熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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日本の伝統から甘いものまで

SLやまぐち号に往復乗車すると、津和野での折り返しは2時間半ぐらいあるから、そこで昼食を…というつもりだったのが、やまぐち号が大幅に遅れて津和野滞在時間が短くなったうえ、雨に加えて傘が使えないような強い風(やまぐち号の遅れの原因)とあっては町歩きも億劫で、さて、どうしようか?と津和野駅の改札を抜けたところで、Kクンが「あれにしましょう」と言ったのが、これ。

日本の正しい駅、的な、待合室の片隅の、立ち食いそば。

そば・うどんコーナー

ここは西日本なので、やっぱり、うどんで。

肉うどん

駅そばは日本の伝統的ファーストフードです。

津和野駅の沿線観光案内
津和野駅の沿線観光案内

うどん(そば)スタンドのカウンターに「SL運転日のみ限定販売」の文字を発見。

駅弁の案内

気になったら買ってしまおう。

鮎弁当(包み紙)
鮎弁当
鮎弁当(中身)

さすがにうどん食った直後(その前にやまぐち号の車内でもいろんなものを食ってる)、これを一人で食べるのは無理なので、Kクンと分け合って食べました。

新山口から広島へ@新幹線のぞみ

チチヤス甘酒

広島駅の新しい駅ビルで、Kクンおすすめのハーフ&ハーフセット。

くにまつ+武蔵坊ハーフアンドハーフセット
くにまつ+武蔵坊ハーフアンドハーフセット

汁なしの店でゆっくり話すというわけにもいかないので、場所を変えましょうってことで、Kクンおすすめの(こちらは前からあるほうの)駅ビル内の喫茶店で、パフェセット。

なぜかフライドポテトがデフォルトでセットに


これ、ぷりんせすなんたらかんたら、というメニュー名で(「ぷりんせす」はひらがな表記)、声に出して注文するのがちょっとためらわれたのですが(^^;)、そこはKクンが引き受けてくれました。

津和野の肉うどんから広島のパフェセットまでがわずかに5時間ほどの間の出来事で、これだけ食べたのに、岡山駅の構内の売店(セブンイレブン)でサンドイッチや菓子パンを買ってからサンライズに乗ったオレはさすが旅慣れた人だと、翌朝、サンライズが止まったときに、自画自賛したのでありました。

《弁当と飲みものを二食分買い込み、岡山まで行くことにする。ダイヤが混乱しているときは、なによりも食糧を確保するにかぎる。食堂車、ビュフェはもとより、車内販売も中止のことが多いのだ。この列車も予想どおりで、途中駅の短い停車時間に弁当がないかと走りまわったり、お腹をすかせてうらめしそうな顔をする人たちを尻目に、食べるものを食べ、ぐっすり仮眠することができた。》(種村直樹『時刻表の旅』1979年刊)

もはや、食堂車やビュフェはもとより、車内販売もない時代になってしまいましたが、ぼくは、この、40年近くも前に読んだ種村先生の教えを、いまだに守っているのです、というより、40年近くも前、まだ真っ白だった頃に刷り込まれた教えだから、今も守っている(あるいは縛られたままになっている)のかもしれません。

先週のサンライズは、乗車時点では遅れてはいなかったし、その先で天候要因による遅れが発生することも予想していなかったのですが、山口線でダイヤの乱れに直面した直後だったこともあって、長距離列車だから閉じ込められたら困るな…というほど明確に意識したわけではなく、なんとなく、勘が働いた、ということなのでしょう。

あらためて、こうやって並べてみると、よく食ったなあ。こんな食生活はダメよ。

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列車遅れましたことをお詫び申し上げます

新山口駅から乗ったSLやまぐち号が動かなくなったのは、全行程129分のうち40分ほどが過ぎただけの、本来の停車駅ではない、宮野駅、でした。



この先が強風のため運転見合せ、とのアナウンスが入り、停車している間に、向かい側のホームにはタラコ色の気動車が入線。



これは、SLやまぐち号の後を追いかけてきた新山口発宮野行きの普通列車。宮野到着後は折り返しで新山口に戻っていくことになっている、ということで、ここで旅行を取りやめる場合はこの列車に乗ってくださいとの案内があり、団体のお客さん(観光バスで新山口または湯田温泉まで来てから津和野までSLやまぐち号に乗った後に再び観光バスで移動の行程)をはじめ、大勢の乗客が、SLやまぐち号の旅を諦めて宮野で下車。

