熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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30年前の稚内発西大山経由枕崎ゆき

言われて初めて気づいたんですけど、種村直樹レイルウェイ・ライター友の会のイベントとして、日本最北端の駅である稚内から、日本最南端の駅(当時)である西大山まで、6泊7日の旅をしたのは、ちょうど30年前の今ごろでした。

旅の様子は『日本縦断鈍行最終列車』(種村直樹、徳間書店)に記録されています。

単行本 日本縦断鈍行最終列車

これほどまでに帯がボロボロになってしまったら、普通は捨てるんだけど(そもそも帯って捨てちゃうことのほうが多いんですけど)、これは、やっぱり、捨てられないです。

この旅では、ぼくは、幹事団の一人でした。幹事だったから、一応、稚内から西大山経由枕崎(西大山では宿泊できないので最後は枕崎まで行った)まで、全区間にお付き合いしました。ただ、「一応」というのは、本来は普通列車を乗り継いで旅をすることになっていたのに、ぼくは、いったん自宅に戻って着替えを取りに行くという理由で、途中で東北新幹線を使っているからで(当時は埼玉県民でした)、そんなこともう忘れてますけど、この本の116ページにそう書いてあるから、そうなのでしょう。

種村直樹レイルウェイ・ライター友の会のイベントで稚内から枕崎への6泊7日、といっても、全区間に参加した人は少数で、大半は、そのうちの一部の区間だけの参加でした。参加者総数は113人だったと、この本に、書いてあります。

ちょうど30年前の今日、8月22日は、益田17時50分発の831レで22時46分に下関に着いて、下関からは小倉行きに乗り継ぎ、小倉で23時40分発の南福岡行き最終電車199Mに乗り換え、南福岡に1時08分に着いてそのまま駅待合室で仮眠、というスケジュールでした。ということは、このブログを書いている今ごろの時間帯は、山陰路を走る客車列車に揺られていたことになります。牽引機はDD51 1171、客車は50系レッドトレインの3両編成。

その前日の8月21日は、かつての《はやたま》の後継列車(921レ)で紀伊半島から天王寺へ出て、大阪6時07分発の721レに出雲市まで乗り通しています(出雲市到着は19時08分)。こちらは12系ブルートレインでありました。

どこからともなく大熊が現れた との文が載っているページ

桜島の灰が降ったばかりの西鹿児島駅前に、どこからともなく大熊が現れたのは、枕崎で打ち上げした翌日、8月24日の出来事です(それにしても、どこからともなく、って、どこからなんだ?<ぼくはこの後の種村作品では「小熊」として登場することもあるのですが、ここに書かれている大熊は、ぼくのことです)。ああ、鹿児島ってホントに灰が降るんだぁ…と思いながら、おみやげに「かるかん」を買って、新大阪行きの《なは》に乗って、新大阪からは新幹線に乗り継いで帰ったのだ。

上の写真の少し前のページには、当日の南日本新聞のコラムが紹介されていて、それによると、埼玉県川越市の大学1年の大熊君(19歳)は《「ローカル線の実態を見て、いまの国鉄に限界を感じた。改革が必要かも」と四千百五十キロ走破の感想を述べた》そうです。まったく、何を偉そうなことを言ってんだか(^^;)。

その新聞を買った場所は、枕崎駅の売店で、この日の枕崎駅の売店では(この旅を紹介した記事が載っている)南日本、朝日、読売の3紙をまとめて買う人が多いことを売店のおばさんが不思議がっていた、という話が、この本に出てくるのですが、それから30年経ってみると、そうか、当時は枕崎駅に売店があったんだ、枕崎駅で新聞を毎日買う人が一定数いたんだ、ということに、ちょっとした感慨すら覚えてしまいます。このとき、枕崎駅はすでに無人化されていたものの、鹿児島交通枕崎線(伊集院から加世田を通って枕崎に至る路線=ぼくの印象は路盤が雑草だらけで線路ガタガタなことが知られていた私鉄)の廃止からまだ2年ほどしか経っておらず、駅が駅として、機能していたのでしょう…というか、この頃、30年後の鉄道が、地方が、こんなことになってるとは、誰も想像してなかっただろうな。

