膨らまされても困る。

今回のインタビューに登場している中田徹さんは、私と同学年であり、似たようなところで大学生活を送って、とりあえず名前が書ければ大丈夫だよみたいな就職活動で就職して(っていうか私もそうなんだけど就職活動なんてほとんどしなくても入れたんですけど)、大会社に勤めていたのに自分から辞めたっていうところも同じで、しかも退職した時期が私とまったく同じ。そのときに「しばらくは貯蓄があるからなんとかなる」と考えていたことも同じ。勝手に「あ、同期退職だ」と思ってしまって、名前も知らない方だったのに、その時点でもうすっかり同志のような感覚になっちゃってる。

徹マガを読んでいたiPadをバッグに入れて、凍りついた足元に気をつけながら歩きつつ、なんでこんなに気分がいいんだろう?と考えてみる。そして、あ、そっか、同じような(と勝手に私が思っている)道を辿ってきた人が、こうして活躍していることが嬉しいんだ、と気づく。

あのまま会社を辞めずにいまも同じ会社(は、もうないんですけど)に勤務していたらどうなっていただろう?と想像してもまったく想像がつかないんだけど(そのぐらい非現実的ってことなんだろうな)、だからあのまま勤務していても、あるいは、どこか別の会社で働いていたとしても、もしかしたら同じようなことを考えていたのかもしれない、とも思うのだが(同じ人間ですからね)、とりあえず大事故を起こさなければ収入(=給料)がゼロになることはないという世界から離れてしまった私は、1年後はまあどうにかなるだろうと思えても、10年後20年後30年後はどうやって生きているのだろう?と考えて、不安になっちゃうことが、わりとよくある。

だからね、今回の中田徹さんのインタビューみたいなのを読むと(「みたいの」って言ってるけどここまでどんぴしゃなのはめったにない)、ああよかった、同じような境遇でも立派にやってる人いるじゃん、おれもやっていけるよ、って思えるのね。

でも、すぐに、そんなことで前向きになっちゃっていいのか?そんなことで安心していいのか?それって何の問題の解決にもなってないぞ、と、頭の中でもう一人の自分が語りかけてくる。

そこで使えるのが、みうらじゅん言うところの「不安タスティック」なんだよ。不安→希望→不安タスティック→前進。いつも不安タスティックだと疲れちゃうじゃないですか。だけど、あれこれ動いていれば、そこに希望をまぶすようなことに出会うってわけですよ。

ところで「徹マガ」をiPadで読んでるっていうのは、最近の「徹マガ」はePubでも配信されてて、これがiPadで読むとすごくいいね!なんですわ。ついこの間までほとんど置物と化していたiPadなんだけど、「徹マガ」のePubと「超」整理手帳 for iPadのおかげで、かなり復権しております。これなら割賦支払が完了(もうすぐだ)したら、iPad2(iPad3?)を買っちゃってもいいかもしれない(すっかりAppleのマーケティングに乗せられちゃってますなあ)。
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聞く力−心をひらく35のヒント/阿川佐和子

私がここで紹介しなくても、読む人は読むだろうし、それなりに売れるんでしょうけど、おもしろかったから、紹介しておきます。

阿川佐和子さんといえば、ツデイツデイ…のテレビで蝶ネクタイのおじさんの隣に座っていた人、最近ではTVタックルの人、なんですけど、それらを見たことのない人にとっては、また違うイメージかもしれないし、よくわからない人かもしれません(私がテレビの人としての生島淳氏をまったく知らないのと同じように)。さらに最近では土曜日の朝にテレビでやってる「サワコの朝」っていうのがとてもおもしろくて、よく見てます(とりわけキングカズの回はものすごくくだけた雰囲気で非常におもしろかった)。

「サワコの朝」も対談番組なんですが、阿川佐和子さんの対談といえば、やっぱり週刊文春の長期連載。だからこの本も文春新書(なのでしょう)。

しかし、インタビュー術の本として読むには、この本は、中途半端です。第1章(聞き上手とは)で詳らかにされている阿川さん流インタビュー術は、もしかするとあまり参考にしないほうがいいかもしれない方法論。読みながら「いやいや、でも」「これはこの人だから可能なんだよなあ」とぶつぶつ突っ込み、これ以上読み進めるのをやめようかと思ったほど。