満席だったはずのSLやまぐち号は、ガラガラに。



SLやまぐち号の新型の旧型ふう客車には、ちょうど真ん中に当たる3号車にイベントスペースが設けられていて、「投炭ゲーム」や「運転シミュレーター」が楽しめるようになっています(よくできてます)。ただし、ゲームに参加できる人数は限られているため、参加者は車内での抽選で選ばれることになっているのですが(これもまた乗客を飽きさせないための工夫なのでしょう)、ガラガラになってしまったし、列車がいつ動き出すかわからないということもあってか、イベントスペースの女性スタッフから「どうぞ、やってみませんか」と誘われまして

運転シミュレーターに悪戦苦闘(笑)


ありがたいことに、新山口行きの列車が出発した後もSLやまぐち号のドアは開放されたままで、宮野駅のホームを自由に歩けたうえに、乗務員のみなさんがとにかく親切で、こんな写真まで撮っていただきました。



撮ってくれたのは、炭水車の上にいた、この方です



ホームの端から外に出たらまずいんじゃないかな〜と遠慮していたら、「撮りましょうか?どうぞどうぞ、そこに立ってください」と言ってくれて、遠慮なく、堂々と、ホームの端の外側へと下りることができました。

で、こんな写真も撮れちゃったり。



結局、宮野には、1時間半ぐらい、止まってました。
でも、ちゃんと、無事に、運転は再開されました。

ガラガラになったので、窓も開け放題、D51の煙は浴び放題。



混んでいれば窓を開けるのは躊躇しますが、ガラガラだから、まわりに人がいない席に移動してから窓を開ければいい。

上り勾配で煙がもくもくの区間では、沿線にカメラマン(いわゆる撮り鉄さん)もたくさんいますが、列車が通り過ぎるときに手を振ってくれる方も多くて、しかも、みんな楽しそうにしているのが、とっても嬉しい。これだけダイヤが乱れていれば、しかも、雨と風の中で、やまぐち号を待っているのは大変だろうに、そんな空気はまったくなしに、笑顔で手を振ってくれるのだから、こちらも自然と笑顔になります。

満員であれば記念撮影スポットとなるはずの地福駅でも



乗客が少ないから、好きな角度で撮り放題、煙も浴び放題。

ただし、結構な勢いで、雨が降ってます。



だからといって、いちいち傘をさしたりはしないんで、もう、ずぶ濡れなんですけど、むしろそれがまたテンション上がったりするわけで(^^;)

宮野までは長蛇の列だった3号車の売店もガラガラになり、売り子のおねえさんと会話しながら、思わぬ長い道中になってしまったがためにお菓子やら何やらを買い込んで、大きなテーブルに並べて、友人ともども、食べたり飲んだり。



そんなこんなで、終点の津和野駅到着は、定刻よりも1時間40分以上遅れて、14時40分過ぎ。ダイヤ通りならば2時間09分の乗車時間が3時間50分以上となり、駅のアナウンスが「本日は列車が遅れましてご迷惑をおかけいたしましたことをお詫び申し上げます」と放送するのは当然のことなのでしょうが、むしろ、当初予定していた時間をはるかに上回って、長い時間、楽しませてもらったのだから、お礼を言いたいぐらいでした(笑)。

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新型の旧型客車

蒸気機関車の世代ではなく蒸気機関車への思い入れはさほどない(と思っている)ぼくがSLやまぐち号に乗りに行った最大の目的は、旧型客車ふうに見える最新の客車を体感することでした。



予習はこの2冊。



それがどんなものであるかは、いまの時代はネットを見ればいくらでも出てくるものの、やっぱり百聞は一見に如かず、でありまして、自分で見ないとわからないことはたくさんあります。そして、それは、できるだけ、自腹を切って体験しなきゃいけない(これすごく大事)。

旅の楽しみ的には、行きと帰りでルートを変えるというのが鉄則ですが、今回は、あえて、同じルートで往復しました。事前の予習で、1号車(グリーン車)は別として、2〜4号車までと5号車とでは座席や窓などの形状が異なること、5号車は最後尾になる場合には展望デッキが開放されることを知り、往路は2号車、復路は5号車の席を押さえてありました。




旧型客車ふう、といっても、偽物じゃないか。本当に古いものとは違うんだよね…という(狭量な)発想が、正直、なかったわけではない、のですが、実際に乗ってみて、あ、そうか!と思ったのは、洗面所やトイレがきれいであること。



