熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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『ランナーが知っておくべき歩き方』

あらためて、内容の紹介です。

本の表紙

昨日も書きましたが、この本は、『あなたの歩き方が劇的に変わる!驚異の大転子ウォーキング』(彩図社/2016年)を大幅改稿・加筆した本です。その、前の本のタイトルのほうが、この本の内容をより正確に言い表しているように思えるほど、この本は、ランナーだけでなく、すべての歩く人(=足が不自由でないすべての人)に読んでほしい本です。

ぼくは、みやすのんきさんのランニング本は一通り読んでいて、みやす理論(といっても独自理論ではなくみやす氏がさまざまな文献などを読みこなして自分の体に当てはめて実践してきたいわば先人の研究成果の要約)は十分に理解しているつもりだったのですが、みやすのんきさんの走るスピードやマラソン大会に臨む姿勢は、ぼくのレベルよりは、はるかに高いのです。真似しようとしても、なかなか、できないものも、少なくありません。

それらの本に比べると、この本に書かれている内容は、とてもシンプルです。なにしろ「歩く」という、誰もが普通に行う動作が対象です。だから、実践するのも簡単です。簡単とはいっても「5分でわかる!」みたいなものではありませんから(そういうのって大抵はまやかしですよね(^^;))、そこのところは、ご承知おきください。

ぼくは、この本に書いてあることに従って、歩き方(というより歩くときの意識)を変えました。そしたら、長い距離を歩いた後でも、ふくらはぎが痛くならない。その代わり、太腿の裏は、すごく張った感じになります。これを続けていれば、太すぎるふくらはぎが細くなるのかな(笑)と、ちょっとだけ、期待してます。

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裾野を広げる(広がった裾野に乗っかる)

のんきか!みやすのんきか!

本の表紙

あれっ?みやすのんき氏のウォーキング本って、前に出てなかったっけ?と思って巻末を見たら「本書は『あなたの歩き方が劇的に変わる!驚異の大転子ウォーキング』(彩図社/2016年)を元に、大幅に改稿・加筆して刊行するものです」と注釈が載ってました。実業之日本社から出ているみやすラン本は、ぼくの知ってるだけでも紀伊國屋書店札幌本店とMARUZEN&ジュンク堂書店札幌店の一角に小特集的なコーナーができてるぐらいですから、同じようなテイストのこういう本がそこに並べば、また、読者も増えるでしょう(現にぼくはジュンク堂でたまたま見つけて買いました)。

みやすさんのランニング本は、じつにわかりやすいのですが、ぼくのようなランナーには、ちょっと、レベルが高すぎるところもあります。レベルが低かろうが高かろうが原理原則は不変ですから、役に立つのは間違いないのですが、それは自分には無理だなあと感じる箇所もあります。

これまでに出たそうした本に比べると、この本は、ぼくのようなランナーには、ぴったりです。さらには、ランナーに限らず、健康のために歩こうと思っているような方にもおすすめできる内容なので、マラソンなんかやるつもりないという方も、ぜひ、お手に取ってみてください。

ぼくのようなレベル、というのは、こういうことです。



《5時間切りは、走りだけでなく、他にも趣味や目標があり、記録よりは完走を念頭に、大会ならではの雰囲気、景色、その土地での観光や食を楽しむ方が多いと思います。おそらく、いちばん長く続けられるペースであり、いつまでも走ることを好きでいられるところだと思います。さらに上を目指したくなったら、何か一つを犠牲にする覚悟で挑んでくださいね。》
(「2019ランニングノート」作田徹監修走力別アドバイス〜フルマラソン5時間切り編)

こういう楽しみ方が広がったのは、2007年に始まった東京マラソンがきっかけ、なのでしょう。東京マラソンの制限時間は7時間、すなわち、42km余りを7時間で走ればいいのですから、単純計算すると、1時間に6km走ればいいのです。これは、ちょっとした早歩きペースなのですから、完走のハードルは、かなり、低いです(といっても、いまや抽選倍率が10倍を超えてますから、参加のハードルはかなり高いのですが)。

本格的にやっている人にとっては、おもしろくないこともあるかもしれません。記録を狙って走っている人からすれば、沿道のエイドステーションでその土地の名物が食べられるなんてのは、どうでもいいことでしょう。そんなものいらないから参加費を安くしてくれと思うかもしれません。

だけど、そういう層だけでなく、マラソンなんてやろうとも思ったこともなかったような層までもがマラソン大会に出るようになったから、市場が広がったわけですね。市場、というのは、マラソン大会そのものだけでなく、関連した商品(みやすのんきさんの本もその一つでしょう)まで含めて、です。