乗り鉄だの撮り鉄だのなんて言葉は、まだ、なかった頃の話。

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O.tone vol.94 に 種村直樹の汽車旅相談室

O.tone[オトン]vol.94は、昨日、発売です。

オトン94号 表紙

後ろのほうの「私が好きなこの一冊。」に、なんとも懐かしい本が。

私が好きなこの一冊 種村直樹の汽車旅相談室

本が、というよりも、この表情、服装、佇まいと、表紙に詰め込まれているコンテンツが、すべて、懐かしい。だからといって、この本を取り上げた「私」は、私ではありません。この私が私であれば、私が好きなこの一冊は、この本にはなりません(『鉄道旅行術』は別格として、『ローカル線の旅』『鈍行列車の旅』あたりか、はたまた『時刻表の旅』か、『きしゃ記者汽車〜国鉄全線完乗まで〜』といったところか)。

『種村直樹の汽車旅相談室』は、続編も出ました。

種村直樹の汽車旅相談室 パート2,パート3の表紙

パート3が出た頃には、私はレイルウェイ・ライター事務所でバイトしてまして、この本の制作過程はわりとよく覚えてます。1988年の晩秋に出たこの本を、私は実業之日本社からいただいたようで、我が家の蔵書には、当時の担当の方のお手紙が挟まっていました。1988年10月25日、という日付が入った書状は《正月休暇を利用して汽車旅の計画をたてていらっしゃる方も多いと思いますが、元気でまわってこられますように。》と結ばれています。当時の私は、年末年始は資金調達に勤しんでいたので(大晦日や元日にも働いてました<そういうときは特別手当が付くのだ)、正月休暇を利用して云々、ということは、おそらく、なかったと思われますが、いま読み直すと、これ、いいお手紙だな。

そんなO.tone94号の第一特集は「ひる酒 ゆう酒 脱力時間」。昼間からお酒の飲めるお店の紹介となれば、当然、第三モッキリセンターは外せません。

第三モッキリセンターの説明文

思えば、ちょうど1週間前の今ごろは、第三モッキリセンターに呼び出されて(?)、いろんな話をしてました。そして、その翌日は、市内中心部で軽く宴会した後に、わざわざ麻生まで地下鉄で行ってほの家さんの特別席で、未来の鉄道を考える時間を過ごしていたのでした(このときは特別席はまだ正式運用前だったからテーブルはなかった<それがかえって昔の列車っぽくてよかったりなんかして)。その翌日から礼文島を訪れて、夜遅くまで、あんなことこんなこと…と思い出していくと、そりゃ、疲れも溜まるわけだなあ。

(これはまだ正式運用前=テーブルはない)
ほの家の特別席は電車の座席をそのまま利用

そもそも、第三モッキリセンターの前から、(仕事が忙しいのもあるけど暑くて寝苦しい夜が続いたこともあって)ものすごい寝不足が続いていて(ぼくはたぶん他人よりも長い睡眠時間を必要とするタイプです)、礼文へ行くときなんて頭痛くて、心配して稚内のサツドラで酔い止め薬を買ったぐらいだったのだから、それでいて礼文へ行ってしまえば夜は遅くまで飲むし(飲まないけど)、朝はいつもより早起きだし(その結果として睡眠時間はいつもより短くなる)、昼間は歩きに行こうと誘われて出かけちゃって昼寝もしてないんだから、そりゃ、頭がすっきりしないわけですね。

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離島の三色

今日はぼくが見送られる番。



ピンク色のテープはYくん、水色のテープはMちゃん、見えにくいけど(水色とピンクの間にある)紫のテープはKちゃんが握ってます。こんなところで写真なんか撮ってないで、全力で見送ってくれるみんなに全力で応えるべきなんじゃないかと、いつも、逡巡しますが、ホームページ用の素材収集ということで、自分を納得させたりしてます<どうでもいいことだけどね(でも、やっぱり、その瞬間、っていうのは、カメラじゃないと思うんだよね…写真に残すのであれば、写真に残すことに全力を投じるべきであって、中途半端な気持ちで適当な対応をしてはいかんと思うのだ)。

あー、書きながら、自分で、こいつめんどくせえな、と思いますよ、はい。



礼文から帰ってくるときは、バスのほうが便利なんだけど、鉄道の仕事やってる以上、鉄道に乗らなきゃいかんよねと思いまして、また、稚内から札幌まで直通する183系気動車の特急サロベツに乗り通すのは今回が最後になるかもしれないなとも思いまして(少なくとも日が長い時期に乗るのはもうこれが最後なんだろうなと)、あの旅人ときたらわざわざサロベツ乗ってくれたよ(おまけに窓枠合ってる席を選んでね鉄道愛好家みたいにさ=字余り)、なんだが、休み前からの睡眠不足は島に滞在している間にさらに加速し(暑くて眠れないんだよ<昼寝すらできないなんてめったにないことだ)、結局、稚内から札幌までの5時間半のうち、4時間半ぐらい、眠ってました。おかげでなんだか首筋が痛いぞ(へんな姿勢で眠りこけていたと思われる)。