そして、大型荷物収納スペースの存在。



座席間のテーブルに備え付けられた充電用コンセントや、通常の車両よりも広いシートピッチ、車端部にはモニターも備え付けられている、などなど、最新鋭の鉄道車両と比べても遜色がないどころか、最新型の車両よりもよほど優れた快適性が担保されています。



いやいや、古い車両は不便だからいいんだよ、こんな立派な設備はいらないんだよ、という考え方もありましょうが、鉄道ファンの人たちが許容できることと、それほど鉄道に思い入れがあるわけではない人たちが許容できるレベルは違います。一般の(特に鉄道ファンというわけでもない)人たちが許容できる「汚い」「臭い」「不便」のレベルは、おそらくは、ありのままの旧型客車を懐かしむ鉄道ファンよりも、相当に、高いところにある。

その快適性を持ちながら、でも、雰囲気は、旧型客車なのです。



こういう夜行列車に乗りたいよね〜、夜行列車なら北海道だよね〜というのは、同行の友人の話。仮にこの客車を北海道に持っていったとしても、牽引する機関車はどうするのか(JR貨物から借りる?)、機関車を運転する人はどうするのか、などなど、いろんな問題があって、そう簡単にはいかないことはわかっているけれど、それは既存の枠組みの中で考えるからであって、もしかするとどこかに出口があるのかもしれない。

オリエント急行を日本各地で走らせることができたのは、鉄道とはまったく無関係の人が言いだしたことだから、だと思うわけで、そういうぶっ飛んだことを戯言扱いしちゃいけないし、いや、まあ、してもいいんだけど、されたからといって、怒ったり諦めたりすることはない。言いたいやつには言わせておけばいい、ぐらいで、いいんじゃないの。

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不安は現実化する

こんなことになったらいやだなぁ…と思っていることは、たいてい、そうなるのです。



その前日、山口線の列車は、強風の影響で大幅に遅れて運行されていました。せっかくのSLやまぐち号を、新山口駅から30分ほど乗っただけの宮野駅で下車せざるを得なくなった方も多数いたのは、誠にお気の毒なことでした。

ぼくはその日の夜遅くまでに岡山へ行ければよかったから、いつ動くかわからないと言われていたSLやまぐち号にそのまま乗り続けたのですが、ぼくの心配は、別のところにありました。その時点では強風の影響で山陰本線の一部区間も運転見合わせになっていたから、出雲市から来るサンライズが運休なんてことにならなければいいな、運休しないまでも遅れると厄介なことになるんだけど、なんてことを、同行してくれた友人と話してました。



サンライズで東京に着いた後どうするか?は、サンライズの寝台券が(思いがけず)取れた(取れてしまった)後に噴出した問題で、わりと悩んだ末に、羽田から飛行機ですぐに帰ろうという結論を出してました(そのまま新幹線で新函館北斗という案はもちろん考えましたが、えらく高くつくのよね…)。

そうすると、次は、羽田から乗る飛行機を何時の便にするか?が悩みどころで、サンライズというのは夜行の長距離列車だから、遅れる可能性もある。あまりギリギリにすると、乗れなくなるかもしれない。

そんな話を、SLやまぐち号の中でしていたとき、同行の友人が「でも前にバスが遅れたときに追加料金なしで次の便に乗せてくれたことがありますよ、航空会社に関係ないことでも言えば対応してくれるかもしれませんよ」と言っていたことを思い出したのは、サンライズが(本来は停車駅でない駅に)長く停車したまま動かなくなってから、しばらく経った頃。



夜行列車に乗っていて、朝、起きたらへんなところにずっと止まっている、という経験は、過去にも何度かあって、たとえば、札幌から上りの北斗星に乗って目が覚めたら花巻で止まったままだった、なんてこともありまして、そのときは仙台から東北新幹線に乗っていいと言われたけれど乗り換えずにそのまま上野まで行ったら上野に着いたのが午後だった、なんてことを思い出すわけですが、そういう記憶が残っているから、夜行の長距離列車は遅れるかもしれない、などという不安を抱いてしまったりするわけです。