ぼくは、いま、たまたま、鉄道のことが仕事になっているのですが、そのときに気をつけなければならないのが、まさに、そこだと思ってます。鉄道ファンの視点でやっていると、市場は広がっていかない。市場が広がらないということは、関心のない人の興味の対象にならない、したがって、ローカル線の存続がどうのこうのと言ったところで聞いてもらえない。もっと注意しなければならないのは、鉄道の価値を再発見しましょうなどと言って、鉄道ファンの価値観を押し付けてしまったら、一般人には、かえって引かれてしまうかもしれない。

みやすのんきさんの本は、従来の専門家にとっては、耳の痛いことも、たくさん書いてあります。そこで、専門家が、しょせん素人の意見だから、などと捉えてしまったら、世間の関心は、閉じてしまいます。ぼくは、鉄道に関しては、そこそこ(?)いろんなこと知ってますけど、だからこそ、鉄道のことがわからない人の意見には耳を傾けねばならないのだと思っています。

※こんなこと書くつもりではなく、本の紹介をするつもりだったのですが…(笑)<本の紹介は、また、機会をあらためて書きます。

この本はかなり読みました(今でもときどき読み返します)

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「その意見、ちょっと待ってほしい」

5月18日の北海道新聞朝刊「朝の食卓」は「地方のことは地方で決める」。筆者は、網走在住の農業写真家・石黒明氏。

本文から一部引用:
《連日のように報道では、地方は鉄道ありきの議論に終始するのではなく、バスを含めた交通体系に改めるべきだとの論調が飛び交っている。今後ますます人口減少が進む地方には鉄道は要らないという内容だ。
その意見、ちょっと待ってほしい。
鉄道とバスの役割を混同して議論してはならない。鉄道の役割には二つの視点がある。生活路線としての視点と、交通ネットワークとしての視点だ。
鉄道を生活路線として評価すると、利便性ではバスが勝る。バスは買い物や通院など目的に応じて柔軟に路線を設定可能だ。しかし、鉄道を全国とつながる交通ネットワークとして評価すると、到底、バスではかなわない価値がある。》



ぼくは、当然鉄道守れ派だろうと思われてるかもしれませんけど、ときどき、本当は鉄道はなくてもいいんじゃないか?と、自分の思いが揺らぐことがあります。なぜならば、ぼくは(ほぼ)ペーパードライバーで、マイカーを保有していないという、道民としてはきわめて少数派の一人であるからです。世の中の多数を占める人々、日常的にマイカーで移動することが当たり前になっている人とは、拠って立つ場所が異なるから、ぼくが考えていることは、世の中からズレているのかもしれない。

ズレててもいいんですけどね。
多数の意見が正しいとは限らないのですから。

という話はさておき、北海道内で暮らしていて、鉄道の好きな人たちと話をしているときはまだしも、そうでない、ごく普通の、鉄道が好きでも嫌いでもない人たちと話をしていると(日常生活全体を考えれば後者の機会のほうが圧倒的に多い)、誰も期待していない鉄道を、お金をかけて維持しなくてもいいんじゃない?と、こういうぼくですら、思うことがあるのです。

だから、土曜日の、石黒さんのコラム(読者投稿欄ではなく北海道新聞社さんから依頼されて書いている文章です)に、ドキッとしたのです。

その意見、ちょっと待ってほしい。

そもそも、鉄道は要らない、の出発点は、鉄道は必要か否か、では、ありません。必要か必要でないかと問われれば、あったほうがいいに決まってます。選択肢は、多いほうがいいのです。ただ、鉄道を維持していくには、お金がかかる。そのお金がない、そんなお金は(ほかにも使わなきゃいけないことがあるのだから)もったいない、というのが、この議論の出発点です。

でも、ね。

お金がかかるといっても、他のさまざまな施策に比べて、規模は、どうなのか。

ここで「JR北海道は民間企業なのだから云々」と言い出すとややこしくなるのですが、資本構成をみれば純粋民間企業とはいえないし、社会資本であると考えれば、必要に応じて公的資金を投じることはおかしくないはずです。

じゃあ、社会資本なのですか?という話になる。

そこで出てくるのが、石黒さんが指摘している「鉄道の役割」です。

地域住民の生活が云々という視点は、30年以上前の国鉄改革のときに(それ以前に)議論が尽くされています。なかには、いったんは建設が凍結されたのに、政治に翻弄されて建設費が予算化されて中断していた工事が再開されて、開業はしたものの、やっぱり必要なかったということになって、結局は廃止になってしまった、などという、わけのわからない路線すらあります(いまさらその責任を問うのは不毛ですが、そういうことがあった、ということは、目の前に赤字ローカル線が横たわっている現代のわれわれも、広く知っておくべきことだと思います)。

一方で、交通ネットワークという視点では、どうなのか?

