熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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最後の道内時刻表を携えて

長らく親しんできた道内時刻表は、2017年3月号から、北海道時刻表に。



といっても、長らく親しんできた道内時刻表は弘済出版社の道内時刻表であって、交通新聞社の道内時刻表というのはいまだに違和感あったりするわけですが、でも、とにかく、道外に住んでいた頃から、北海道を旅するなら道内時刻表でした。JTBの北海道時刻表(ちょっと横長の形してたあれです)のほうがバス路線が充実している(でしたっけ?)とか、いろんな話もありましたけど、リュックにすっぽり収まるこのサイズとこの厚さ(薄さ)は、手にしただけで旅の気分を思い出させてくれます。

2017年2月号を買ったのは、最後の道内時刻表だから、ではなく(2月号が最後だなんてことはついこの間までまったく知らなかった)、2月下旬、ひさしぶりに、少し長めに列車に乗ることになって、でも乗るときになると時刻表は3月号になっちゃって3月にはダイヤ改正があるからその前に買っておこうと、2月号を買っておいたのでした。

交通新聞社の北海道時刻表を1ページずつ見ていくと、いちいち説明していたらキリがないほどにいろんな発見がありますが、ぼくがいちばん気になったのは、時刻表の機能的には実質最終ページに当たるところに載っている「北海道内ユース・ホステル一覧表」。



25年ぐらい前に「ユース・ホステルしんぶん」の1面に載った者としては、ぱっと見、こんなに少なくなっちゃったのか!と驚いて、さらによくみれば、知らない名前ばっかりになってることに驚かされます。ぼくの感覚でいえばリバティ(東武鉄道の新しい特急電車の名前)なんて新しいユースだったはずなんだけど、こうやってみれば、もう、老舗の部類だよなあ。

1980年代の浜中ユース(ぼくはヘルパーでもないのにヘルパーさんみたいな仕事をしていたことがあるユース)で、ミーティング(仕事の打ち合わせじゃないよ)のときに、チームを組んだメンバーがそれぞれ道内のユース・ホステルの名前のうちの一文字を同時に発声して、他のチームがそのユース・ホステルの名前を当てる、というゲームがあって(たとえば4人が「は」「ま」「な」「か」を同時に言う→他のチームはそれを聞いて「浜中ユース」を当てる)、ぼくらは北海道に何度も来ている人たちばかりのチームだったから、絶対に当てられない名前を連発したら、「かねふく」のところで場の空気が凍りつき、誰かが小さな声で「そんなの誰も知らねえよ…」と呟いたのが聞こえてしまって、楽しいゲームが完全にしらけてしまったことがありました…というのを思い出したけど、「かねふく」なんて、そりゃ、もう、ないよね(「かねふく」と聞いて漢字が浮かんで場所までわかった人はたぶん同世代かもっと上の北海道旅行者です)。

ちなみにこれは1993年4月号の道内時刻表。



この当時は、まだ、現役のホステラーだったから、名前をみると、懐かしい感覚が甦ってきます。この1993年4月号に載っているのは63軒(それでも全盛期よりはかなり少なくなっていると思う)、上の2017年3月号は37軒。最近のユースはみんな定員が小さくなっているらしいし、もう、ぼくが知っている頃とは、まったく別の存在なんだろうなあ(で、前にも書きましたけど、あの頃にインターネットがあって東横インやドーミーインやルートインがあれば、ユースじゃなくてそっちに泊まってたような気もする…けど、北海道のユース・ホステルがぼくを育てたようなものですから、やっぱり、ユースを選んでたのかもね)。
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白いワイシャツ

白無地のシャツなんて、めったに着ないのですが



こういう場なので、着てみました。



NHKにも出てたらしいし、先週はSTVに出てたらしいんですが、自分でちゃんと見たのは、今回が初めてです。NHKも18時台は録画予約してたんですけど、20時台に登場したようで。