そして、そういう不安は、現実になるのです。



止まってからしばらくは、横浜で降りれば間に合うかな、とか、その前に新幹線に乗り換えたほうがいいかな、とか、その程度の軽い気持ちだったのが、時間が過ぎるにつれ、これはいよいよ間に合わないぞ、間に合わないと(予約していた飛行機は当日変更不可だから)札幌までの航空券を新たに買わなきゃならんぞ、それは一体いくらかかるんだろう、いやいやその前にそもそも空席はあるのかと調べてみたら(かつて北斗星が花巻で止まった頃はこんな芸当はできなかった)、空席は十分にあるけれど、当日購入となると、AIRDOでも3万円近い。

ひゃー。

そこで思い出したのが、前日に友人が語っていた話で、とりあえず、ANAスーパーフライヤーズカードデスクに電話をしてみたわけです。で、事情を説明したら、驚くほどあっさりと(本来は変更できないのですがという前口上の後に)「羽田空港に着いたらその旨をお話してください、搭乗可能な便に乗れるようにしておきます」との回答。

ぼくは真面目すぎるのか、不測の事態とはいえ、航空会社には無関係なことだから搭乗便の変更なんてできるはずがないと思い込んでいたのですが、サービス業の現場は、柔軟でした。

サンライズは、希望者には熱海から新幹線に振替輸送します、との案内があったものの、新幹線に乗り換えると特急料金(3,240円)は戻ってこないそうで(後から思い出したのですが二十数年前の北斗星のときもそうだったような気がする〜それで仙台で下車せずに上野まで乗り通したような気がする)、もう飛行機の時刻を心配する必要はなくなったし、熱海から「こだま」では東京駅到着もそれほど変わらないだろうと、そのまま、東京駅まで乗り通しました。

乗っていたのがノビノビ座席だったり、個室だとしても狭い部屋だったりしたら、さっさと抜け出したいと思って新幹線に乗り換えていたかもしれませんが、ぼくが乗っていたのはA寝台個室「シングルデラックス」という広い部屋。熱海から、座れるのかどうかもわからない新幹線に乗り換えるぐらいなら、このほうがいい。



強風や大雨が収まった後、動き出してからは快調に走り、東京駅に着いたのは、所定時刻から3時間58分遅れの11時06分頃。熱海から「こだま」に乗り換えた場合の東京駅到着は10時16分だから、その差は50分。岡山から12時間以上もかかっていることを思えば、50分なんて、たいした差じゃない。

つくづく、おめでたくできている人間だと、自分でも、思います。
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祝!川内優輝選手ボストンマラソン優勝!!

今朝、目が覚めて、枕元にあったiPhoneで知りました。

北海道新聞の朝刊では、これがギリギリ。



川内選手は今年の豊平川マラソン(5月5日開催)のゲストランナーであり、その豊平川マラソンにはぼくもエントリーしているのですが、あまりに練習ができていないから専門用語で言うところのDNSにしちゃおうか、なんてことを、まだ2週間以上もあるのに(2週間ちょっとしかないから)考えていたのでありますが、やっぱり、そんなことしちゃだめだ。

去年の今ごろも不安を抱えていたけれど、今年はそれ以上に走ってない。走ってないというのはまったくの言い訳で、1日の中で30分の時間を作ることはそんなに難しいことではなくて、30分あれば5キロ走れるんだからやればいいのに、やれてない(もっとも、ついこの間までは、睡眠不足に心身の摩耗で、たとえ30分でも捻出するのは困難だったのですが<だからそういう言い訳をしちゃだめだって)。

ただ、去年の今ごろと違うのは、去年の今ごろは20キロなんて走ったことなかったけど(豊平川マラソンはハーフマラソンです)、今はハーフもフルも大会を経験済であることで、豊平川マラソンは時間制限もないから、どうにかなるだろう…とは、思えます。

でも、それを考えると、じゃあ練習しなくてもいいや、ってことになるんで、それは考えちゃいけない…でも、時間もない…やっぱり埼スタまでレッズ戦を見に行ったり新宿まで写真展を見に行ったりしてる場合じゃないよな…

川内選手のボストンマラソン優勝の報に接してから、しばらくの間、そんなことが頭の中でぐるぐるしていて、ぐるぐるしたまま朝刊を開いたら、キハ183の保存活動でとてもお世話になった方の紹介記事を発見。



おお!ランナーだったのか!しかも、ウルトラだ!!