それでも薄ぼんやりした記憶の中には、いくつかの駅の風景があって、ふだんなら乗り降りがまったくないような駅でも、旧盆の帰省日である今日は、乗客がいて、見送る人がいる。やっぱり、鉄道というのは、駅に人がいてこそ、なのだと、つくづく、思います。我が師ともいうべきレイルウェイ・ライター種村直樹氏は、平日のガラガラの列車に乗ることを「フリーの特権」と称していたけれど、こういう多客期、それも、観光客でない人々が動く時期の列車の旅も、また、いいものだと思った…のは、自分も、島でたくさんの人を見送ったりたくさんの人に見送られたりしてきたから、なのかもね。

思い出すのは小清水ユースでヘルパーやった後の、3月終わりから4月始めの道内各地の駅の風景で、もう30年近く前なんだけど、駅のホームに大勢の人が出て、盛大な見送りが、あちこちで、行なわれてました。やっぱりね、人と人、なんだよね…という話を始めると長くなるので、今日のところは、やめておきます。

空港で飛行機が動き出すときは地上の係員の方々が手を振ってくれるのに、駅で列車が動き出すときに駅員の方々が手を振ってくれるというのはあまり見ないのはどうしてなんだろう?(まあ、いろいろ、仕事もあるんでしょうけど)…なんてことを考えながら、ぼんやりと、帰ってきました。

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離島の生歌

こう見えてもそれなりに忙しいもんで、予定を切り上げて今日のうちに帰ろうかと(ちらっと)考えたりもしたのでありますが、帰っていたらあんなふうに仲間を見送ることはできなかったのだから、これでいいのだ。

朝、8時45分発の稚内行きに乗る仲間を港で見送ったときは、船(に乗る人)を見送る人が(宿の人のみならず地元の方も含めて)たくさんいて、隣では全国的知名度を誇る某有名宿の見送りもやってたからそれほどでもなかったんだけど、夕方、17時05分発のときは、見送りしているのがぼくらだけだったから、船の上からたくさんカメラを向けられて、おいおい見世物じゃないんだよ(笑)と思ったりもしましたけど、まあ、いいや。

紙テープ握って、「落陽」と「おもかげ色の空」と「心の旅」を歌って、いってらっしゃい、また来いよと何度も叫んで、こんな程度のことでも体力使うんですけど、楽しかった。

というわけで、夕方の便の写真を載せておきます。紙テープは、岸壁を離れるや否や回収されてしまうので、このときは、もう、見えません。この辺で「いってきます」「また来るよ」と叫び返されても聞こえないことが多いんだけど(某有名宿のみなさんがたくさんいるときは別ですが)、今日は、この後、船が向きを替えてからの「また来るよ」がはっきりと聞こえてきて、びっくりしましたよ。さすがベテランのみなさんは気合が違います(声の出し方を知っている、とも言う)。


 
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離島の焼肉

仲間に恵まれ、天候に恵まれ、食材に恵まれ、今年もまた、海辺の宿の前で、いろいろ焼きました。海辺の香深ならぬ、海辺の船泊での、準備から後片付けまでだとほとんど一日がかりのイベント。みなさん、どうもありがとうございました。





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離島の休日

もうちゃんとしたカメラなんていらないんじゃないか、なんて言ってたから、カメラがご機嫌を損ねたらしく、ひさしぶりに持ってきた大きなカメラが今朝から不調で、たまにちゃんと作動するんだけど、かなりの割合で電源が入ってもその先に進めなくなり、こういうときに限って珍しくコンパクトデジタルカメラは持ってきておらず(いつもならサブでかならず持ってくるんだけど今回は忘れたのではなく不要だと思って持ってこなかった)、ゆえに、本日の写真は、すべてiPhoneです。

デジタルカメラっていうのは、こういうときは、どうしようもないっすね。機械式シャッターが付いてないと不安だ、なんてことを言ってたのは、もう、何十年も前の話になっちまいましたねえ(そう言いながらも、ぼくはキャノンの電子式しかないのを使ってましたけど)。







 

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礼文島と2ヶ月ぶりの敗戦

6月8日のアウェー松本戦で敗れてから10試合負けてなかったコンサドーレが、今夜、アウェーで横浜FCに敗れた。

やっぱり。

今朝、スーパー宗谷1号で、札幌から北上。

美深駅と青空

ずっと負けないなんてことはないわけで、どこかでは負ける。負けるとすれば、ここなんじゃないかなと思ってた、というのは、16年前に、コンサドーレがずっと勝ちっぱなしだったとき(たしか16連勝だった)、3ヶ月ぶりぐらいで負けたのがアウェーの大分戦で(森秀昭の体にボールがぶつかって入っちゃったへんなオウンゴールで0-1)、その試合は、ぼくは、礼文島にいて、見てないのだ(当時もすでにスカパーでのJ2中継はあった)。