しかし、本というのはそこを我慢して読んじゃうとおもしろくなってくることがよくあって、この本もそうでした。第2章(聞く醍醐味)で、あ、そうか、この本は対談を成功させる極意とかインタビュー術とかじゃなくて、コミュニケーションの方法について論じた本なんだと気づき(だからといって「1.〜すべし」みたいな本じゃないよ<どっちかっていうと翻訳本によくあるパターン=エピソード満載の行間にスゴイことが隠れてる=の本です)、第3章(話しやすい聞き方)に登場する渡辺淳一のエピソードのところで、私は不覚にも大爆笑してしまった(自宅のソファーの上でよかった)。

阿川佐和子さんお得意の(?)結婚話も随所に(ちょっとしつこいかなと思うほどに)登場します(が、これはこの人の持ち味なんだから、これでいいのだ)。つまり、帯の後ろ側には「アガワ流 聞く心得」なんて書いてあるけど、そういうことを学ばせる教科書ではなくて、そういうテーマを軸にした阿川さんのエッセイ、って感じの本です(だから翻訳本っぽいなあと思うわけで<こういう本から何か学べるかどうかって、読み手の読み方によってすごく変わってくるんですよね)。

阿川佐和子さんは小説も書いてます(下記リンク)。この小説もそれなりにおもしろいんだけど(<「それなりに」は余計か)、いま(これ書くにあたって)斜め読みで読み直してみたら、やっぱりよくわかんないこともけっこうあった、けど、それはやっぱり私が男だから仕方ないのか、それを仕方がないとか言ってるから云々と渡辺淳一先生はお怒りになるのか、それとも渡辺淳一先生はこんな本は認めないのか(っていうぐらいに、『聞く力』の第3章の渡辺淳一のエピソードはおもしろかったっす)。



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28年目のビジネスタイム



28年間接点のなかった人をフェイスブックで発見し、リアル世界で会った、という話の続き。

何がすごいって、いきなり、一緒にビジネスやろうぜ、みたいな話になっちゃってるわけですよ。これがいきなり「すぐ解約してくれていいからとりあえずこの申込書に名前書いてくれよ」だったり、「絶対に損させないから○万円振り込んでください」だったりすると、おいおいちょっと待てよおまえ人間性疑うぞ、ってことになっちゃうんだけど(でもそういうのはわりとよくある話だよね)、もちろんそんな話じゃないです。

28年間の空白があるとはいっても、リアルに顔を合わせる前に、お互いのフェイスブックのウォールを見ておけば、お互いがどんなキャリアの持ち主でどんなことを考えているかは、ある程度、わかる。メッセージのやり取りも、多少、やっている。だから、いきなり、ビジネスの話をしても、まったく違和感がない。

お互いに、何をしてほしいのかが、なんとなく、わかってますからね。

どうもこの「ビジネス」っていう言葉が、じつは、しっくりこないんですね。べつに一緒に会社を作ろうとかって話じゃないんです。はやりの言葉を使えば、ソーシャルデザイン、なんですわ。

はやり言葉って、使っちゃうと、楽だなあ。でも、これって、同じレベルで勉強してる人にしか通用しない話になっちゃうんだよなあ。それはそれでいいのかもしれないけど…いや、いいのかなあ?(ここでミクロとマクロの乖離が起きて、社会生活における合成の誤謬が発生するんじゃないかと思うんですよ…そこが「いいのかなあ?」と思ってしまう部分)。

一時期「しなやか」って言葉がはやったじゃないですか。「しなやかに歌って」は古すぎますけど、最近でいう「絆」みたいな感じで、「しなやかな〜」って言葉が、よく使われてました。私がここで言っているビジネスっていうのは、しなやかな関係で構築されていくものなんです。

それぞれの目指すところは違うのかもしれないけれど、ある程度同じようなレベルで問題意識が共有できていて、その下のレイヤーにはもっと大きなところで共通した価値観や世界観がある(<こういうのは文字で書くより図示したほうが説明が楽だ)。その中で、それぞれが提供できるリソースを持ち合って、何かをやっていく。だから、いわゆる会社という組織体は必要かもしれないし必要でないかもしれない(のだが、ここでとにかく法人を設立することが目的化してしまう場合が多いのですよね、世の中的には)。

