熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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(再掲)11月25・26日開催 北海道鉄道観光資源研究会パネル展「北海道の鉄道 過去、現在、未来」

先日もご紹介しましたが、こんどの土日、北海道庁赤れんが庁舎2階で、北海道鉄道観光資源研究会パネル展「北海道の鉄道 過去、現在、未来」が開催されます。詳しい内容は、以下のとおりです。

北海道の鉄道の歴史パネル展

北海道鉄道地図展示

日本で最古の鉄製レール「茅沼炭鉱炭車レール」特別展示(岩内町郷土館所蔵)

札幌初公開「釧路・根室の簡易軌道」展 (釧路市立博物館 協力)

北海道の鉄道の歴史を紹介する「鉄道模型ジオラマ」展示

711系電車 座席シート 展示

北海道の鉄道関連「選奨土木遺産パネル」展示(土木学会北海道支部 協力)
など

開催日時:2017年11月25日(土)10時〜18時、26日(日)10時〜16時
開催場所:北海道庁赤れんが庁舎2階1号会議室
入場無料です。

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祝 北海道コンサドーレ札幌 2018年もJ1残留決定

新聞各紙1面

スポーツ新聞のみならず、北海道内で最も発行部数が多い北海道新聞という一般紙ですら「コンサJ1残留」というカラー写真付きの記事を1面の上に持ってくるあたりが、北海道の特殊性だなあと思います。そんなことを考えてしまうぐらいに、意外に、冷静というか、醒めてます。興奮度という点では、去年の今ごろ、ウッチーのゴールでJ1昇格を確実にしたときのほうが、はるかに大きかった。今回は、どちらかというと、ホッとした、ってところです(そういえば、去年の内村スーパーゴールの週末も、札幌ドームは「嵐」でした)。

今季は、開幕から2連敗しても、そんなにひどいことにはならないだろうと思ってました。だから、J1残留は、想定内。とはいえ、なんだかんだ言って、最終節まで引っ張るんだろうなと思ってたんで、2試合を残して決められたのは、たいしたものだと思います。

ホッとしたというのは、少し長い目でみれば、現社長の就任以来、コンサドーレは、確実に、よい方向に進んでいるわけで、それが、ここでまたJ2に戻ったら、まわり道になっちゃう。べつに急がなきゃいけない理由はないけれど、せっかくうまく行っているのに、勢いが削がれるのはもったいない。J2に戻っちゃったら、J2での戦いとJ1残留を目指した戦いで、最短でも2年間の道草をしなきゃいけなくなる。

経営というのは環境や運にも左右されますから、過去の経営者がダメだったというつもりはないのですが、野々村さんが、優秀な経営者であることは確かです。同じ事業、同じ陣容でも、経営トップが替わると会社の業績はこんなにも変わるものなのか、という、好事例を、目の前で見せられていることは、たくぎん破綻後20年の北海道全体にとっても、よいお手本になるはずです。

思えば、今季は、夏の中断期間に入る直前、J2降格圏に落ちそうだったところで、0−2から福森晃斗がフリーキックを2本続けて決めて追いつき、どうにか降格圏の手前で踏みとどまったのが、大きなポイントでした。ああいう試合をやっていれば、神様は意地悪をしない、というか、やることやってたから、神様がああいう奇跡をプレゼントしてくれたのかもしれない。

来季もJ1で戦えることになって、嬉しくないことはないんですけど、過去にいろんな経験をしてきた身としては、もう、頭の中は、来季のことになってます(<おまえはチーム関係者か(^^;))。16年ぶり残留、という16年前のシーズンというのは、残留はしたけれど翌年がぼろぼろでぶっちぎり最下位のJ2降格となったわけですが、あのときとの最大の違いは、残留したシーズンの成績だと思っています。16年前のシーズンは、序盤の「貯金」があって残留できただけで、シーズン終盤は、かなり、苦しい戦いを強いられました。それに対して、今季は、むしろ、後半のほうが成績が上がっていて、中位以上のチームとも互角に戦えるようになっています。シーズンを通じてチーム力を上げてきているのだから、これを落とさないようにさえすれば、来季は、もっとやれるはずです。