ここで、議論はすれ違いを始めます。高速道路が整備されて、マイカー普及率が上がって、運転免許保有率も上がったのだから、移動の手段は自家用車でいいじゃないか、観光客だってレンタカーが使えるじゃないか、という話になっちゃうと、議論は成立しません。そこには「公共交通」という視点が、完全に、欠けているからです。

そこなんですよね。

北海道の人は(全国的に地方の人の多くはそうかもしれませんが)、公共交通という概念が、おそらく、頭にない。なぜなら、公共交通を利用する機会がないからで、現在の若者世代になると、生まれたときから自分の家にマイカーがあったから、せいぜい通学か、修学旅行ぐらいしか、公共交通との接点がない。旅行=ドライブであって、それ以外の経験がないまま、大人になっていく。かたやで、大人の側は、いまこれで不便を感じてないんだから、それでいいじゃない、なんで鉄道を維持するためにお金を負担しなきゃいけないの?って発想になっちゃう。

ここで決定的に欠けているのは、結局のところ、公共、未来、という概念であるように思えます。たしかに、自分の生活だけを考えれば、交通ネットワークなんて、使わない人(北海道で暮らす多くの人)にとっては、どうでもいいことかもしれません。でも、先々のことを考えたら、それは、地域間を行き交う人の数が減っていくことになり、やがては地域の衰退につながっていく。

そんなのずっと先のことでしょうと思いたいけれど、ぼくらは、たかがこの30年ぐらいの間に、賑わいが消えてしまった町を、たくさん見てきています。その原因は、鉄道の廃止にあるとは限らない、けれど、鉄道が消えて交通ネットワークから切り離されるということは、人の往来の可能性を狭めてしまうことであり、人の行き来がなくなれば、あとは静かに沈んでいくだけです。

生活路線としての鉄道の役割を放棄して、交通ネットワークとしての役割に資源を集中投下するのであれば、すべての路線を石勝線のような形にしなければならないのかもしれない。小さな駅を廃止することによって減少する赤字額なんていくらでもないでしょう、という反論は成り立ちそうだけれども、余裕のないギリギリの状態になれば、たとえ小さな金額であっても、優先順位の低い支出は絞らざるを得ない。

閑話休題。交通ネットワークという役割を持ってくると、その存廃の決定権を沿線市町村に委ねるのは、おかしな話になってきます。だからといって、そうだそうだ、そこは道が考えるべきだ!国がなんとかしろ!ということでもない。すぐにそっちに行っちゃうのは、北海道民の悪い癖。身内に向かって悪口は言いたくないけれど、ぼくも、北海道に住むようになって17年、その間に道内各地でお仕事をさせていただいて、それとともに遠くは九州まで北海道外の自治体や地場企業の方々ともお仕事させていただきましたが、やっぱり、そうなんです。最後は「お上」がなんとかしてくれると思ってる傾向は、やっぱり、強いんです。

もちろん、道や国が何もしなくていいわけでもない、けれど、その前に、まずは、道民ひとりひとりが、公共交通、ひいては公共ということについて、考えていかねばなりません。

石黒さんの「朝の食卓」は、こう結ばれています。

《地域内交通と広域交通の役割を担うローカル線の将来は、地方に暮らす私たちの手中にある。改めて公共交通の存在価値を見つめ直し、新たな時代に挑みたい。》

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豊平川リベンジ(走れないフル8日前)

次のフルマラソンまで1週間。5月5日の豊平川マラソンに最悪の体調で出た後、コンディションを戻すことに注力して走ってない。某氏からは「大会1ヶ月前であれだけ走れているのだから直前に走れなくても走力不足の心配は無用」と太鼓判を押されたものの、やっぱり、まったく走らないまま本番に臨むのは怖い。