LLCとかLLPとかっていうのは、そこにピタッとはまるはずなんだけど(そういう意味ではあれを考えた経済産業省の人たちは既存の枠組みとは異なる未来をよく見ていたと思う)、それがうまく機能してないってことは、やっぱり、残念ながら、日本社会が硬直化しちゃってるってことなんじゃないかと思う。

でも、もうちょっとだと思うよ。もう少しだけ踏ん張っていれば、おもしろい時代が来ますって。もう、すぐそこまで来てると思うんだけどな。
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新千歳空港限定 北海道フィギュアみやげ

先週金曜日、新千歳空港に行ったらこんな看板が。



この日からこんなのが発売されるってことで。



もちろん(?)私はこういうものにはとても興味がある、のだが、発売日の早朝ってことで、広場みたいなところ(ANAとJALの間の一時期はワゴンが大量にあったスペース)の機械(いわゆるガチャガチャ)は、まだ中身が何も入っていなかった。

が、手荷物検査場を通過した先の、搭乗口の前の売店の前の機械は、すでに稼働中だった。うまい具合に100円玉はちゃんと3枚あって(さすがにいいオトナがガチャガチャやるから両替してくれとは言いにくい…が、これって、対象はきっとオトナだよね)、ぐるっとハンドルをまわして、カプセルを手にすることができた。



中身は全8種類。



キミがほしいのは寝台特急北斗星だろ?と思ったあなた、それは間違いです。海洋堂さんはすばらしいとは思うけれど、北斗星仕様のDD51のグッズはいろいろあるから、あえてほしいとは思わない(と言いながら、いらないってことでもないんだけど)。

それよりさ、2012年の北海道(っていうか札幌)なんだから、やっぱり、初音ミクでしょ。べつに私はそっち方面の趣味はないですけど(ってどっち方面だよ)、この中で2010年代の北海道にもっとも相応しいのは、初音ミクでしょ。ましてや、海洋堂フィギュアなんだしさ。

逆にあんまりほしいとは思わない(というかはっきり言って自分的にはハズレだと思う)のは、新巻鮭とスープカレー。一般観光客が好みそうな札幌時計台も、どっちでもいい(似たようなヤツうちにあるし)。むしろ、このところ北大と縁のある私としては、クラーク像がほしい。

さすがに空港の搭乗待合室で組み立てる勇気はなかったので(それよりそんなところで組み立てたら持ち歩いているうちに壊れちゃうかもしれないじゃないですか)、帰宅後に、中身を取り出して組み立てた。



フィギュアそのものもよくできているんだけど、パーツがそれぞれに個包装になってることにはもっとびっくりした。これならば、パーツがカプセル内でぶつかってフィギュアのどこかに傷がつくようなことにはならない。300円なりに、手がかかってます。

カプセルの中に入っているリーフレットには、こんなことが書いてある。

北海道の空の玄関「新千歳空港」を訪れた方にお届けする、ここだけで買えるお土産フィギュアシリーズです。題材として、北海道を象徴する文化、物産、人物、観光名所などをバラエティ豊かに取り上げ、精巧なフィギュアにしました。造形は、世界的造形集団・海洋堂が制作。手頃な記念品として最適であることはもちろん、何が出てくるかわからないドキドキワクワク感も楽しめます。

コンプリートを目指すつもりは、毛頭ございません。
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改訂16版だとC34

28年間接点のなかった人をフェイスブックで発見し、リアル世界で会うにあたり、28年間の空白を埋める材料として『鉄道旅行術』(ボクが改訂を担当した版)を持っていった。



『鉄道旅行術』を持参したのは、全員を知っているのは自分だけというメンバーでの新年会(というには時期が遅すぎる?)だったこともあり、ネタ切れの心配をしていたからでもあった。共通の話題が見出せなければ、『鉄道旅行術』を取り出して私自身を肴にしてもらうつもりであった。

が、その人は、美女2名そっちのけで『鉄道旅行術』に見入っていた。

「あきらめちゃダメ指定券!!これだよ!!!」

叫ばなくってもいいじゃないすか(笑)。

そうだよぉ〜、これはすごくおぼえてるよぉ〜、あきらめちゃダメ指定券だよぉ〜と、飲み放題の地酒を前に、感動と興奮でいっぱいになってしまったその人は、続けてこう言ったのである。