ついでに言っておくと、16年前は、シーズン終了後に、ウィルと播戸竜二が抜け、野々村芳和と名塚善寛も抜けたところに、自らが起用した選手に責任を取ってもらうなどと発言してしまう新人監督が来ちゃったわけで、どうもあのシーズンは新人監督の印象が悪すぎてアレなんですけど、いま思い返してみれば、チーム編成からして、ダメダメでした(さらについでにいうと、あの残留の翌年のぼろぼろシーズン、コンサドーレのポスターには「コンサドーレは観客動員ナンバーワンを目指します」みたいなことが書いてあって、それは違うだろう、少なくとも観客に向かってアピールすることじゃないだろうと思ったことを覚えています)。その点、いまは、社長の顔が見えるし、現社長はそんなおかしなことはやらないだろうとも思える。だから「北海道から世界へ」の道半ばで、2年(以上)も寄り道をさせたくない、という意味で、残留決定に、ホッとしているのです。

ぼくらは、このクラブをサポートするだけでなく、いわば媒体としてこのクラブを活用しながら、このクラブとともに、みんなで大きくなっていけるはずです。そのためにも、まずは、お金を払って、試合を見に行きましょう(一応突っ込まれないように言っておけばぼくはシーズンチケットを持っているから今シーズン分に関しては追加でお金を払うことはないのですが)。今季の最終戦は12月2日土曜日14時から、札幌ドームでのサガン鳥栖戦です。

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はたしてコレクターなのか

どうだ〜、レアだろ〜(笑)

奥津軽いまべつ駅入場券

どうしてもほしければ、ほしいんです〜、集めてるんです〜と言っていれば、どこかからまわってくるものなんでしょうけど、べつに集めているわけではないんで、あくまでも、自然体で、たまたま訪れたところにあれば買う、というスタンスなんで…

自然体ですよ。

津軽二股駅

まっすぐ帰ってくるのもつまらないので、ちょっとだけコースに変化をつけようってことで、並行する別のルートを使ってみたら、たまたま、その途中に、ご当地入場券があった、と。

入場券発売中のポスター

とはいえ、これ売ってなかったら、わざわざこんなルートは使わなかったかも(^^;
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中途半端なコレクター



釧路駅も網走駅も、ホテルにチェックインした後にわざわざ外出して買いに行ったのに、いちばん思い出の詰まっている駅である浜小清水駅を、買ってないんですよ。浜小清水駅の「わがまちご当地入場券」は駅に隣接の道の駅で売っていたのに、買わなかった。

こんな写真を撮っていたのだから、時間は、十分に、あった。


(この夜は満月でした)

じゃあどうして買わなかったのか?というと、浜小清水に「ご当地入場券」があることすら、認識してなかったからです。道の駅で、タコの足とか揚げじゃがとかは買ったのに、「ご当地入場券」は買わなかった。

まあ、そんなもんです。
コンプリートを目指すとかってのは、苦手です。

じゃあどうして「ご当地入場券」を買っているのかといえば、あくまでも、訪れた記念と、JR北海道さんがせっかくこういう商品を出してくれたのだから買いましょう、ということで、買ってます。

浜小清水駅は、また、そのうち、行くでしょう。

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岩内の茅沼

鉄道路線変せん史探訪V『北海道の鉄道』は1992年刊。

本の表紙

序文、まえがき、目次に続いて始まる本文は、こんなふうに始まっています。

《弧状をなして花づな列島と呼ばれ美しい姿を見せている日本列島、その北端が北海道である。面積は本州に次いで第2位。大陸性の気候による特異な環境にある巨島。この北海道に日本最初の鉄道が敷設された。
東京・横浜間の開通(明治5年・1872年)に先立つこと3年、明治2年(1869年)8月であった。
この最初の鉄道を茅沼鉄道という。
茅沼鉄道は、明治政府が徳川幕府から引継いだ慶応3年(1867年)開坑の北海道茅沼炭礦で、明治2年8月お雇いイギリス人技師ゼームス・スコットの設計によって、茅沼山中腹の坑口から茅沼海岸までの自然傾斜を利用し20町(2.2km)余に木軌条を敷設し石炭運搬に供したのが、日本における鉄道実用化の第1号である。》

