熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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since 1966

《たとえば現在、もっともグッときているのは、「シンス」です。(中略)なぜこの店はわざわざ「since 1990」と表明しているのだろう?つい最近なのに「since 2014」と掲げた意味は何だろう?そんなことを考え始めているうちに、いつのまにか私はシンスの虜になりました。店の看板がかなり高い位置にある場合も考慮してかなり望遠のきくカメラを持ち歩き、目に付くシンスは片っ端から撮影します。》(みうらじゅん『「ない仕事」の作り方』2015年11月)

そんなMJの真似をしたわけではなく、気になったのだ。


※太平洋石炭販売輸送臨港線春採駅にて同社の許可を得て撮影、以下同じ

あ、同級生だ、と思ったのですね。

ぼくは1967年の早生まれなので、学年でいうと66年の4月以降に生まれた人が同級生。66年度か67年度かというのは、じつはかなり大きな違いがあって、このブログでも何度か書いてますが、66年(昭和41年)というのは、60年に一度しかない「丙午」でありまして、前後の年に比べて極端に子供の数が少なかったのです。

1960〜89年の日本の出生数をグラフにすると、こうなります。



1ヶ所だけ凹んでいるところが、1966年です。子供の頃、こんな統計数字は知らなかったけれど、小学校に入ってから高校を卒業するまで、ずっと、「君たちは少ないんだ」と言われ続けてきたのが、ぼくらの学年です。小学校なんて、前後の学年はみんな4クラスだったのに、ぼくらの学年だけ3クラスだった、というぐらいで、統計を見るまでもなく、少ないのはわかってました。

「丙午」が何だかわからない方は、ググってください。次の丙午は9年後に来るんですが、さて、どういうことになるんでしょうかね?

そんな同級生の機関車を、もう少し、引いたアングルで。



こんな列車です。



反対側はこうなってます。



こっちは昭和45年製、つまり、SINCE 1970 です。



この銘板、すごいでしょ。MANUFACTURED UNDER TECHNICAL ASSISTANCE AGREEMENT WITH GENERAL ELECTRIC COMPANY U.S.A. って書いてあって、その後に、 MADE IN JAPAN って書いてある。GEの電気式ディーゼル機関車(MODEL U10B)を、日本車輌が、ライセンス生産したんですねえ。台車には、GEのロゴマークも入ってます。

釧路臨港鉄道といえば、春採湖畔を走るこの電気式ディーゼル機関車(DE601)、というイメージがあって、SINCE 1966のD801と比べてどちらがカッコイイかといわれればDE601のほうが圧倒的にカッコイイと思いますけど(現に写真をたくさん撮ったのはDE601のほう)、気になるのはやっぱり同級生だなあ。同級生がこうして頑張ってるってのは、(まったく論理的な説明はできないんですけど)とても、嬉しいです。

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テツandテツ



この間、網走で泊まったのは、ここです。



全客室、トレインビュー。



上の写真の窓の外に出て撮った写真。


網走5時56分発特急オホーツク2号

館内も、かなり「濃い」のですが、写真を載せるのは、やめておきましょう。行ってみてのお楽しみ(あるいは、来月発売の某月刊誌で紹介されるかも)。

隣の温泉旅館「もとよし」のお風呂は、夜通し入れます。隣といっても、渡り廊下のようなものはないので、そういうことに文句を言う人は行かないように。

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このエゾヤマザクラが目に入らぬか

北海道の桜というと、五稜郭公園とか、静内の二十間道路が有名ですが、これって、やっぱり、日本全国的価値観に基づいたものなんじゃないかと思うのです。

桜=木の下でお花見=たくさんの木が同じ場所に並んでいる、というイメージからすると、北海道のエゾヤマザクラはいまいちだってことにもなるのでしょうが、桜並木がなくとも、一本の木であっても、美しい風景は美しいのです。

網走発旭川行きキハ40の窓越しに撮影


網走から旭川まで、キハ40の臨時快速列車で辿る石北本線4時間20分の旅の途中では、こういう風景が、たくさん、ありました。

ゴールデンウィークが終わったばかりのこの時期は、一般的には休みづらい(=旅行しづらい)時期ですが、じつは日本国内を旅するにはいちばんよい季節だ、というのは、かつて宮脇俊三さんが書いていたことですが、北海道も、そうだと思います。