「海外旅行は『地球の歩き方』、国内旅行はこの本だったんだよぉ〜」

美女が反論する。

「それは鉄ちゃんの意見でしょ?その本があっても、地球の歩き方みたいに、どこかに行くことはできないじゃないですか」

「違うんだよっ!鉄ちゃんとか関係ないんだって。これはみんな読んだんだよっ!」

その人は、いわゆるTTTTとは無関係な人。ボクみたいに種村直樹にどっぷり浸かっていたわけではない。ましてや、ボクみたいに40代半ばになっても鉄道ジャーナルを毎月買っているようなこともない(ちなみにボクは鉄道ファンも毎月買っていてときどきピクトリアルも買う(^^;))。それどころか「鉄道ジャーナルって今もあるの?」「宮脇さんは亡くなったんだっけ?」程度の関心しかない。

『鉄道旅行術』の最後のページには、○○市の○○さん、といった普通の人の名前が羅列してあって、みなさんからの情報提供やご協力に助けられました、みたいなことが書いてある(そこにはもちろんボクの名前もある)。それらの小さな文字の下に、著者である種村直樹氏の顔写真と経歴がどーんと掲載されている。

「こんな本、ありえないよな〜」

その人は、そう言って、協力者や情報提供者と著者の扱いの差が大きいことを笑っていたのだが(もちろん蔑みではなくて楽しいバカ笑いです)、これって、CGMとか、マッシュアップとかってのと、発想は同じなんだよね。そんな言葉ができるよりも30年も前から、種村直樹氏はCGMっぽいことをやっていたんです。

ということはどういうことかというと、最近になって突然出てきたような騒がれ方をしているマッシュアップとかって、ただツールが変わっただけで、考え方とかそれに見合うアウトプットとかは、昔からあったってことですよ(だから年表を書けと神田昌典も言ってるわけだな)。最先端の技術を「人間味がない」などと言って毛嫌いしてると、そういうことにすら気がつけなくなるよ。

バイラルマーケティングとか口コミとかっていうのも、そりゃ、まあ、インターネットのおかげで規模はでかくなったけど、ボクらはそれをかつての北海道ユース・ホステルの旅で知ってるわけですよ。「とらべるまんの北海道」があってさ、インターネットの黎明期に「ほっかいどガイド」があってさ、その間にはニフティの観光フォーラムがあったりしてね。

誰かの役に立つ情報は放っておいても流通していくってことは、そのときにも、あったわけじゃないですか。その代表例が「メロンパンと牛乳」ですよ(その真偽を自分の目で確認することは、結局、できなかったんだよなあ)。

みんな難しい用語をこねくりまわすのは、そうすると儲かるからなんだろうなあ(笑)。いま書いた「用語」だって、「難しいワードを」とすると、なんか、それっぽく見えちゃうもんね。
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『警備員日記』

手塚正己
太田出版
¥ 1,680
(2011-12-09)

この本の魅力に関しては北尾トロさんがメルレポで見事に語っている。

喫茶店2軒で本1冊 第1回‐メルレポ 2012年1月1日号(通巻第001号)
喫茶店2軒で本1冊 第2回-メルレポ 2012年1月8日号(通巻第008号)

かくいう私もこれを読んでこの本を読むに至った、のであるが、実際に書店で手にとったときには「これ、いま読んで大丈夫なのかな?」と躊躇し、買ってからページをぱらぱらとめくりながら最初の数ページを読んだときには、少しだけ後悔した。

ヘビーなんだよね。1946年生まれの人が、カネに困って警備員のバイトを始める、っていう話なんですから。それも、ずっとワーキングプアみたいな生活をしてきた人ならまだしも、ある時期までは会社を経営して順調にやっていたのが不況で受注が減って云々、なんて話なんですから。サラリーマンを辞めて10年近くなんとかやってきたけど先はどうなるかわからない私にとっては、正直、身につまされる話なわけですよ。

ここまでなんとかやってきたんだからこの先だってなんとかなるだろうと、そこはわりと楽観的に考えてはいるのだが(それなりに根拠もある)、でも、躁鬱とはいかないまでも、日々のあれこれで気持ちの浮き沈みはあるわけで、とりわけこのところ浮き沈みの幅が大きくなっているから(けっしてよいことではないですね)、こういう本を手にしてしまったことは、怖かった。