それで、茅沼(かやぬま)というのはどこかというと、道東の釧網本線にタンチョウが来る駅として有名な茅沼駅がありますが、茅沼鉄道の茅沼は、それとは別の場所です。

同じ本の別の箇所から引用−《茅沼鉄道のあった位置は、日本海側の積丹半島のつけ根、後志支庁の茅沼、現在でいえば函館本線倶知安の次の駅小沢で、今回廃止された岩内線に乗りかえ終点岩内の近くである。》

もっとも、茅沼鉄道は、現在イメージされるいわゆる「鉄道」とは別物であり、この本の中でも、幌内鉄道のところで《茅沼鉄道は、単に自然傾斜を利用した運炭線にすぎず、機関車で運転したものでないから、今日でいう鉄道事業というべきものではなかった。》との記述があります。でも、鉄道的なもの、すなわち、レールの上に車両を置いた形での輸送を、日本で初めて実用化したのが茅沼炭礦であったことは、間違いありません。

来週の土日に開催されるパネル展「北海道の鉄道 過去、現在、未来」では、この茅沼炭礦のことについても、貴重な資料とともに、紹介しています。

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パネル展「北海道の鉄道 過去、現在、未来」11月25日・26日開催

札幌にて開催いたします(ぼくもお手伝いしてます)。

鉄道ファン向けというよりは、むしろ、鉄道に少し興味はあるけれどファンというほどでも…といった皆様にご覧いただきたい内容となっております(もちろん、鉄道ファンの方も大歓迎です<貴重な写真などの展示もあります)。

北海道の鉄道が厳しい状況に置かれている現状、多くの方に、鉄道に親しみ、鉄道の価値を再発見するきっかけとなっていただけるよう、準備を進めています。

ぜひ、ご来場ください。

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北海道鉄道観光資源研究会 パネル展
「北海道の鉄道 過去、現在、未来」
北海道150年事業応援企画

開拓から現在に至る北海道発展の礎となった「北海道の鉄道の歴史」をご紹介します。

未開の大地を切り拓き、ひととものの営みを支えた鉄道。
鉄道の果たした役割や出来事を振り返り、これからの北海道を考える契機になればとの想いから企画しました。

2017年11月25日(土)・26日(日)
10時〜18時(26日は16時まで)
北海道庁赤れんが庁舎(地図) 2階 1号会議室
入場無料

同時開催【札幌初公開】「釧路・根室の簡易軌道」展
(特別協力:釧路市立博物館

主催 北海道鉄道観光資源研究会
協賛 豊浦町 (株)日本旅行北海道 STUDIO MASSA (株)アンビックス なんぽろ温泉ハート&ハート
協力 岩内町郷土館 (株)北海道博報堂 狩勝高原エコトロッコ鉄道 富士フイルムイメージングシステムズ(株) (公社)土木学会北海道支部
後援 北海道150年事業実行委員会

パネル展チラシ

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昭和三十四年二月北海道

去年からいろいろあって急にまた鉄道趣味が復活したんですよぉ〜、それまでは別にそれほど鉄道が好きってことでもなかったんですよぉ〜、みたいな言い方を、ときどき、してるんですけど、今から8年前、2009年の年末に、1万円もする写真集を買ってるんだから、去年から急に復活したってのは、嘘ですね(笑)。

写真集 昭和三十四年二月北海道

『北辺の機関車たち』を眺めながら、思い出して、ひさしぶりに、書棚から出してみました。1万円の写真集というのは、ぼくにとっては結構な買い物でしたから、この写真集は、ふだんは、ガラス扉付きのところに、箱入りで、しまってあります。