北海道は梅雨がないから云々、というのは、もはや過去になりつつあるぐらいに、最近は、北海道も(といっても北海道はとても広いので場所による差が大きいのですが)梅雨っぽい時期があります。でも、5月の後半は、概して、好天の日が多く、木々の葉の萌黄色は、見事なまでに鮮やかです。



石北峠にかかると、線路のすぐ脇にも、残雪があらわれます。まるで、夏山で雪渓を登っているかのような感覚に囚われます。



山にまだ雪が残っているということは、雪どけ水が豪快に流れているということでもあり、線路のすぐ下を流れる川の水量には、力強さすら感じます。



網走から旭川に向かうと、最初のうちは手前に向かって水が流れているのですが、やがて、水の流れる方向が、列車の進行と同じになります。それはキハ183系の特急列車でも同じことなのですが、苦しそうに峠を登っていくキハ40では、分水嶺を越えたときの安堵がより強く感じられます。

そして、上川を出ると、それまでとは別人のような(人ではないですが)軽快な走りに。さっきまですぐそこにあった残雪は遠ざかり、手前の車窓は田植えの準備中。



こんなに変化に富んだ風景が次々に現れるのだから、寝てる暇なんかないんです。
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続・特急大雪2号あらため臨時快速列車の旅

網走〜旭川の特急が臨時快速になって、網走〜旭川〜札幌の指定席特急券はどうなったのか?という話。

ぼくが持っていたのは、網走〜旭川《大雪2号》の指定席特急券と、旭川〜札幌《ライラック22号》の指定席特急券。特急料金は、網走〜札幌の通算です。

答えを先に言うと、指定席特急料金の(網走〜札幌)と(旭川〜札幌)の差額(790円)が、払い戻しになりました。

網走駅では「札幌駅到着後に払い戻ししてもらってください」とのことだったのですが、臨時快速列車が網走を出発した直後の車内放送で「車掌が車内をまわるから札幌まで行く方は申し出てください」との案内があって、車掌さんの車内巡回の後(申し出た人はほんの数人でした<もともと乗客が少ないのですが)、今度は、「指定席券をお持ちの方にはのちほどご案内します」との放送があり、それから約2時間後、遠軽を出てから、「旭川からの接続列車は本来の接続列車の1時間後の列車(ライラック24号)になる」「指定席券を持っている場合はライラック24号の車掌に言えば指定席を用意する」旨の放送がありました。

車内放送といえば、網走出発直後には、各駅の到着予定時刻の案内がありましたから、サボが用意されていたことも考え合わせると、このスジは、あらかじめ設定されているのでしょう。到着予定時刻の案内があったから、《オホーツク1号》との行き違いは瀬戸瀬の運転停車だとわかったわけで(もちろん瀬戸瀬の運転停車が案内されたわけではなく遠軽の発車予定時刻と《オホーツク1号》の各停車駅の時刻を見比べて瀬戸瀬に運転停車するのだろうと推測したのですが)、だから、瀬戸瀬到着時に居眠りをすることなどなく、昨日のブログに写真を載せたように、カメラを持ってその瞬間に備えることができたのです。

旭川到着は、大雪2号の到着予定時刻に比べて40分遅れの12時30分でした。本来であれば、大雪〜ライラックは同じホームで乗り継げたはずなのですが、ライラックの向かい側には、12時41分発の下り特急大雪1号が入線済で、臨時快速列車からライラックへの乗り換えは、階段の昇り降り(というか降り昇り)が必要な状態になってました。

が、階段を下る前に、降りたホームの札幌寄りへと移動し、スラントノーズの大雪1号にご挨拶。



あらためて階段を下り、ライラックと大雪の停車しているホームへ上がってから、大雪1号の出発を見届けて、ライラック24号の車掌を探し(臨時快速列車の車内放送では「ライラック24号の車掌に…」とさらっと案内してましたがここでの車掌探しにはちょっと難儀しました)、網走から来たんですけど…と指定券を出したら、「2号車の1番A席に座ってください」と言われ、ボールペンで券面の記載事項が訂正されました。



本当は「ライラック22号」のところも「24号」に修正すべきなのですが、それで揉めるわけではないのだから(車内改札に来るのはその車掌さんなのだから)、まあ、いいか。

札幌駅到着後、精算所にこれを出したら「旭川からは指定席に乗られましたか?」と尋ねられたのですが、これはヘンだよなあ。こっちは指定券を出していて、そこには座席番号の訂正も入っているのだから(たしかに列車番号は入ってないし、車掌のサインもないから誰が何を変更したのかはわからんのだが)。素直に「はい」と返事してしまったものの、あのときに「いえ、自由席です」と答えていたら、指定席料金520円も払い戻してもらえたのか?