別の面には、こんな見出しが。



とにかく足を動かすことをやめない限りはゴールにたどり着く、という点で、マラソンは、納期の迫った仕事に似ているんですけど、納期の迫った仕事と違うのは、マラソンは、直前の無理がきかないこと。仕事ならば、睡眠時間を削って、最悪の場合は徹夜してでも仕上げるという方法がとれるけれど、マラソンは、直前に固めて走り込むということができない。

というのは、この年齢だからというのもあるんでしょうけど、たとえば今から毎日10キロ走ろうとしても、そんなことをしたら、2日目か3日目にはどこかが痛くなり始めて、それでも無理してやるとさらにどこかがおかしくなって、肝心な本番は故障で欠場、なんてことになりかねない。

夏の終わりの北海道マラソンで制限時間内に完走した後、その4日後には練習を再開できたのは、それまでの蓄積があったから。でも、まだ、蓄積がないこの時期は、そんなことはできません。今は、まだ体が慣れていないから、走るたびに身体の声を聞いて、少しずつ、少しずつ、距離を伸ばしていく。それも、毎日やればいいってものではなくて、状態をみながら、休むときは休んで、徐々に、距離を伸ばしていく。

というふうに考えていくと、豊平川マラソンには、間に合いそうもないのです。だから、出ない、って選択肢もある…けれど、豊平川マラソンは時間制限がないんだから、最悪は歩いちゃったっていいんだから、長い距離を走る練習だと思って、出ればいいんです。

豊平川マラソンもさることながら、今シーズン(というときの「シーズン」が北海道だけは日本の他の地域と正反対なので)最初のフルマラソンまで、残り1ヶ月ちょっとしかないのね。最終的な目標は北海道マラソンだけど、それまでの大会だって大事な大会だ。

言い訳は今日で封印!

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谷間月の実質日帰り鉄道旅行

《旅行月としての四月は、谷間のような月である。私は毎月、今月は旅行に出かけるのに好適だとか、そうでないとか、好条件悪条件を並べたてながら、けっきょくはどこかしらへ出かけてしまうのであるが、それでも過去の記録を見ると、ほとんど旅行していない月が三月ある。まずは八月。暑くて混む月だから、これはわかる。山や海へ行く人ならとにかく、私のように汽車に乗ること自体を旅行の主目的とする人間は敬遠せざるをえない。つぎに一二月。正月休みの分まで仕事をしなければならぬ忙しい月だから、これもわかる。もうひとつは四月である。八月や一二月ほどではないが、他の月にくらべると非常に旅行回数がすくない。しかもこの現象は私だけではないらしい。》(宮脇俊三『汽車旅12カ月』)。

宮脇さんがこう綴ったときから40年を経て、日本人の休暇は分散し、外国人旅行者がオフシーズンを埋めるようになっても、やっぱり4月というのは観光旅行は少ないのか、今回、急に思い立って出かけることにしたにもかかわらず、人気列車といわれるSLやまぐち号も、サンライズも、あっさり、指定券や寝台券を入手することができました。

それはいいんだけど、新千歳空港へ向かう電車の中でカメラを持ってくるのを忘れたことに気づき(ゆえに写真はすべてiPhone頼み)、ホテルに着いて荷を解いたら(というほどたくさん荷物があったわけでもないんだけど)スウェットの下だと思って持ってきたのが上だった(=寝間着代わりのズボンがない)とか、まだまだ本調子じゃない状態での短い(実質的には中一日がすべてみたいな)旅行ではあったのですが、ともあれ、結果的に(そんなに意識していろいろ選んだつもりでもなかったのに)いろんな列車(ほぼ電車)に乗ってきました。

今回のメインはSLやまぐち号


国鉄的な顔をした411系


いわゆる◯◯キイロの115系3000番代


「ひろしまシティ電車」として脚光を浴びたのは、たしか、ぼくが高校生の頃です。

新幹線その1 ひかりレールスター(列車は「こだま」でしたが)


新幹線その2 N700A


新幹線その3 やっぱりカッコイイ500系


ここは500系の列車を選んだうえで指定席をとりました

これ↓は2月に(かなり無理して)京都鉄道博物館に行ったときの写真

今回はこれ↑ではなく原色の500系↓でした

ぼくはやっぱりこっちが好き

最後はサンライズ



乗りっぱなしというほど乗ってないように感じたのですが、こうやって並べてみると、たくさん乗ってるんだなあ。
 

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持ってる男

予定通りならば、今ごろは、羽田空港で札幌へ帰る飛行機を待っていたはずでした。

現実は、静岡県内の、線路の上です。



いまや日本国内唯一の夜行列車である寝台特急サンライズ瀬戸・出雲のシングルデラックスという個室を、もっと長く楽しめということなのか。それにしても長すぎるので、せっかくデスクも付いているのだからと、このブログを書き始めたのであります。