写真集の帯 登場する鉄道

この写真集の特徴は、人がたくさん出てくること。北海道の美しい風景の中を走る絵葉書的な(という比喩をよく使ってきましたがそろそろ通用しなくなるたとえになってくるんだろうな)写真はあまりなくて、鉄道を利用する人、鉄道を支える人、鉄道のまわりで暮らす人たちが、たくさん、写っています。こういう写真を眺めていると、現在の北海道を築き上げてきたのは鉄道であることが、よく、わかります。それを、単純に経済性の問題だけで切り捨ててしまってよいものなのか?そこに先人への敬意を考慮する必要はないのか?と、つくづく、感じます。

そのぐらいの力が、この写真集には、あります。

だからといって大上段に構えても何も進まないので、ぼくらは、自分ができることをやっていくだけです。そのためには、やっぱり、体力と時間、なんだよなあと、最近、とみに思うわけであります。

ところで、この写真集には、冬の北浜駅の、浜小清水方から藻琴方に向けて撮った写真が載ってまして、写真の左側を見れば(60年近く前の写真とはいえ)紛れもなく北浜駅なのですが、右側に、もう一本、ホームがあるのです。あれ?と思って、我が家にあるいくつかの資料を当たってみたら、「北海道 釧網本線」(グループ169.1、1999年12月刊)の中にかつての北浜駅の構内配線図が載っていて、じつは北浜駅で列車の行き違いもできていたことがわかりました(知らなかった!)。こうした資料を紙で残してくれている方々がいることのありがたさを、あらためて、感じます。

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北浜駅と流氷と

昨日の続き。

写真集 北辺の機関車たち

今年復刻された写真集『北辺の機関車たち』(原本は昭和46(1971)年刊行)の中に、冬の北浜駅の写真があります。巻末には、その写真を解説した文章があり、ここに、原生花園YHが登場しています。

《朝日を浴び、北浜を出発する622レである。線路ばたに建てられた小屋の屋根によじ登り、逆光で雪と煙の美しさをねらってみた。なめらかな所が砂浜でゴツゴツしている所が海であるが、おわかりになるだろうか。このオホーツクの岸辺ほど、季節によってまるで違った印象を旅人に与える所は少ないだろう。ここ北浜の原生花園ユースホステルは、食事がよく、とても気のいいおばさんがいるので毎年利用させてもらっている。》(『北辺の機関車たち』巻末の解説文から)

ちょっと意外だったのは、これの少し前にあった、この文章。

《白鳥、丹頂、それに流氷を冬の北海道の三白(さんぱく)というのだそうだ。中でもオホーツク海沿岸に押し寄せる流氷は素晴らしいものだ。》(『北辺の機関車たち』巻末の解説文から)

ぼくが冬の北浜駅を初めて訪れた頃ですら、流氷観光は、現在ほどには一般的ではなかったのですが、もっともっと、ずっと前から、「三白」という言葉は、あったのですね。ただ、当時の北浜は、現在とは比べものにならないぐらいに、遠い場所だったろうと思います。まさか外国人が流氷を見に押し寄せてくるなんて、想像もつかなかったであろう頃の話です。

『北辺の機関車たち』の最後のページには、使用器材について、という項目があって、「フィルム」のところには、ネオパンSSとか、トライXとかって文字が並んでます。ただの文字の羅列なのに、これだけで、いろんな記憶がずるずると引っ張り出されてくるのが、不思議です。

大木 茂
復刊ドットコム
¥ 4,320
(2017-05-27)

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あれから30年(2)

ちょうど1週間前の朝。

原生花園ユースホステルの看板

この辺に来ると、どうしても、昔話をしてしまいます(年寄りなもので)。ぼくが中山記念小清水ユースホステル(YH)でヘルパーをやっていた頃、ときどき来ていた「麦わら帽子」は、まだ健在で、その前を歩きながら、小清水ユースからスキーで濤沸湖の上を渡って原生花園ユースの前で陸に上がってから「麦わら帽子」でチーズケーキを食べて…という話。さらに、それから数年後に清里にユースができたというので行ってみたら…と続くのですが、その話をすると長くなるのでやめておきましょう(たまたまですが、いま、このブログを書きながら、ぼくは、清里のユースでもらったカップで、コーヒーを飲んでます)。