だから、負けるとすれば、アウェーで(ホームで負けるというのは現状はちょっと想像しづらい)、ぼくが礼文島にいてテレビ中継も見られない今夜だろうなと思っていたのでありますね(その気になればiPhoneでスカパーオンデマンドで見られるんだけど、こっちに来ると、その辺は、頭の中のスイッチが切れるというか切り替わるから、見ないのです)。

いつかは負けるんだから、いいんだ、この辺で、負けておくのは。
0-5だったりすると心配するけど、0-1なら、まあ、仕方がないです。

利尻富士とフェリー

というわけで、ちょっとだけ、夏休みをいただいております。
 
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蒸し暑い夜を越えて

いまさら書くまでもないが、ぼくがお酒が飲めない。飲まないのではなく、飲めない。親の血を継いだのか、体質的に受け付けない。この間、宴席でご一緒させていただいた某社長さんが、やはり、そういう方だった。ああいう席でそういう方に会うのは、わりと、珍しい、というか、あんまり、記憶にないな。

そうか、そういえば、先週は、そんな宴席もあったんだ。すっかり忘れてたけど、そりゃあ、寝不足にもなるわけだね(でも、寝不足のかなりの部分は、あまりにも蒸し暑い日が続いているからであって、だからよく眠れない→昼間の作業効率が落ちる→仕事が終わらない→睡眠時間を削らざるを得ない→寝不足になっても蒸し暑くてよく眠れない→作業効率が落ちる…というスパイラルに陥っている人は、いまの札幌では、ぼくだけではないはずだ)。

お酒は飲めないんだけど、夕刻、諸先輩がたから招集がかかれば、行かないわけにはいきませぬ。電話とって、すぐに「それは行かないわけにはいかないですね」って言っちゃったもんね。

行ったのだ。考えてみたら、今月(まだ9日なのに)二度目なのだ。



上の写真の左のビルの1階が、稚内へ行くバスの乗り場になっている。稚内行きのバスは、2台体制のときは、このビルの1階の、上の写真の入口の中というか奥の乗り場から出るのだが、3号車と4号車が出る場合にはこのビルの向こう側(大通に面した側)に乗り場が作られ、さらに、5号車が出るときには上の写真の路上に5号車乗り場ができるらしいのだが、5号車が出る光景は、まだ、見たことがない。

ちなみに上の写真のビルの入口の奥はこうなってます(数年前の写真)。

この写真の向こう側が、その上の写真に写っている道路です。

3号車と4号車が出るときはこうなります(数年前の写真)。


じつは、1ヶ月ほど前までは、今夜の23時発稚内行きバスに乗るつもりで、予約も済ませていたのだが、よんどころなき事情により、乗れなくなったのである。今夜はともかく、明日の夜は、山の日からお盆休みへと続く世間的夏休みの前夜であり、23時発の稚内行きは4号車まで出るのではないかと思われる。

こういう話、つまり、よんどころなき事情により乗れなくなった、といった話をすると、大変ですね、残念でしたね、的な反応や、最近だと「悲しいね」のボタンが押されることもあるのだが、いまのぼくには、稚内行きの夜行バスに乗るよりも、ずっとずっと大事なことがあるので、それゆえに今夜のバスに乗れなくなっただけなので、べつに、がっかりはしていないのである。もう、いいかげん、いいトシなんだから、そのぐらいの大事な仕事があるのは、本来、あるべき姿なのである。そういう形で自分のマンパワーを社会に還元していくのが、正しい年齢の重ね方だと思う今日このごろなのである。

入口のタヌキはポケストップです

ぼくはレベル16まで行ったところで中断してます

店の看板は「正統九十年」なのに、この暖簾は「正統七十年」なのは、どちらかがサバを読んでいるのではなく、暖簾は20年前に掲げられた由緒正しいものであるからで、看板の90年は看板がちゃんと掛け替えられているがゆえなのである。なにしろ、いつ行っても、お客さん、いっぱいですからね。今日なんて、地下鉄は普段よりもかなり空いていたのに(やっぱり世間は夏休みモードなんだろうか?)、このお店は、ひっきりなしに、お客さん、来てましたからね。

第三モッキリセンターの歴史

店に入って、席につくなり、オレが酒飲めないのを十分に知っているはずの人が、オレの目の前のグラスにビールを注ごうとしてきた。そのぐらい、この人、馴染んでた、ってことですね。飲めないのに行きつけの飲み屋があるぐらいだからな。