暑さ対策も兼ねて、あえて、最も気温が上がる時間帯を選び、シャツ3枚重ね着(しかも長袖シャツ)で、豊平川の河川敷へ。

河川敷の道

昨日の札幌の最高気温は26度。湿度がないから数字ほど厳しいコンディションではないものの、上半身裸で走っている人もいたぐらいで、日差しはきつかったし、自分の感覚でも日陰に入るとホッとしたぐらいだったのだから、かなり、暑かったのでしょう。それに加えて強風が吹き荒れ(あれがなかったらもっと暑かったはず)、去年の日本最北端わっかない平和マラソンを思い出したほどに走りにくい。さらには、ひさしぶりに走るのだからと、いつもの倍ぐらいの量のパスタを茹でてしまったら、これは多すぎるよ!と思うほどの量、なんだが、せっかく茹でたのだからと全部食べてから出てきたら、なんとなく、体が重い。

そんなわけで(そんなわけでということに気づいたのはだいぶ時間が経ってからですが)、5kmぐらいで脚が動かなくなってきて、走るのを断念(笑)。だって走れないんだもの、仕方がないでしょう。いや〜、走れないな〜と苦笑しながら、だらだらと歩きながら、ときどき思い出したように走ることを繰り返して、それでも、一応、真駒内公園までは行ってみた。

熊出没注意の看板 5月16日に目撃情報があった旨の説明文も

真駒内のヒグマの出没は、この何日か、わりと大きなニュースになってます。この看板は、公園内のあちこちに、掲げられてました。なんとなく人出が少ないように見えたのは気のせいかなとも思いますが、ランナーが少なかったのは、ヒグマに対する警戒というよりは、洞爺湖マラソンの前日という要因が大きいのでしょう。洞爺湖マラソンが北海道内のシーズン最初のフルマラソンであることはランナーじゃない人の間でもわりと知られているようで(いつも書いてますが北海道のマラソンシーズンは日本の他の都府県と逆)、このところ、ランナーじゃない人からも、「日曜日は洞爺湖?」と、ときどき、聞かれます(当日のこんな時刻にこうしてブログを書いているということは、ぼくは洞爺湖マラソンには出ない、ということです)。

河川敷も、公園内も、まともに走れなくて、こんなヤツが来週フルマラソンなんか走れるのか?…残り1週間は、走らないとまずいんじゃないかと不安になる気持ちを抑えて、疲れを溜めないようにしなければ…なんだかんだいって、去年のこの時期よりは走れてるわけだし(平成最後の日は普通にフル走ってるんだし)、去年はあんな状態でも出た大会は(ぐだぐだとはいえ)すべて制限時間内に完走してるんだから、風邪ひいたりお腹こわしたりしなければ、大丈夫でしょう。

強風で桜吹雪が舞う真駒内公園。足元にはタンポポ。

まだ咲いている桜並木

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淡々と、粛々と



人生には理不尽なことが起きる。いくら自分が正しいことをやっていても、明らかにおかしなことが、自分の身に降りかかることはある。

そんなことは、50年以上も生きてれば、十分、わかってます。

その理不尽なことに対して抗っても、どうしようもないのです。怒ることは必要です。だけど、怒りのエネルギーを、起きてしまったことを覆すことに向けるのは、愚かなことです。起きてしまったことは起きてしまったこととして受け止め、その怒りのエネルギーは、いま何をすべきなのか、これからどうしていくのがよいのかに使うしかないのです。

湘南ベルマーレが、あのまま勝てずに終わっていたら、審判団は、もっと厳しい批判に晒されていたことでしょう。審判団の判断の間違いはベルマーレが勝とうが勝つまいが変わらずに検証されるべきものですが、世の中の空気として、もっと、ひどいことになっていたであろうところを、湘南ベルマーレの正しい努力が、暗雲を、吹き飛ばしてくれました。

ぼくの好きな考え方でいうと、神様はちゃんと見ていた、ってことになるんだけど、今回は、そんなことじゃないなと思います。誰が見てもおかしな理不尽なことを現実として受け入れたうえで、やるべきことをやった、湘南ベルマーレの勝利です。

浦和レッズのみなさんには申し訳ないが(西川周作はやりづらかったと思うよ、サッカーサイボーグではなく、感情を持った人間ですからね)、昨夜の湘南ベルマーレには、いくら拍手を贈っても足りないぐらいです。

何があろうとも、目標に向かって、淡々と、粛々と。それが人生です。

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あと100日!