旭川では自由席車両にも十分すぎる空席があって、789系旧スーパー白鳥車だと自由席でも指定席でも設備は変わらないから、自由席でもいいかなあとも思ったんですけど、指定席くれるというから指定席に乗ったまでで、自由席を選んでいたら指定席料金分も払い戻してもらえるとわかっていれば、自由席にしたんだけどなあ。到着が1時間遅れても困らないし、ガラガラのキハ40で石北本線全線を乗り通せてむしろ楽しかったんですけど、どうも、ここだけは、釈然としないものが残ってます(^^;
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特急大雪2号あらため臨時快速列車の旅

先週土曜日、網走で宿泊して、翌朝、札幌に帰るべく、網走駅に行ったら、出札口の前に、手書きの「お知らせ」が出てました。

本日5/14(日)車両不具合のため以下の列車が運休となります。
8:06発 旭川行 大雪2号
当列車は、同時刻に臨時快速列車を運転致します。
詳しい到着時刻は駅係員までおたずね下さい。
ご利用のお客様にご不便・ご迷惑をお掛け致しますことをお詫び申し上げます。




ぼくが持っていたのは、大雪2号(旭川11時50分着)の指定席特急券と、それに接続するライラック22号(旭川12時00分発)の指定席特急券。どうなるのかと尋ねてみたら、いわく「快速列車になるので旭川到着は30分ぐらい遅くなる」「旭川からは1本後の列車になるから札幌到着は1時間遅れになる」「網走〜旭川の特急料金は払い戻しになるので札幌駅で精算してほしい」とのこと。

特急料金が払い戻しになるのは2時間以上の遅れの場合ですから、1時間遅れで済むのであれば、代わりの列車を特急大雪2号だと言ってしまえば特急料金の払い戻しは不要になるわけで、JR北海道さんは良心的な会社だなあと思った、のですが…

入ってきたのは、キハ40の2両編成。



これでは、特急料金を取るわけにはいきませんね。

この2両編成、直前は、北見発の普通列車でした。それが網走の3番線に7時53分に到着して、いったん引き上げてサボを交換してから、特急列車が発着する1番線に入ってきたのは、出発予定時刻の2分前、8時04分。



乗客が多くないとはいえ、8時04分に入ってきた列車を8時06分に出すのはさすがに無理なようで、実際に発車したのは8時10分でした(ドアが閉まったのは8時09分45秒)。実際には、という話をもう一つすると、行先表示は「ワンマン」でしたが(旭川到着直後に確認したときも「ワンマン」のままでした)、車掌さんは乗ってました。

乗客が多くない、というのは、本当は、ちょっと、ウソです。

石北本線は遠軽での方向転換があるから、座席が転換式でないキハ40だと、網走を出るときに前を向いて座っていると遠軽からは後ろ向きになってしまう、でも時間が長いのは遠軽から先なんだよな、網走を出るときにはあえて後ろ向きに座っておいたほうがいいんだろうか…なんてことを心配していたのですが、2両のキハ40の車内は、ガラガラでした。網走からはともかく、北見ではそれなりに乗ってくるんじゃないかと心配(期待)していたのですが、結局、旭川に着くまで、ボックスまるごとあいているところすらあるほど、ガラガラでした。

つまり、乗客が多くない、ではなく、乗客は少ない、が、正しい表現です。

その状況を「楽しかった」と総括するのは、正直、ちょっと、気が引けます…と言い訳しつつ、でも、貴重な、非日常体験は、特急列車の旅よりも、ずっとずっと、楽しいものでした。前夜はあまり寝ていなかったから、旭川までの道中は眠っていこう(でも遠軽では起きなきゃいけないから面倒だな)と思っていたのに、最後まで、一度も寝ることがないまま、4時間20分の汽車旅を楽しませてもらいました。