けどね、こうして書いているということは、大丈夫だった、ってことです。序盤の重い空気が最小限に抑えられていることが、かろうじて私を本の世界に留まらせてくれた。そこから先は完全に本の世界に入り込み、もう眠くてどうしようもないから少しだけ読んだら寝ようと思って布団の中に入ったのに、そのまま最後まで一気に読んでしまった。

自分が若いときだったら、とくにおもしろいとは思えなかったかもしれない。描かれている内容がリアルすぎるだけに、おもしろい登場人物も感動的なエピソードも、いっさい出てこない。登場するのはひたすら市井の人たち、なのだが、それを、著者が、著者の目線で、無理のない程度にキャラクター化している。そこがおもしろい。

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2022−これから10年、活躍できる人の条件/神田昌典

なんだよ神田昌典かよ〜とか言わないでください(^^;)。

もうね、読みながらね、びっくりしちゃったよ。このところ立て続けにひとりよがりな長いブログ記事を書いてて、おれはいったいどうしてこんなことを力入れて語ってるんだろう?と不思議だったのだが(フレームをはずす難しさ2012.01.18、枠組みと合理化2012.01.20)、これは、この本に出会うための準備だったんだとわかったですよ。

要するに(<いつも言ってるけどこれは最低の表現だ)、社会の枠組みが変わるから世の中のルールが変わって現時点ではバカな妄想としか思えないことがまもなく現実になりますよ、って話です。わたし的には山田君に座布団9枚頼みたい。

神田昌典といえば「非常識な成功法則」「あなたの会社が90日で儲かる」のイメージが強いんだけど、この本は(タイトルをみるとそっち系かなとも思えるのだが)それらとは全然違うんです。あれ?神田昌典ってこんなこと言う人だったっけ?みたいな(まあ、手法や語り口は、同じではあるんですけど)。

最初のほうからもう十分すぎるほどにおもしろいのだが(ここで言う「おもしろい」は、私がこれまで頭の中でぼんやり考えてきたことがきちんと論理的に説明されていることを発見したことに対するおもしろさである)、第6章(208ページ)の《人類史上はじまって以来、最も起業しやすい環境に私たちはいる。》で「!!!」と巨匠に星3つ付けさせちゃうぐらいに盛り上がっちゃって(おれが)、225ページでは(電車の中で読んでたのに)「やられたっ!」と声を上げてしまったほどなのだ。

やられた箇所を引用。
ここで大切なのは、経営者の強みと、会社自体の強みを分けて考えることである。

ここのところ、この本の中では珍しいことに、わざわざ線まで引いてある。私がこの間書いたブログ記事(長すぎて読んでもらえないんじゃないかと思ってましたけど)「フレームをはずす難しさ」の中の《本来は「業界の人たち」という主語を、「個人または限りなく個人に近い団体」と「それなりのサイズの会社」に分けて論じないといけないことなのだろう》という部分は、まさに、そういうことを言いたかったんですよ(だから「やられたっ!」だったわけで)。

この本のおもに前半で語られている歴史のサイクルの話は、かつてコンドラチェフ波動とか好きだった私にはすごくしっくり来るところ(そうなんですよ、年表って大事なんですよ)。それから、この本を読んでインスパイヤされたことで言うと(この本にもちらっと書いてあるんだが)、絆とかつながりとかっていうキーワードが世の中に出てきてますけど、これって、ただつながりゃぁいいってことじゃないってことです。情報発信力、というと堅苦しくなってちょっとイメージ違うんだけど、外に向けて開いていかないと、いくらつながりがあっても絆を大事にしても、何も広がらないんだよ。

いや〜、じつにおもしろい。勉強本、自己啓発本、具体的にこんなことしましょう本といったブーム(もはや終焉?)とは確実に一線を画する、神田昌典の新境地(<これはいくらなんでも言いすぎだ…ちょっと興奮してキーボードが滑りました)。これを読んだからといって、すぐに何かがどうこうなることはないし、あれをやれこれをやれっていうことも書いてないけど、頭の中のいろんな部分がものすごく刺激されて、すごく勇気が湧いてくる。

なんか全然違う分野にみえるかもしれないけど、ソーシャルデザイン (アイデアインク)も合わせて読むことをお勧めします。書いてあることはそう遠くないです。神田昌典本が基礎理論だとしたら、『ソーシャルデザイン』のほうはその実践編、って感じ(TechWaveで紹介されてからamazonは入荷待ちになってるみたいです)。

よし、がんばろう!