少し早めのお開きの後、バス乗り場の前を通って




10年ちょっと前、毎日、この階段を上り下りしていたこともありました。ここで見送りをしたことも、見送ってもらったこともあるし、見送ってもらった数日後にぐるぐる巻きになってここに戻ってきたこともありました。

人生いろいろ。でも、突っ走るだけだ。信じるがまま。

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2016 J2 第27節 北海道コンサドーレ札幌 − 清水エスパルス@札幌D



そりゃたしかに今季は普通に勝っちゃうから落ち着かなくていまいち興味も湧きにくかったりするんだけど、だからといってわざわざ2−0から追いつかれてアディショナルタイムに決勝ゴール、みたいな劇的な結末にしてくれなくてもいいのよ。もっと、普通に、2−0だったのだから、あのまま、勝ちましょうよ。

というわけで、最後は(いわゆる)劇的なドラマではあったのですが、それほど興奮することもなく(そりゃもちろんゴールが決まったときはそれなりには歓喜しましたけど)、ほー、勝ってるチームっていうのはこういう試合も取れちゃうんだなあと、感心したことでありました。



始まってすぐに、内村が相手のDFラインの裏というかCBの間をあっさり抜けて中途半端に出てきたGKの脇を抜くゴールで先制して、さらに内村が相手GKに詰めていってGKがクリアしたのを拾ったヘイスが無人のゴールに決めて(とはいえあの距離から戻ろうとしていたGKの届かないところに蹴りこんだヘイスはさすがだ)2−0となったときは、もう、楽勝だと思いましたですよ。3月のアウェーのときに比べると、チーム力がずいぶん上がったんだなあと思ってました。

ところが後半になったら押し込まれちゃって(前節と同じだ)、清水のシュートが何度かポストに当たる幸運があったにも関わらず、追いつかれちゃった(あの同点ゴールの鄭大世はさすがでありました)。ただ、あそこで同点になった瞬間から、札幌ドームじゅう、すごい手拍子だったのだよね。1万7千人では許してくれない都倉さんには申し訳ないが、あれは、いつも見に来ている人ばかりだったから、ああいう熱気になったのだと思うのですね。同点に追いつかれて、何やってんだ!みたいな声が聞こえることなく、ものすごい手拍子なんだもの。あれがライト層(都倉がヒーローインタビューでこんな言葉を使ったのはちょっとびっくりした(^^;))が多くなってると、なかなか、ああはいかないと思うのだよなあ。

というのは都倉の批判ではないし、2万人3万人と入ったほうがいいのはそりゃ確かなんですけど、ただ、あのメンタリティ、空気の作り方は、ライト層の割合が多くなると、また違うんだろうなとも思うのです。ホント、2点のリードを終盤になって追いつかれたというのに、観客が、落ち込んでないのは、すごかったですよ。

そしてアディショナルタイム5分の表示が出て、かなりの時間が過ぎてからの、最終ライン(福森?)からのロングボール一発で、都倉が相手DFと競り合いながらGKの鼻先で足にボールを当てて、ボールはGKの頭越しにふわりと無人のゴールへ(今日は3点ともこのパターンだった)。なんだかずいぶん苦労したけど、結局、これでよかったのかい、と思う一方で、けっこう、しつこく、あれ、狙ってたもんね(それは都倉もインタビューで言ってましたけど)。

というわけで、今日は他会場の試合はまだ行われていないので、現時点での順位表は暫定の暫定みたいなものなんだけど、こういうこともそうそうないと思うんで、掲げておきます。



2位との差(これはどうでもいいのだが)は8、3位との差は11まで広がってます(といっても夜の試合の結果で詰められるんだろうけど)。プレーオフ圏内のチームでまだ対戦が残っているのは京都だけで、その京都とも、2週間後には対戦して、上位との対戦は、もう、ないのだから気楽だ…とまでは言いきれないけど、まあ、でも、もう、大丈夫でしょう。今日は、追いつかれたときには、まあ、引き分けでもいいかなと思ったぐらいでして、上にいると、そういう余裕が出るのだねえ。

不格好な勝ち方だけど、ホームで清水に勝ったのは堀井岳也のVゴール以来なのですから、あのときに比べれば延長なしで勝っただけ楽に勝っているわけで、ホームで清水に勝つというのは大変なことなのですよ。2012年のナビスコカップ(厚別でやった試合)、もう、お話にならなかったことを思い出せば、よくぞここまで来たものだと思うばかりです。
 

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