特急列車ではないので、窓を開けられます。



窓を開けるほど暑いわけではないし、少ないとはいえほかのお客さんもいる中でこんなふうに全開のまま乗っているわけにはいかないのですが、何度か、窓を開けて、写真を撮りました。

特急列車に比べると、空間が広い。



ガラガラだから余計にそう思うのかもしれませんが、2人がけの車内というのは、どこか、息苦しく感じるものでもあります。ぼくは、12系客車から14系客車への変遷、583系のボックスシートの不評といった流れがあった中で、成田エクスプレスの向かい合わせボックスシートは英断だったと思っているのですが、一般的には、あれは、やっぱり、不評だったようで…

すいているから、多くの人が靴を脱いで足を前の座席に投げ出していて、まるで昔の列車のようでした。せっかくだから昔の夜行列車のように横になって丸まって寝てみたのですが、空気枕(かつてのぼくの旅の必需品)か、枕代わりの大型時刻表がないと、横になるのはかえって苦痛です。

夜行列車ではありません。トンネルの中です。


窓側に座っていて隣に人がいたら、トイレに行くために席を立つときですら気を遣いますが、これほどまでに乗ってないと、他人の目すら気にならないから、ときどき前のほうに行って、こんな写真を撮ってみたり



こんな写真も撮ってみたり



思えば、若き日にこういう経験をあちこちでしてきたから(あの頃の普通列車はやたらとたくさん客車をつないでいたからすいていることが多かった)、汽車旅を楽しく思えるようになった、という面も、あったと思います。そして、この年齢になっても、いまだに、昔と同じようなことをやっているってのは、幸せなことなのかなんなのか、よくわかんないですけど。

これが定期列車であれば、鉄道ファンが(とりわけ18きっぷシーズンになれば)大勢乗っているのでしょうが、その日の朝に運転の決まった臨時快速列車ですから、ファンらしき人は自分だけ。もともとが特急列車だから、スーツ姿のビジネスっぽい人もいました。

この項、続く。
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本質を見失わない

本日、さっぽろライラックまつりが開幕。
リラ冷えは終わり、初夏が近づいてきました。


(リラ=ライラックです<念のため)

ライラック


こちらは今朝、大通公園で撮影したライラック


昨日のブログを、いすみ鉄道の鳥塚社長がフェイスブックで紹介してくれたことで、昨日のブログの「シェア(≒いいね!)」の数が非常に多くなっています(フェイスブック上で、鳥塚さんがぼくのブログを紹介した投稿に、誰かが「いいね!」するたび、ぼくのブログの「シェア」の数が増えていく、という仕組みになっています)。読者数の多いページ(この場合はフェイスブック)からリンクされると「いいね!」が増えていく、というのは、かつてのGoogleのページランクの仕組みに似ているように思います。

かつてのGoogleのページランクが、どちらかといえば(コンテンツの有用性を示すものというよりは)SEOのテクニックの結果であったのと同じで、「いいね!」の数も、そういうことで変動したりするから、べつに、そんなに気にする必要はないんです…ということを、わざわざ書いているのは、自分自身がネットユーザーではない(のにネットを使って商売しようとしている)方の中には、「いいね!」の数を気にする方が、けっこう、多いんですね。

「いいね!」の数を増やしたいなら、メシの写真と、きれいな風景の写真を載せればいいんです。それは、経験上、よくわかっています。でも、それが、自分の商売の売上に直結するかというと、ほとんど関係がない。「いいね!」の数を増やすために、自分の商売と無関係なメシの写真ばっかり載せ続けていったら、本当に目指すべきところがどこなのかわからなくなってきて、商売の根幹がブレまくります。

ここで注意しなければならないのは、ブレる=悪とは限らない、ブレない=かならずしも正しいことではない、ということで、こだわりとか、変わらないとかってのは、よほど突き抜けたものがない限りは、たいてい、うまくいきません。環境の変化に応じて変わっていかなければ、生き延びていくことはできません。