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所詮暇人之乗物也



そのご老人は「誰と?」と言った。

誰と?

聞き違いかとも思ったが、その言葉は、僕が「これから北斗星で帰ります」と言ったことを受けて発せられたものだ。傍らにいるKクンと一緒に乗るとでも思ったのだろうか?

「ひとりです。ひとりで乗ります」

上野駅の13番線ホームから、Kクンに見送られて、僕は、札幌行き寝台特急北斗星号に乗った。



北斗星は、上野駅を19時03分に出発し、終着の札幌駅には翌日の午前11時15分に到着する。所要時間は16時間を超える。移動のための手段としては、時間がかかりすぎて、お話にならない。なにしろ、上野駅で北斗星の出発を見届けてから羽田空港へ向かっても、新千歳空港行きの最終便に十分間に合い、日付が変わる30分前には札幌に着くことができるのだ。しかも、運賃・料金は、飛行機のほうが1万円以上も安い。

でもね、たまに、乗ってみたくなるんですよ。

数えてみたら、最後に北斗星に乗ってから、1584日が過ぎている。さらにその前は、その1578日前。僕は、4年4ヶ月ごとに、北斗星に乗りたくなるらしい。

一夜明ければ、窓の外は雪景色。


手前にあるのは個室のカードキーです。

朝が来て最初に停車した駅は、福島県の郡山駅。



っていうか、それ、おかしいでしょ。しかも下車してるし。

所定通りのダイヤであれば、噴火湾を右手に見ながら、落部あたりを走っている頃である。車内放送では「ただいま9時間40分遅れで運転しています」との案内があった。

僕が乗った北斗星は、上野を出てから2時間ほど走ったところで、黒磯駅に臨時停車したまま動かなくなった。「この先(黒田原〜豊原)で線路際の竹が雪の重みで倒れて架線に接触した模様」との案内があったときには、架線が切れていないのであれば竹を撤去するだけだからそのうち動くだろう、真冬の北国の旅なのだから5時間ぐらいの遅れは許容範囲だな…と考えていた。

なぜ許容範囲が「5時間」だったのかはわからない。北斗星が5時間遅れで収まれば、札幌到着は、東京を朝出発して東北新幹線と特急列車を乗り継いだ場合のもっとも早い到着時刻よりは早くなる。去年の9月に東京から札幌まで昼間の列車を乗り継いで移動して以来、ときどき時刻表を眺めては東京から札幌への乗り継ぎ旅程を確認していたから、その辺のことは頭に入っていた。だから、瞬間的に「5時間」が頭に浮かんだのかもしれない。

理由はどうあれ、5時間ぐらいなら、と考えたのは、現実にはそんなことは起きないだろうし、仮に起きたらネタ的におもしろいと思ったからで、まさか本当に5時間も動かなくなるとは思ってもみなかった。

実際は、5時間どころではなかった。北斗星が黒磯駅に停車したのが21時06分頃、「おはよう放送」が流れたのが翌朝06時30分過ぎ(この時点ではまだ「倒れている竹の量が多く伐採に時間がかかっている、運転再開時刻は未定」と言っていた)、そして動き出したのが06時45分頃だった。つまり、北斗星は、黒磯駅のホームに9時間40分ほど停車していたことになる(運転停車なのでドアは開かない)。

すっかりごぶさたの東北本線を昼間走るのも、それはそれでおもしろいかもしれないと思い始めていたのだが、白河を過ぎたあたりで「郡山から新幹線に乗り換えてください」との案内があり、郡山駅で、振替列車となる4本の列車の指定券をもらった。


(北)郡山→仙台/仙台→新青森/新青森→函館/函館→札幌

この経緯を、昨日の報告を兼ねた友人諸氏へのメールや、Facebookの自分のウォールに書いたら、当然のごとく「大変ですね」との反応があったのだが、当事者(=おれおれ)は意外にそうでもなくて、いまこうして書いているみたいに「ネタができてよかった」ぐらいの感覚なのですね(心配してくれた皆様には申し訳ないですが)。