(追記)
NHKはネット(北海道NEWS WEB)で見られました。


労をねぎらわれるのはまだ早いんですが、軽く、乾杯。



おかげさまで、本日は大盛況でした。
いろいろとご協力いただいたみなさま、ありがとうございました。
 
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わが青春の釧網本線

このブログで釧網本線の写真集の紹介をしたのは、ちょうど1年前でした。そしたら(これがインターネットでソーシャルメディアな時代のおもしろいところで)写真集の作者から連絡が来て、じつはぼくは作者の人と会っていた時期があって、ぼくは釧網本線沿線を年に何度も訪れていた時期があるからその頃のことかと思いきや、作者の人と会っていた場所は礼文島だった、という話は、去年、書きました。あれからはや1年、その間に、いろんなことがありましたが、それはさておき。

先週月曜日のNHK(北海道ローカル)で、釧網本線の特集やってました。

テレビ番組 各駅停車おいしい旅 釧網線

ぼくが釧網本線をよく利用していたのは、1987年頃から1995年頃の間のこと。最初に行ったのは、北浜駅にほど近い、原生花園ユース・ホステル(通称「げんなま」)でした。



その後は、濤沸湖を挟んで対岸に位置する小清水のユース・ホステルにハマり、ヘルパー(介護ではない)もやりました。ホステラーとして訪れたときには北浜〜浜小清水駅〜止別のあたりをよく歩いたし(文字通り自分で歩いてました)、小清水ユースのペアレントさんが美幌ユースに移ってからは、網走乗り換えで、北浜や浜小清水のあたりを、行ったりきたりしてました。

今回の番組は「流氷物語号」がメインだったので

念のため書き添えておきますが、上の画面の前には、東釧路から網走まで、という路線図が、ちゃんと、出てました。

清里のユースにもよく行ったし(スタンプカードのスタンプ10個でもらったコーヒーカップは今なお現役です)、小清水の後は釧路・根室方面に出ることも多かったし、札幌から釧路まで夜行で来てとりあえず釧網本線の一番列車に乗って塘路あたりで下車してみるなんてのもよくあったし、川湯まで乗って駅前の風呂に入ってみたり…釧網本線には、20代の頃の思い出がたくさん詰まってます。
 

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喫茶「停車場」は31年目

昨日のブログを書くにあたって本棚から取り出してみた『気まぐれ列車に御招待』(種村直樹著、1989年、実業之日本社)には、種村さんとぼくが北海道を乗り歩いた記録が載っています(ぼくは、このとき、北海道で開催されたイベントの幹事でした<あの頃、道内在住でイベントを手伝ってくれたみなさんは、今、どこで何をしているのだろう…?)。

1987年7月28日の行程図

このイラストのイメージは、北浜駅の駅舎を活用した喫茶店「停車場」です。札幌から急行「大雪」で網走へ向かい、原生花園駅へ寄ってから、「停車場」でコーヒーを飲んだのでした。それは明確に記憶しているし、このとき原生花園駅を訪れたのは、原生花園駅がこの年に開業したばかりだったから、ということも覚えていたのですが、「停車場」もまた、種村氏にとって初訪問の場所だったことは、昨日、読み返すまで、すっかり忘れてました。

《貝がらのおまけつき入場券で評判になり、「オホーツクに一番近い駅」をキャッチフレーズに駅舎のまわりからホームまで漁具や貝がらで美しく飾りつけていた北浜駅が84年3月に無人化と聞いたときは、知恵のない話だなと思った。しかし、当分の間という条件で駅員配置がしばらく存続。JR化を前に近所の食堂の主人が簡易委託を引き受け、昨86年7月から喫茶「停車場」を開店し、釧網本線無人駅舎活用のパイオニアとなったのだ》(種村直樹『気まぐれ列車に御招待』p.80〜81)

つまり、去年は、「停車場」開店30周年だったわけですね。

同じ頃に、浜小清水駅に「汽車ポッポ」、止別駅に「えきばしゃ」、少し離れた川湯駅に「オーチャードグラス」と、無人駅を活用した飲食店ができて、上に書いたように原生花園駅ができて、釧路湿原駅ができて、といった具合に、この時期は(国鉄の分割民営化や釧路湿原の国立公園指定という背景もあって)釧網本線の観光路線化が急速に進んだ時期でした。