でも、変わればいいってものでもない。

ここでまた昨日のブログの話に戻るんですけど、鳥塚さんがぼくのブログを紹介してくれた投稿(フェイスブック)のコメントに、(鳥塚さんがブログで書いていた)札幌ハウスYHの前の踏切の写真を載せていただいた方がいて、その方のコメントに「札幌ハウスはミーティングがなかったら気楽に泊まれた」と書いてあったんです。

思い出しました。

ぼくがユースを使って旅していた頃、札幌ハウスは、ミーティングがなくてビジネスホテルみたいだと言われていたのでした。それは、ミーティングが鬱陶しい人には泊まる動機になり、ユースが好きな人には宿泊を避ける動機になったのでした。

ミーティングというのは、ユースホステルの宿泊者(ホステラー)が夕食後に集って交流を深める機会であり、多くのユースで、ホステラーは半ば強制的に参加させられていました。ユースのミーティングといえば、みんなでフォークソングを歌ったり、ゲームをしたりといったイメージが根強く残っているようなのですが、ぼくがもっともユースで旅していた頃(1980年代後半)は、そういうユースは、意外に、少なかった印象です。ぼくが小清水ユースでヘルパーやってたときは、ぼくがお茶を沸かしてみんなでお話するだけで、強制参加でもなかったから、ときにはミーティングが流れることもありました。

とはいえ、世間一般では、ユース=ミーティング=みんなで歌う=気持ち悪い(鬱陶しい)、と思われており、かつ、男女別相部屋というのも嫌われて、一方に(のちにバブルと称されることになる)経済環境の変化(=所得の増加)もあって、ユースは衰退していく…というのが、80年代後半から90年代前半の流れでした。

そのときに、ユースホステルとは何か?を再定義して、多少の痛みを伴ってでもユースならではのよさを追求すればよかったのに、目先のお客を増やすために、ミーティングをやめ、男女別相部屋をやめ、個室化を図っていったら、ただの安宿になってしまったどころか、中には、安い連れ込み宿になってしまったところもありました。

ぼくがミーティングをそれほど鬱陶しく感じなかったのは、それでもユースが楽しかったからです。べつに歌やゲームが楽しいとは思わなかったけれど(どちらかといえばめんどくさい、恥ずかしいと思うほうです)、いろんな人と話ができて、旅の情報を得ることができるのは、楽しく、かつ、有意義でした。

変わってもいいけど(というか変わらなきゃいけないんだけど)、ブレちゃいけないのは、そこなんです。

価格面ではライダーハウスやキャンプ場には敵わないし、快適な設備を求めるならビジネスホテルに勝てない。それでもユースに泊まりたい、と思ってくれるのは、誰なのか?数多ある宿泊施設の中からユースを選ぶ理由となるのは、何なのか?

LINEやら何やらの例をあげるまでもなく、手段は違えど、みんな、コミュニケーションを求めているんです。お客の数が減っていく中でそこを追求していくと手間ばかりかかって儲けは薄くなるんですけど、もともとユースって単価の安いお客を大量に泊めるモデルだったから(*)、そこの発想の転換がうまくできなくて、目先のお客の数を増やさなきゃいけないと世間に媚びちゃった結果が、個室化という中途半端なサービス向上策だったように思います。

顧客ニーズに応えて、といえば聞こえはいいけれど、表面的なニーズ(らしきもの)しか見えなくなって、守らねばならないところを壊してしまった…まあ、そういう例は、ユースに限らず、世の中にはたくさんあるんですけどね。

(*)ユースホステルは青少年教育の場だったから集団で過ごす場にすることが必須で、ゆえにバブルの頃までは「とほ宿」的な小規模の宿はユースホステル協会からユースとして認めてもらえなかったのです。

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記憶の修復

リラ冷えとはよく言ったもので、先々週は夏のような陽気だったのが、ここへ来て早春の寒さが戻ってきています。もう5月の半ばだからとコートは着ないで頑張ってますが、コートを着ててもべつに全然おかしくない。

昨夜は、寒さに加えて、冷たい雨もぽつぽつと落ちていたのでありますが、激安中華料理店で札幌ハウスYHの話が出てきたもので、それならすぐそこですよ、ってことで、ご案内させていただきました。

…目的語のない文を書いてしまいました。その辺の経緯は、記憶の崩壊|いすみ鉄道社長ブログをご覧ください。不肖私も、鉄道愛好家界の二大巨頭に挟まれている姿で登場しております。