だってさ、とりあえず日曜日のうちに札幌に帰れれば困ることはないし、北斗星が12時間遅れで深夜の帰宅になったりすると面倒だな、ぐらいの危惧はあったけど、黒磯の停車時間が長びくにつれて頭をよぎり出した札幌駅17時29分着で帰れることになったんだし(札幌駅17時29分着は出張帰りによく乗る列車だからなんとなく気が軽くなったのかもしれない)、指定券も用意してもらえたから座席の心配もいらない(実際には全車指定席の《はやて》以外はガラガラだった自由席車両に乗った)。

それにしても、と思うのは、北斗星との相性の悪さだ。じつは、前々回の北斗星乗車〜8年8ヶ月前〜も、北斗星に乗った区間は上野から郡山までだった。白河を出たあたりで宮城県沖を震源とするM7.0の地震が発生(Wikipediaによる説明)、岩手県や宮城県の一部では震度6弱を記録したこともあり、東北地方の鉄道各線は運転見合わせとなり、北斗星も郡山で運転打ち切りとなってしまったのである。僕はまだかろうじて動いていた東北新幹線で郡山から東京へ強制送還され、その日は実家に宿泊し、翌日に羽田から飛行機で札幌へ帰った(このときのことはまだ季刊だった「旅と鉄道」の誌面で紹介され、結果的にはこれが旧タビテツに僕の名前が載った最後の機会となった)。

お見舞いに行った日にこういうことになったのも、ひょっとすると何かの因縁なのかもしれない。



さて、ここで問題です。

今回購入した乗車券(東京都区内→札幌市内17,930円)、特急券(2,940円)、B寝台券(ソロ、6,300円)の合計金額27,170円のうち、払い戻しになったのはいくらでしょう?ちなみに予定の列車時刻(上野19時03分発→札幌11時15分着)に対し、実際の行程は、郡山・仙台・新青森・函館で4回の乗り換えがあって札幌駅到着は17時31分(予定比6時間16分遅れ)、振替列車はすべて指定券が発行されていました。

答えはコメント欄かメールでください。締め切りはありませんが、私の気分しだいで正解を公表します。正解者がきわめて少なかった場合には、正解された方に賞品を差し上げるかもしれませんが、差し上げないかもしれませんので、あしからず。

ところで、いちばん上に載せた写真、いま気づいたんですけど、発行年月日が1日ずれてます(^^;)。

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枠組みと合理化

お役所仕事という言葉があるぐらいで、お役所は融通がきかないと思われがちなのだが、実際にお役所と仕事をしてみると、意外にそうでもない。

ま、その前に、お役所って何だ?って話ですけどね。

多くの人にとっては、公的機関はすべてお役所なんだろうけど、国と都道府県と市町村は違うし、いわゆる外郭団体になるともっと違う。それをすべて同じカテゴリで語ろうとするから(そうするとわかりやすくなってリテラシーの高くない人にも受けるからね)、お役所批判があったとしても、批判を受けている当事者は「なに言ってんだか、なにもわかっちゃいない」って受けとめ方になってしまう。

道州制とか地方分権とかの議論がいまいち盛り上がらず、橋下徹の大阪都構想が独裁だのポピュリズムだのに対する批判になっちゃうのは、そこのところのちょっと込み入った話を理解しようとしてない人が多いからで、政治家はわかってないのかわかっていてあえて議論をずらしているのかわからんが、マスコミに関してはわかっているのかもしれないけど(少なくとも現場レベルの担当者は十分に理解しているでしょう)情報の受け手にわからせようとはしていない(ようにみえる)。

あれ?何の話をしようとしてたんだっけ?