それから30年。いまでは、沿線の人口は減り、マイカーの普及率は高まり、釧網本線の利用者数は減り…という流れではあるのですが、でも、30年前も、駅が無人化されて廃れそうになったところを、そうやって、地元の方々が動いて沿線が活気づき、いったんは廃止された原生花園駅が復活したり、新たに釧路湿原駅が開業したりしているわけです。

時代は繰り返す。いやいや、当時よりもっと厳しい状況だよと言われれば、そうかもしれませんけど、30年前、種村氏が「知恵のない話だと思った」と書いてしまうような頃だって、同時代的には、もうどうしようもないほどに厳しいと感じていたのではないかと思うのです。でも、そこからわずか数年で、流れが変わっていったのです。

先人が築いてきた30年の観光路線への取り組みに敬意を表しつつ、どこかで流れががらっと変わるときが来るのを信じて、列車に乗れる人は乗る、乗れなければ(行けなければ)買って応援する、などなど、みんなで応援を続けていきましょう。
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1180円の駅弁と1900円の特急券

本日も(たまたまお昼前に近くに行ったこともあって)丸井今井札幌本店大通館9階「第119回全国うまいもの大会」の会場を訪れ、大館駅の鶏めしを購入。

今日は1日限定30個の高級品。1つ1180円。



こちらの特急券は1900円。昭和56年8月、大館駅発行。



まだ、東北ワイド周遊券では特急には乗れなかった頃。1900円も出して特急に乗ったとは、よほどの事情があったのか、ただ、当時は、現在とは違って、事前にかっちり予定を組んで旅行していたから、この1900円の出費は最初から予算化されていたはずで、いくらなんでも旅行中に突発的に1900円の出費というのは、当時の自分にはあり得ないことです(こういう旅を若いときに経験しておいてよかったなあと思う今日このごろ)。

大館駅に行ったのはこのときが最初かどうかもよくわからないのですが、入場券を買っているのだから、おそらく、このときが最初なのでしょう。

大館駅に行ったのはこのときが最後ではないことだけは、はっきりしています。



《大館駅を発車するとき、上りホームに小熊が》の「小熊」は、ぼくのことです。

この本に載ってます。



なぜ小熊なのか?は、73ページに載ってます。



大館駅がどんな駅だったかはまったく記憶にないのですが、上の本に書いてある、上りホームに立っていたら、反対側の下りホームに入ってきた急行「津軽」の14系客車の窓に、種村直樹さんの姿が見えたことは、よく覚えています。

上の画像では文字が欠けていますが、種村さんが「押してくれた」と書いているのはカメラのシャッターのことで、上りホームにいたぼくが青い客車の窓越しの種村さんを撮ったのですが、いま思えばよく撮ったものだと思うのは、当時はカメラは1台しか持ってなくて(当たり前だ)、この東北の旅の後に北海道へ渡る予定だったこともあって、一眼レフの中に入っていたのはリバーサルフィルムでありました(まだベルビアはなかったと思うけどフジクロームがわりとよくなってきていてエクタクロームじゃなくてフジクローム使ってたような気がする)。

それで、いまさらながらに思うのは、ぼくはやっぱり「撮り鉄」ではないのです。

この、大館駅で種村さんとすれ違った夏は、青函博ってのをやってたときで、青函連絡船が復活運航していたこともあって、元町の坂の上から青函連絡船と市電のカットを狙ったりはしていたけれど、リバーサルフィルムが入っているのに平気でそういうスナップ写真みたいなのを撮っちゃう、というか、どっちかといえばそういうのばかり撮ってたわけで、線路際に立って一瞬の勝負をするってのとは、もう、この頃から、違ってました。だから「筋金入りのテツです」とか紹介されちゃうと、うーん、そうなのかなあ…と思っちゃうんですけど、それは、たぶん、そうなのかなあ…のほうが、違うのでしょうね(^^;)