デスクがあって電源があっても、動いている車内で作業をするというのは意外に疲れるものですが、だから今回はこういう個室をとったものの、このデスクは使わないままになるんだろうなと思っていたのですが、なにしろこの列車は動いていない(笑)。強風の影響で運転見合わせとのことで、静岡県内の同じ駅に、もう、3時間近く、停車したままです。本来は通過する駅だからドアが開くこともなく、ただ、待つしかない。

だから、それは、せっかく高い料金を払って珍しい列車の珍しい個室をとったのだから、もっと長い時間、楽しみなさい、ということなのだよ。

今にして思えばあの激多忙期によく京都なんか行ったものですが、ともあれ、心身がひたすら摩耗して擦り切れる寸前のところまで行った日々がようやく終わり、休めることになったからどこか遠くへ出かけよう、ってことで、昨日は(これまたチケットが取りにくいと言われている)SLやまぐち号に(チケットがうまい具合に取れたので)乗って、その後、広島を経由して岡山からサンライズに乗ったら、こんなことになっているわけですね。

昨日のSLやまぐち号も、強風の影響とのことで、本来は停車しない駅で止まったまま動かなくなり、そこで降りちゃった人もたくさんいたから行程の大半をガラガラの状態で、結果的には2時間09分で走るべきところを3時間50分もかけて走り、普通の人(?)であればぐったりしたり怒ったりするであろうところ、いやいや、こんなにたくさん乗れて嬉しいですよ、なんてことを(これは本気で)思ってたんですが、かたやで、おお、これはまたネタができたと考えていたことも確かなのであります。

それから24時間も経たないうちに、また、新たなネタですよ。昨日の山口線の強風抑止のときに、出雲市から来るサンライズが来ないんじゃないかと多少の不安はあったものの、まさか、こんな、東京のちょっと手前みたいなところに来てから、ストップするとは…こんなことなら未明の静岡あたりでストップしていたほうが、まだ、マシだったのに(新幹線に乗り換えられますからね)。

近年のぼくは、以前に比べればあんまり出かけてないんですけど、それにしては、昨年の9月には台風襲来で礼文島から帰れなくなりかけて(ギリギリで帰ってきたけど)、その3ヶ月前には大時化の中を礼文島に着いたらフラワーマラソン中止(ぼくの乗った船の次の便から翌日いっぱい全便欠航)、その少し前には特急大雪が当日運休になってキハ40の臨時快速で石北本線を走破、というところまでがこの1年の間の出来事で(それ以外にも列車が遅れて深名線のバスが待ってくれた話とかスーパーおおぞらがシカならぬクマと衝突してストップするとか細かいのはたくさんあります)、さらに遡れば、もう一昨年になりますが、12月に新千歳空港が大混乱して札幌から陸路で東京へ移動し、そこまではよかったけど、帰りの飛行機が欠航してクリスマスの夜を泊まるはずのなかった伊丹空港の近くの東横インで過ごさざるを得なくなった、なんてこともありました。

そんなことを思い出すにつけ、昨日に続いて今日も列車の大幅な遅れに直面しているのは、ぼくが、このところしばらくブログを書いてないから、ほら、ネタやるぞ、ブログ書け、ってことなんじゃないかと思うわけであります。

北斗星を郡山で降ろされたのは、もう、6年以上も前のことなんだなあ。

などと書いているうちに、列車が動き出したけど、さっきも、ちょっと動いたのに、バックして前の駅に戻ったからなあ(それはそれでかなりレアな体験<そこは楽しんでる場合じゃないだろって思うけど)。だから、まだまだ、信用できないぞ(笑)。

いくらなんでも、今日中には、帰れるだろ。

それにしても、こんなことになるならば、昨日、広島あたりで泊まっておけばよかったよ…などと考えるとどっと疲れが出るので、今はこの状況を(ネタ的に)楽しんでしまうことにしましょう。

それにしてもそれにしても、昨日、22時を過ぎた岡山駅で、サンドイッチとパンを買っておいたのは、何かの勘が働いたとしか思えないです。あの時点では、もう動きたくないぐらいに食べ過ぎだったのに(という話は、また、いずれ、書くとしましょう)。