30年前のスタンプ。62.3.19 原生花園YH。

原生花園ユースホステルのスタンプ

いま思うと完全に季節を間違えてるんだけど、ぼくはこのとき、流氷を見ようと、この地を訪れているのですね。しかも、モコモコすぎるダウンジャケット着てました(昔のダウンジャケットってやたらとモコモコだったじゃないですか)。3月の後半では流氷は期待薄、あんな分厚い格好はいらないと、今ならわかりますけど、当時は、わかんないですから。

どうしてなのかはさっぱり思い出せないけど、北海道ワイド周遊券で旅していたのに、原生花園ユースまでは、網走から、バスで行ったような気がします。この間(1週間前)歩いたらバス停の名前が変わってましたけど、当時は確か北浜局前だか北浜郵便局前だかというバス停で、そこで降りると近いと、ユースホステルハンドブックに書いてあったんじゃなかったかなあ。とはいえ、北浜駅からでも、十分に、歩いていける距離なんですけどね。

そこまでは記憶がしっかりしているのですが、その先は、記憶が、途切れてます。翌日に泊まった釧路まきばYH(上の写真にスタンプがあるからわかる)のことはよく覚えているし、その前後で鶴居村に行ってタンチョウを見たことも覚えてます。鶴居村に行ったということは、ここもまた、北海道ワイド周遊券では乗れない路線バスを使ったわけで、当時のぼくは銀箱に三脚の鉄ちゃんスタイルですけど、鉄道一辺倒でもなくて、わりと、そんなふうに、普通に観光もしてたんですね。

あれから30年(と7ヶ月余)、ちょうど1週間前の朝。

北浜駅で列車を出迎える子供たち

さすがにここは30年の間に一度も訪れていないということはなくて、いちばん近いところでは今年の2月にも訪れているし、東京に住んでいて北海道通いをしていた頃は、北海道へ来れば(礼文島でなければ)道東だったし、道東へ来れば(かなりの割合で)北浜や浜小清水を訪れていました。建物は減ったけれども、(浜小清水と違って)何かができたわけではないから、雰囲気は、あんまり変わってなくて、だから、この駅で下車して濤沸湖のほうへ歩いていくと、いろんなことを思い出して、語りたくなってしまうのでしょう(濤沸湖畔には、なんだかやたらといろんな建物ができてますけど)。

学生時代の11月下旬に北海道をほっつき歩いていたとき、あちこちのユースに電話しても出てもらえなくて、ようやく小清水ユースにつながったのは、セイコーマートのあたりにあった電話ボックスでした。そんなことも思い出せてしまうぐらいに、あの辺は、変わってない。

という昔話を始めると、北浜駅そのものは、展望台ができたり、海側に柵ができたりして、ずいぶん変わってしまったような気もするんだけど、それでも、そういうふうにしてきたことが、ここを観光地として生き延びさせてきたわけで、だから、そうした変化に文句をつけるつもりはありません(つけてるように見えるかな?)。

そうやっていろんなことを思い出してみたり、考えてみたりするにつけ、札幌に引っ越してきてから15年余、道内を旅することをしなくなったなあと思います。北海道の鉄道にはいろんな可能性がある、公共交通機関として利用するのとは別の価値がある、とか言ってますけど、そういう自分が、そういう形での利用をしてないじゃないかと、それは、寝台特急北斗星が廃止になるときに、こんなに札幌と東京の間を往復していても北斗星を使うことは滅多にないのだから仕方ないよねというのとは、まったく違う思いであって、もっと、近くに=といっても時間距離や感覚でいうとオホーツクよりも東京のほうが近いんですけど=目を向けなきゃいかんと、ちょっと、反省してます(いやいや、反省なんかしなくていいから、旅をしようよ、ってことだな)。

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