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今年読んだ本(その2)

おもしろかった。一気読み。



テンポがいいです。こういうのを、うまい文章っていうんだろうな。読みやすくて、すっと頭の中に入ってくる。それでいて、薄っぺらくない。

表紙カバーと帯にごちゃごちゃたくさん書いてあるとおり、著者自身の起業とベンチャー企業経営の経験を綴ったノンフィクションなのですが、結果的に、いわゆるバブル以後の日本の情報通信業の歴史とベンチャーの歴史と中小企業金融の歴史がコンパクトにまとめられた本になっています。ひとつひとつの出来事を切り出すとわかりにくいことが、全部をつなげて俯瞰することでよくわかる、みたいな感じ。

ただ、これ、読み手を選ぶ本、だとは思います。ぼくは、情報通信業のことも、ベンチャーのことも、金融のことも、多少の実体験も踏まえて知っているから、この本に書かれていることは(多少の実感も伴って)よくわかるし、ものすごく勉強になったんですけど、それらのいずれにもかすってない人だと、何がおもしろいのか、わからないかもしれない。

(けれど、本って、本来、そういうものなんじゃないかしらん…万人受けするってことは、薄っぺらいってことの裏返しですから<あー、また、そういう、敵を作るようなことを言ってはいけませんね)

《そもそも失敗の原因は複合的だ。しかし、それを自らの過ちではなく、経営環境、幹部や社員、不運といった他責にする経営者は、人間不信の度を深め、孤独の闇に陥ってしまう。自分自身の弱点や失敗を客観的に見て、素直に変わろうと努力する人だけが、新しい自分、未見の我に出会い、新たな自分を創造できるのだろう》(p.296)

いきなりこの言葉を持ってこられたら、胡散くさくて、自分の中に入ってこないと思うのですが、この本をずっと読んできて、著者のさまざまな過去を疑似体験してからこの文章に出会うと、すごく、説得力があります。そして、上の引用箇所の最後が「創造できる」ではなくて「創造できるのだろう」と、推量になっているのがいいです。言い切る人ほど、怪しいですから。こういう言い方をする人は、一見すると自信がないように感じるかもしれないけど、逆に、信用できる人であることが多いように、自分自身の経験からは感じます。

《人は何度でも挑戦できる。困難は神が与えてくれた絶妙なパズルだ。…(中略)…恐れずに立ち向かえば、解決の糸口は必ず見つかる。お金や名誉ではなく、自らの心の声に素直になり、心の喜びを目指して突き進むことだ。誰にでも苦しい時が必ずあるだろう。苦境に陥ると、人は陰口を叩くものだ。徒党を組んで追い落としにかかる人もいる。でも、気にすることはない。その人にもその人の人生があり、家族や友人を大切にして、泣き笑いしながら精一杯生きているだけなのだ》(p.298〜299)

この言葉は、すごいです。この本の中に描かれている著者の経験を考えれば、誰かを恨んで恨み続けても誰も不思議に思わないだろうに、こういうことが言えちゃうってのは、すごい。

人は何度でも挑戦できる。老け込んでる場合じゃないぞ。

 

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早くも再上陸

昨年秋に北海道初上陸したばかりの大館駅の名物駅弁「鶏めし」が早くも再上陸。昨日から始まった丸井今井札幌本店「第119回全国うまいもの大会」(〜3月1日)に出展中です。




今回は、前回と違って、わりと奥まったところです。そこに行き着くまでに、森のいかめしをはじめ、ライバルが多数存在している、ということは、前回の実績で、そういう場所でもやれるという判断になったのか、どうなのか。

前にも書きましたが、こういうデパートのイベントで得られた収益が、およそ駅での販売の維持を支えているのであれば、それはそれでありだと思ってます。食堂車も車内販売も壊滅状態のいま、せめて、駅弁だけは、残していただきたい。東京駅の地下とか、駅ナカの弁当とかじゃなくて、いわゆる駅弁らしい駅弁を残すのは大変だと思いますが(地方へ行けば列車の利用者が少なくなっているうえに生まれたときからコンビニがあった人たち=駅弁を買うという選択肢が最初から頭の中にない人たち=が世の中のけっこうな割合を占めてきているわけで)、いつまでも、頑張っていただきたいものです。