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年度はじめの時刻表

昨日のブログは(北海道弁的にいうと)おだってたな〜と、少し冷静になってから読み返してみて(というのは、21時近くに年度末の仕事にケリをつける→クラウドファンディングの終了時刻の23時を「ほの家」で迎えてみんなで乾杯する→わざわざ車を出してくれた仲間に自宅まで送ってもらって午前1時に帰宅する、という流れのまま、その勢いで書いちゃったからなんですけど)、ちょっと恥ずかしいなと思ったりなんかしてるのでありますが、さらに1年前のブログを読み返してみると、これまた、同じようなことを書いてて、とくに最後のほうは同じようなトーンで、まるで進歩してないようにも見えるんだけど、1年前のブログの最後のほうにかなりボカして書いたのはまさしくキハ183の保存の話であって、それが1年経ったら実現してるんだから、確実に、前に進んでいるのです。

4月1日というのは1月1日みたいなもので、日本人の生活はここで切り替わるパターンが多いと思うのですが、1月1日と違うのは前後に休みがないことで、1月1日というのは(働いている人もいるけれど)前後は世の中的にお休みモードだから頭の中をリセットしやすいけれど、4月1日というのは普通のカレンダーの中で流れていく日だから、なんとなく、迎えてしまいがち、ですが、今年は幸いにして3月31日が土曜日で4月1日が日曜日だったから、そこで、多少、いろんなことを考えているわけです。

それで、昨日のブログは、おだってるなあ、と思ったわけです。

それはそれで、まあいいや(<猪木問答的に)。

年度が変わって、年度末にたくさん働いた分、多少、時間ができそうなので、どこかに出かけようかと、JR時刻表の今月号を買ったら、表紙の青函トンネルと北海道新幹線に始まって(「一本列島30年」ってことなんでしょうけど3月号でこれやるとJTB時刻表の表紙と同じになっちゃうから4月号に持ってきたのかなあと勝手に想像)、巻頭カラーページがほとんど北海道特集。

まず、これは記事じゃなくて広告ですけど、開いて最初のページ。

広告 北海道新聞社の本(鉄道の本を5冊紹介)

「北海道新聞社の本」の広告ですが、すべて、鉄道の本です。
(もちろんすべて我が家の書棚にありますよ)

次のページから4ページは、道南のみどころ紹介。

道南のみどころ紹介ページ

そして「駅舎紀行」は釧網本線の北浜駅。

北浜駅

いまどき大型の時刻表なんてまったく必要ないです。旅先に限らず日常生活でも常時携行している電話(もはや電話という認識すらない端末)があれば、時刻表なんていらないんですが、だからこそ、あえて、今月は、時刻表を持って出かけよう…と思っているのですが、いざそのときになったら、やっぱりこれかさばるから置いていこう、ってことになっちゃったりして。

JR時刻表4月号

 

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ご支援、ご協力 ありがとうございました

今年の元日から進めてきたクラウドファンディング「北海道・鉄道史の誇り。往年の「特急おおぞら」を国鉄色で未来へ」は、昨日(3月30日)23時に、終了いたしました。最終的には、885名の方から、1378万円ものご支援をいただくことができました。本当に、ありがとうございました。

昨夜は(というかほんの少し前まで)、クラウドファンディングの終了の打ち上げとして、麻生の「ほの家」さんで、ささやかな宴に加わらせていただきました。



思い起こせば、この話が始まったのは、ちょうど1年前、3月31日の夜のことでした。年度末の金曜日とあって、満員御礼大盛況の居酒屋の、すみっこの狭い、むりやり入れてもらったようなスペースに、大の男が5人、ぎゅうぎゅう詰めみたいにして飲んでいる席で、今回のクラウドファンディングの実行者となった矢野友宏さんが、183系気動車への熱い想いを語ったことが、すべての始まりでした。

そんなに言うならクラウドファンディングでお金集めてやればいいじゃないか。やるならみんな手伝うから、絶対に成功させるから、その代わり矢野さん本気でやるんだよ、という流れになったのは、いま気づいたんですけど、あの場にいた5人は趣味でつながったフラットな関係の5人だったとはいえ、年齢という点では、矢野さんがいちばん年下だったから、なのかもしれない。

翌日、というのは4月1日、エイプリルフールの日ですが、矢野さんを中心に、それぞれが、スラントノーズ車の保存へ向けて、水面下で、動き出しました。正直なことを言うと、矢野さんがFacebookに「183系を保存します」みたいなことをエイプリルフールのネタとして書いたのを見たときは、おいおい、あんまり調子に乗っちゃダメだよ!と思わないでもなかったんですけど(笑)。