裁量行政っていう言葉があって、金融の世界では悪の権化みたいな扱いを受けている言葉なんだけど、行政っていうのは、意外に裁量の余地がある(ネット見てると〜見なきゃいいんだろうけど〜行政府と立法府の区別すらついていない意見が多くて、これは教育の責任なんだろうなと思う)。

というのはですね、報道されるのはどうしたって不祥事系ばっかりになっちゃうんだけど、行政の現場にいる人たちの多くは、しっかりとした使命感に基づいて仕事をしてるんですよ。国民なり市民なりの活動をよくするためにはどうすればいいか、みなさん、きちんと考えていらっしゃる。

だから(これは功罪両面あるのではあるが)手助けしたいけれど既存の法律ではカバーできないような事象が発生した場合には、法律に抵触しない範囲でできることはないかと知恵を絞る。もちろん、そうではない人も少なからずいるけど、従事者によって出来不出来のばらつきがあるのは、民間企業だって同じでしょ。

私のこれまでの経験では、融通がきかないのは、むしろ、民間の大企業勤めの真面目な社員の場合のほうが多い。いや、まあ、あくまで相対的な問題だし、私が接してきた公的機関の方々は比較的優秀な人たちが多かっただけなのかもしれないけど、民間企業かつ大企業の経験しかない人っていうのは、往々にして、目の前にあることを既存の枠組みで説明したがる。その枠組みからはみ出したものはどうにもならないとして、そこで思考停止してしまう。

それは、仕方ないんですよ。大企業っていうのは、そうしないと、生きていけないんだもの。そうすることが、生き延びていく(嫌な表現をすれば「出世していく」)ための最適選択なんだから、システムがそうなってるんだから、そうなるのは必然なんです。

中小企業っていうのはその逆で、常にどこかに穴を見つけていなければならない。これは疲れる、と思うか、おおそれは楽しそうだ、と思うか。それを疲れる、大変なことだと思う人は、大企業に勤めているならやめないほうがいいと思うんですけど、大企業で○○だったからやめてもやっていけると思っちゃう人が、意外に多いんだよなあ(<念のため書き添えておきますが、最近1年以内に退職・独立した私の友人知人諸兄の誰かのことを言っているわけではありません)。

そういう意味でいうと、空白の一日を見つけた巨人軍の人々は、中小企業的センスというか、ベンチャースピリット(<こういう手垢のついた言葉を好んで使う人はダメだよね(^^;))旺盛だったのかもしれない。というか、あの時代は、まだ、日本人全体に、そういう気概があったのだろう。

ああ、いやだいやだ、昔はよかった、これから先は真っ暗だ、という話なんかしたくないんだけど(<してるじゃねーか)、空白の一日って、1978年ですよ(私の頭の中では中学受験に向けて四谷大塚の準会員で7段をとりまくっていた記憶とリンクしているからすぐに思い出せる)。1945年の太平洋戦争の終結(終戦か敗戦か?なんて議論は最近はすっかりなくなりましたなあ)から1978年まで、33年。1978年から現在までは34年。後者の34年の間にはバブル経済があって(あれってリアルタイムでは「平成景気」なんて言い方してた人もいたんだよね…)、多くの日本人にとっては、枠組みを変える必要性なんかなくなっちゃった。努力することは愚かなことだ、ぐらいの時代だったからね、あれは。

また話が飛んだ(私は最近はインタビューを受ける側にまわることはほとんどないんですけど、こんな調子で話をしたら、インタビューする人はたまらんですよね(^^;))。元へ戻そう。

目の前の事象を既存の枠組みにはめこんで合理化する、というのは、日本的入学試験で点数をとるためには、ものすごく必要な能力であるわけで、現在の日本のエスタブリッシュメントっていうのは、多くがそっちから来た人たちであるわけですよ。だから、既存の枠組みそのものが信頼できなくなっちゃったこの時代にあって、自分の明るい未来が見えません!なのは、必然なんだよなあ。

じゃあどうする?

橋本治さんの本にだいぶ前からよく出てきていたことですけど(そういう意味では橋本治はやっぱり天才だと思う)、あと最近は内田樹さんもよく言ってますけど、それから最近読んだ何かの本にも書いてあったんですけど(ここんとこ多読が過ぎて何の本だったか忘れてしまった)、ここから先の日本は、職人社会なんじゃないかなあと思うんですわ。若者に希望がないとか言うけど、そんなことないって。それぞれが職人を目指せばいいんだからさ。むしろ、大企業に寄りかかる生き方がベストだった時代に生きてきた人たちのほうが、つらいでしょ(いまさらやり直せないもん…慣性があるからね)。

これから大変だ、生きにくい時代だ、とか言ってるのは、マスコミのわりと決定権持ってる立場の人たちが、ボクには自分の明るい未来が見えません!と思ってるから、なんじゃないですかね。こういうもんだと思えば、意外に悪くないぞ。

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