というわけで、丸井今井札幌本店大通館9階へ、急げ!
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流氷観光

この間も紹介した『ドキュメント 流氷くる!』(菊池慶一著、2000年1月刊)の中には、こんな一節があります。

《私が流氷見聞記の「白いオホーツク」を最初に出版した二十五年前には、奇人変人の部類に入れられた。今でもそんなに変わりはないが……。当時流氷が早く来て欲しいなどと言おうものなら、石つぶてが飛んできそうだった。流氷は漁業を妨げ、寒さを運んでくる邪魔物という観念が、わずか二、三十年の間に変化したのだから、今世紀に特筆されるべき文化構造の様がわりである。》(p.34)

ということは、ぼくが初めて流氷を見に行ったのは、その様がわりのちょうど中間ぐらいの時期、ということになります。紋別の「ガリンコ号」は登場したばかりで、網走の「おーろら」は、まだ、なかった頃。釧網本線を走る流氷ノロッコ号も、まだ、なかった。流氷はそれなりに観光資源として意識されてはいたと思うけれど、冬の観光の目玉ってほどではなかったような気がします。

…と書きながら、気になったので調べてみたら、「ガリンコ号」の登場が1987年、「流氷ノロッコ号」が1990年、「おーろら」は1991年。ぼくが小清水でユースのヘルパーやったのは1989年の冬だから、その辺から、流氷観光が本格化してるってのは、そんなに間違っていない。

なんでいまさらそんなことを言っているのかというと、今年の冬、「流氷ノロッコ号」の後継として運行されている「流氷物語号」の評判がよいのは、その頃からの積み重ねがあるからなのだろうと思うからです。だから、ただのラッピング車両じゃないか、指定席もないのに何が観光列車だ、などなどの声があっても、びくともしない。先人の努力があって、地域の人たちが長い時間をかけて流氷観光という資源を育て上げてきたから、いまがある。

批判のための批判をするつもりではないけれど、よく言われるように、そこは、北海道の、とても弱いところです。わーっと盛り上がるけれど、育てていくことができない。最初からどかんと打ち上げ花火を上げようとして、うまくいかないと、すぐにあきらめちゃう。

もちろん、ビジネス的な視点でいえば、助走期間は赤字でもいい、なんてことではなくて、最初から収益が出るようなモデルを作ることは必須なのですが(ここを間違えると事業はうまくいかない)、最初からどーんと大きくするようなものを目指すのではなく、大事なことは、小さく生んで長い目で見ていくこと、そして、単発の大きな花火を打ち上げるのではなく、小さなタマを次々に繰り出していくこと(何が当たるかわからないのですから…それを決めるのはマーケットなのですから!)。当たり前のことではあるのですが、自分の頭の中にある流氷観光の記憶を引っ張り出してみて、あらためて、そんなことを考えています。

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実感ないけど あと10日

コンサドーレから荷物が来た。



何が来たんだ?と考えるまでもなく、この時期に来る荷物といえば、シーズンチケット(おまけ付き)しかないんだけど、10日後が開幕戦といわれても、なんだか、ぜんぜん、実感が伴わない。あれ?もう始まっちゃうの?って感じ。もっとも、開幕戦と第2戦はアウェーで、実際にスタジアムに見に行くのは3月11日の札幌ドームでの試合が最初だから、そこまで数えるなら、まだ、1ヶ月近くあるんだけどね。

今回のシーズンチケットのおまけは、ちゃんとしたマフラーが続いた後だけに、ちょっと、んんん…かも。薄すぎるウィンドブレーカーに、マジックテープがベリベリうるさすぎるバッグ。そんなこと言いながら、まあ、でも、使うんだろうけど。

ホームゲームチケット販売はこんどの土曜日からです。
 
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