最大の課題は、車両を保存する場所でした。それが決まらないと、JR北海道からの譲渡もままならない。逆にいうと、場所が決まれば、JR北海道から車両(廃車体)を譲渡していただくことは、どうにかなりそうでした、が、とにかく、場所がない。

まずは、線路がある場所、既存の営業線と線路がつながっているところを中心に、あんなところ、こんなところ、いろんな候補先を探しては、企画書を携えて訪問して、キハ183系を保存することの意義を説明し、ときには経済効果や地域振興への効果も訴え(その辺はぼくもちょっとお手伝いしました)、しかし、ファーストインプレッションでは好感触が得られても最終的な組織としての意思決定の段階になると断られてしまう…

そんなことを繰り返しているうち、JR北海道さんから内々に示されていた期限が迫り、JRさんとしても次年度の廃車の計画を策定しなければならない時期となり、もはやこれまでか…と覚悟しかけた、本当にギリギリのタイミングで巡り合ったのが、安平町でした。ぼくは、それまでは、どんな動きをしているかは聞いていたものの、せいぜい企画書作りのお手伝い程度だったのですが、安平町への最初の訪問時は、たまたま時間が空いていたこともあって同席することとなり、そこから(半ばなし崩し的に)キハ183系スラントノーズ車保存のための資金集めに関わることになったのでした。

3月31日に話が持ち上がって、それからあちこち歩いて、安平町との最初の接触が11月。そこからは、それまでの苦闘は何だったのかと思うぐらいに、ものすごいスピード感を持って、すべてのことが進んでいきました。安平町との交渉、JRとの交渉、クラウドファンディング会社との交渉、クラウドファンディングのための事業計画作り、収支計画作り、などなど、ややこしく慣れない仕事に、本業を持ちながら取り組んだ矢野さんをはじめとするプロジェクトメンバーのみなさんのパワーは(自分もその一端をほんの少しだけ担っていた身でありながらこんなことを言うのもなんですが)すさまじいものでした。

準備万端のようで、やや見切り発車気味の感もあった、元日のクラウドファンディングのスタート。JRや安平町などなど、関係者がたくさんいて、お金も絡む話ですから、事前に情報がへんなふうに漏れてへんなことになっても困るから、スタートするまでは完全非公開。スタートしてから、新聞やテレビにも売り込んで取り上げていただき、クラウドファンディングの序盤で1台目の車両保存はなんとかなりそうだと思えたものの、でも、まさか、最終的に1,000万円を大きく超えるような額が集まるとは、まったく予想だにしなかったことでした。

矢野さんは「だって183ですよ」と熱く語るけれど、蒸気機関車やブルートレインに比べたら、キハ183系は、地味です。北海道にとってはエポックメイキングな価値ある車両ですが、逆にいうと、北海道ファンにしか価値のわからない車両であるともいえます。なんといっても、北海道専用車両ですから、北海道外の方には、馴染みがない車両なのです。クラウドファンディングがスタートする前は、610万円という最初のゴール(1台分の移設必要額)ですら、本当に達成できるのかどうか、半信半疑でした。

いろんなことがありました。今夜というか昨夜というか、あの、183保存への第一歩を踏み出した夜から364日後の夜、みんなで語り合って、いろんなことはみんなで飲み込み、そして、さらに前へ進んでいくことを、みんなで確認しました。

1,378万円という大金を預かってしまったのですから、責任重大です。といっても、あんまりそういうふうに考えると楽しくないから、責任は責任としてつねに胸の奥に抱えておきながら、明るく楽しく、みんなのために、未来を生きる子供たちのために、来年春の安平町道の駅のオープンに向けて、さらにその先も見据えて、道筋をつけていくことが、ぼくらの役割です。

そんな難しい話をしたわけではなく、今夜は、気の置けない仲間たちと、楽しく、本来の閉店時刻を大きく過ぎた、完全に日付が変わってもう電車では帰れない時間帯まで、特別にお店を開けていただいて、そこで、いろんな話をして(途中で寝落ちしている人もいましたけど(^^;))、気持ち、心を通じ合うことができた晩でした。

とても素敵な仲間たちがいます。それは、とても、幸せなことです。

あらためて、クラウドファンディングにご協力いただいた皆様に、感謝申し上げます。

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