令和最初の北海道マラソンは、ちょうど100日後。



昨年の=平成最後の=北海道マラソンは、一般の参加者(参加費を払って出場した人のうち陸連登録してない人)の出場者が13,651人に対して完走者は10,789人、完走率は79.0%。途中の時間制限に引っかかるなどして最後まで走らせてもらえなかった人が2,862人もいた、ということです。

ぼくは、男子50〜54歳の部で、完走者1,754人中の1,443位(もっとギリギリかと思ってたけど意外にそうでもなかった)。同じ男子50〜54歳の部の上のほうをみると、作田徹さんが4位にいて、UHBの京谷さんが11位(この辺はもちろんサブ3です)。去年の北海道マラソンで何十年ぶりかに会ったF社新入社員時代の先輩のK氏は900番台。マラソン大会のたびにコース上でお会いするTJM社のSK社長は1,310位で、ぼくとの間には132人もいるんだけど、タイムの差は6分44秒、ということは、この辺になると、男子50〜54歳という限られたカテゴリだけでも、3秒に1人ゴールしてるってことです。

男子45〜49歳の部は、完走者が1,989人で(50〜54歳よりも245人多い)、半月ほど前、平成最後の日に42.195kmを一緒に走ってくれた某氏は、その中で259位。さすがです。もっとも、タイムをみれば、彼にとってはベストタイムよりも20分近く遅いのだから、やっぱり真夏のフルマラソンっていうのは大変なんですね。

まあ、でも、順位とかタイムとかってのは、どうでもいいんです。
すべての完走者が勝者なのです。
それが市民マラソンなのです。

ともあれ、あと100日。
完走目指して、あと100日、がんばりましょう。
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昭和なマステ

平成最後のチャレンジャーとしてチャレンジ2020第1580日を終えた後、せっかく近くまで来たのだからと、大宮駅構内の鉄道グッズ専門店「レールヤード」に行き、お子さまがたで大混雑の中で見つけたのが、ここにしか売っていない(らしい)マスキングテープ。



08とか09とか書いてありますが、たしか全部で10種類あったと思います。マスキングテープって、最近は、お土産としていただくことも多いのですが、そもそも何に使うのか、いまだによくわかりません。わからないのに買ってしまうとはいかがなものかと、自分で自分に苦言を呈したい気分。

いつも持ち歩いているメモ帳(コクヨのスケッチブック)に貼ってみました。



どちらも描かれている車両は4種類。ということは、下の機関車のほうは、もう1種類あります。電気機関車−蒸気機関車−電気機関車とくれば、次も蒸気機関車、で、C61 20があるから、D51 498だろう…と思いきや、もう一つは、赤い電気機関車なのでした(それにしても「D51 498」なんて数字がすぐに出てくるのだから、ぼくは車両のことはわかってないヒトだと自分では思っているんですけど、世間的にみれば、まったくそうではないのだろうなあ…)。

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令和元年最初のクマ散歩

昨日のブログにあれこれ書いたら、ありがたいアドバイスをいただきまして、だいぶ、気持ちが軽くなりました。かたやで、金曜土曜とほとんど何もできなかったので(とりわけ土曜日はすべてを犠牲にして終日の休息をとったので)、やるべきことがたくさん残ってしまって、しかし、なかなか手がつけられないという、これは、よくないときのいつものパターン。

そういうときは、やっぱり、外へ出て、体を動かすに限ります。

スニーカーに普段着で、今シーズン初めて、大倉山のジャンプ台の上へ。



ぼくはもちろん徒歩ですが、観光客の方はリフトです。



一般人がジャンプ台の最も近くまで近寄れる場所の最高地点は、K点=120メートルよりもかなり上の、78メートル付近。



こんなところ登れるわけないだろ…と思ったのは、こんどの土曜日に、ここで、Red Bull 400が開催される旨の告知を、ここに来る途中で見たからです。Red Bull 400というのは、このジャンプ台を、下から上に向かって走る「世界で最も過酷な400m走」でありまして、去年の大会の映像は当日のテレビのニュースで見ましたが、実際に現場に来てみると、これは映像で見た以上にすさまじい斜度です。

これ、立てないですよね(^^;



こんなのが、延々と続いているのですよ(ジャンプ台だからねぇ)。



風が冷たくてちょっと寒かったけど、いいリフレッシュになりました。

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猫を棄てたことはないけれど

《五日間に及ぶ九州鉄道旅行で堪能したうえ、風邪までひいたから、しばらく羽を休めるのがふつうかもしれなかったが、調子づいてしまった私は、それから半月後の一月一八日金曜日の夕方から、また出かけることにした。珍しく女房が、また行くの、と言った。》(宮脇俊三『時刻表2万キロ』第4章)