上のリンク先ページの最後に、かつての網走駅の写真がありますが(中湧別行きは0番線=いまはありません=から出ていたんですねえ)、40年後の同じ場所は、こうなってます。



函館や釧路は自動改札、稚内は改札口というより通路みたいな形に変わった中で、いまや、長距離列車の終着駅で昔ながらのこうした改札口が残っているのは、網走駅だけです。キヨスクも旅行センターもなくなってしまったけれど、ここは、ぼくにとっては、小清水YH、あるいは美幌YHの記憶と結びついた、大事な場所です。

 
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網走から札幌に帰る

この間の土曜日は網走に泊まって、翌日、列車で、札幌へ帰ってきました。

網走から札幌まで、特急自由席を使うと、片道9,390円。



網走から札幌への移動の選択肢は(自家用車を別にすると)飛行機、鉄道、バスの3つです。時間的には飛行機が圧倒的優位、価格面ではバスが優位。鉄道はバスに比べて40分ほど所要時間が短いものの、バスの6時間に対して鉄道は5時間20分という中での40分は決定的な差とはいえず、かたやで鉄道はバスよりも3,000円も高いという、非常に中途半端な存在になってしまっています。

よく言われるように、バスが走る道路は国などが管理しているのに対し、鉄道が走る線路は鉄道会社が自ら管理しているのだから、料金の差が出るのは構造的問題であってある程度は仕方がないのでしょうが(だからこの辺は鉄道と道路をどうしていくのかという大きな視点で論じるべき問題であってそれを鉄道の沿線地域に考えさせるのはどうなんだろうと思うのですがその辺はさておき)、だからといって鉄道側が何もしていないわけではなく、北海道内の場合には特急料金を含めた往復割引切符(名称は「Sきっぷ」または「Rきっぷ」)があって、道内を鉄道で長距離移動する場合は、それらを使うのが一般的です。それらの切符を使えば、バスとの料金差は縮まります。

ただし、それらの切符は往復用だから、片道では使えません。じつは、少し前までは、それらの切符の回数券が金券ショップでバラ売りされていたから、片道でも使えたのですが(金券ショップのバラ売りはそもそも…といった議論は、とりあえず、横に置いておきます)、それらの切符の回数券は昨年3月に廃止されたため、現在は、片道だけ使う場合は、通常の乗車券と特急券を買わざるを得ません。そうなると、バスと比べて、かなり、割高になってしまいます。

この辺の事情、さらには感覚というのは、北海道外の方には、なかなか、わかりにくいかと思います。だから、全国メディアで報じられる北海道の鉄道の姿、あるいは、鉄道のあり方を見聞きするたび、違和感を抱くことが多くなるのでしょうが、そうなってしまうのはこちらに暮らすぼくらの発信力の不足ゆえでもあり、そこは真摯に反省するとともに、しっかりとした(枝葉末節の意見に踊らされることなく、しかし枝葉末節の事実も取り込んだうえでの)情報発信をしていかねばなりません。

ちなみに、そんな中でも、今回、あえて鉄道を使ったのは、「JR北海道日帰り周遊パス」という期間限定のJR北海道全線乗り放題3,000円の切符があったからです。これを使えば特急料金を払ってもバスの片道利用よりも安くなります。

というわけで、前置きが長くなってしまいました。本題である網走から札幌への旅の話は、また、あらためて。

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京都鉄道博物館の青いラーメン

昨年暮れに京都鉄道博物館で買ってきたインスタントラーメンがそろそろ賞味期限。

まずは500系新幹線バージョン。



パッケージの裏には、スープの色は青色になります、と書いてあります。



青というよりは、絵の具の筆を洗った後の水、みたいな色でありました。



パッケージの感じからして、かき氷のブルーハワイ的な色を想像していたのですが、正直、見た目、これはどうなんだと思うような、くすんだ色です。食べてみれば、普通に美味しい(塩ラーメン系の)普通のインスタントラーメンでありました。

トワイライトエクスプレスは緑スープ。




義経号は黒スープ。




真っ黒な粉末(スープの素)が石炭っぽくて、これがいちばんインパクトあります。
 
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