このブログでは過去に何度か使っている『時刻表2万キロ』の第4章のこの書き出し、あらためて、うまいなあ、と思います。宮脇さんは自分よりもずっと経験豊富な大人なのだから、うまいのは当然だと(無意識のうちに)思っていたのですが、いつの間にか、自分の年齢が執筆当時の宮脇さんの年齢に達してしまいました。とても不思議な気分。

上で紹介した第4章の直前、第3章の終わりは、こう書かれています。

《とにかくこれで、私にとっては最長の、四泊にも及ぶ日程は無事終った。湯前線に乗れなかったのは残念であるが、姫路で寝過ごさず加古川線に入って来たのだから、その欠は補ってあまりある。(中略)帰りの新幹線のなかで居眠りをするうちに、気のゆるみか疲れからか、私は風邪をひいた。正月は蒲団のなかで過ごした。》

これに即していえば、ぼくの10連休は、豊平川マラソン(ハーフ)でまともに走れなかったのは残念であるが、その5日前の別所沼公園のフルマラソンでは最後まで走りきって2020日のうちの1580日目のランナーとしての役割を果たしたのだからその欠は補って余りある、のだが、そのあとに風邪をひくところまで、宮脇さんの真似しなくていいんだよ…

そして冒頭に戻ると、6日間でフルマラソンとハーフマラソンを両方走るという初めての経験でランニングを堪能したうえ、風邪までひいたから、しばらく羽を休めるのがふつうかもしれなかったが、もともと予定を入れていた私は、それから3週間後に、またフルマラソンを走ることになっているのである…と書いてみると、宮脇さんの《珍しく女房が、また行くの、と言った》の一文は、じつに効果的であることがわかるのですが、ここではそういう話をしたいのではない。

別所沼で、雨の中、42.195kmを5時間近くかけて走っている途中、スタッフの方から「寒くないですか?」と声をかけられて、だいじょぶです、と答えたものの、その後、札幌に帰ってきてから咳が出たり鼻水ずるずるになったりしたのだから、雨中のフルマラソンは、じつは自分の体にダメージを残していたのだろうと思います。一緒に走ってくれたHクンは長袖だったのに対し、ぼくは、半袖1枚でした。

それで豊平川マラソンに出て、14km過ぎで戦うことを諦めて、翌日は一日休んでから連休明けの仕事モードに心身の状態を切り替えてからは予想通りに風邪なんてどこへやら、だったのが、大事なプレゼンを終えたらまた調子が悪くなってきて(わかりやすく緊張が解けたということだ)、フェイスブックに写真1枚載せただけなのにやけに多くの「いいね!」を獲得した美唄やきとりの写真(ちゃんと考えて書いたことがあまり受けなくてあんな写真がたくさんの「いいね!」を獲得するのはなんだかなあと思うのだがそれはさておき)からその次の別の宴席へと移動する途中で風邪薬を買ったぐらいに調子が悪くなってきて、金曜日の午後はもう最悪といっていいぐらいで某会は会議だけ出させてもらって(一度も発言はしなかった)懇親会は出ずに帰って、これで早寝すれば大丈夫だろうと思っていたのに、結局、昨日(土曜日)は、蒲団のなかで過ごしたのでありました。

やっぱり、もう、若くはないのだな(笑)。

2週間後にフルマラソンがあるから、長い距離を走っておかないと…と、不安で仕方がなかったんだが、考えてみたら、この間、フルを走っているのだから(それもちゃんと走れているのだから)、そんなの心配することじゃなかったんですね。2週間後のフルは暑さとの戦いという別の要素も加わってくるものの、フルを走りきれるだけの脚はできているのだから、何もしないというのは論外にせよ、走り込み不足をそれほど気にすることでもない、のでしょう。そもそも2週間後のフルマラソンの目的は何かといえば、タイムを伸ばすことではなく(暑いし高低差の大きいコースだから記録をねらうのは無理)、8月の北海道マラソンに向けた暑さの中でフルマラソンを走ることの体験的トレーニングにあるのだから、今月は何キロしか走ってない!などと、気にすることはないのだ。それよりも、まずは、鼻がぐずぐずして、喉にエヘン虫が住みついている状態を完全に治すことだ。

フェイスブックを見ちゃうと、昨日今日と、ランニングしました、自転車乗りました、といった、春(本州だともう初夏?)の気持ちのいい緑色や青色の写真の報告がたくさんあって、うだうだしているオレは何をやっているんだろうと思えてくるんだけど、焦りは禁物。とにかく、キミは、もう、若くはないのだ。

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