熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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「長生園前」の廃止

毎年、この時期になると、札幌市内のバス停には、時刻表が2枚、掲示されています。片方は3月31日までの冬ダイヤ、もう一方は4月1日からの夏ダイヤで、たいていは、冬ダイヤのほうに「3/31まで」と手書きの文字が添えられ、かつ、冬ダイヤのほうは、すぐに剥がせるような状態になって掲げられています。

そんな恒例行事の中で、廃止になる路線もあります。



札幌駅前から北5条通りを西へ向かう路線は2系統あって、一方は20丁目で南へ曲がって長生園前へ向かい、もう一方はそのまま北5条通りを直進した後に旧5号線にぶつかったところで北上して琴似営業所前へ向かいます。概ね、それぞれの系統が1時間間隔で運行されています。札幌駅前〜北5条西20丁目間は、両系統が重複しているため、概ね、30分間隔です。

札幌に引っ越してきた当初、この中途半端な路線の存在は、とても不思議でした。札幌の都心部にほど近いところで、1時間に1本って、どういうことなんだ?と思ってたんですが、これは、市電の名残なのだと、しばらくしてから、知りました。


昭和45年8月現在の札幌市電運転系統図
(『札幌市電が走った街 今昔』(JTBキャンブックス,2003年)から)

市電の電停でいう「中央市場通」が現在のバス停「北5条西20丁目」で、「開発建設部前」「長生園前」は現在もバス停の名称として使われています。

そんな歴史ある路線=市電からバスに引き継がれた路線=が、市電廃止から45年半を経て、ついに消える、というわけです。


後ろに見える建物が長生園。
こちらは乗車専用、反対側のバス停は降車専用です。

ただ、市電以来の伝統ある北5条線が完全廃止されるわけではなく、4月1日からは、これまで長生園前に向かっていた系統が、地下鉄西28丁目駅前へと向かうようになります。現状、北5条通りを走っている2つの系統は、北5条西20丁目で、長生園前行きと琴似営業所前行きに分かれていますが、北5条を直進するほう(琴似営業所前行き)は、北5条西20丁目の次が北5条西24丁目で、その先で旧5号線方向に曲がらずに直進したら、地下鉄西28丁目駅まではわずかに400メートル。

西28丁目駅から札幌駅へ行こうと思うと、地下鉄東西線に乗って大通駅で南北線に乗り換えなきゃいけない、という現状を考えると、長生園前系統を西28丁目駅方面へ振り向けるのは、たとえ1時間に1本であっても、リーズナブルです(そして、これによって、現在は系統ごとに場所が異なる20丁目のバス停も、1箇所に統合されることになるのでしょう)。

こういう話は図示しながら説明すれば簡単なのですが、図を作るのが面倒なもので、すみません。

ほんの一時期、発寒のイオンと札幌駅の間の系統が、北5条経由だったことがあったんですが、わかりにくいということなのか、すぐ、やめちゃいました。北5条経由の新しいルートってことになると、あれ以来になるんですかね。あの辺は、東西線からはちょっと離れていて、もうちょっとバスの本数があってもいいような気もするんですが(北1条には小樽行きの高速バスも含めると1時間に10本以上も走っているのに)、そうなると北1条のバスの一部を北5条経由にすることになって、そうなったら…うーん…やっぱり、わかりにくいか…

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真夜中のコンビニパフェ

こんな夜中に、オレは何をやっているのだ。



時節柄、とても忙しいです(もうちょっとだけ、ね)。でも、歓迎会はどっちでもいいけど送別会はちゃんとやれ、というのは、まだまだバブルの余韻だらけだった社会人1年目に教わったことなので、4月から新天地へと旅立つ仲間の内輪的送別会に、二次会から、どうにか参加して、しかしみなさんやっぱり3月末を目前にして大変な状況ではあるので、23時前にはお開きにして帰ってきたんだけど、セブンイレブンに寄っちゃってこんなもの買っちゃって、甘いもの食べるならコーヒーだよねってことで京太郎カップ出してきて、ついでに103系も並べてみました、というのが、上の写真であります。

そんな二次会の会場で聞こえてきたのがこれ(YouTube)でありまして、ぼくより一回りも上のおじさん(若者からみるとおじいさんなのか?)が「うわぁ、懐かしいなあ…」と呟き、ぼくの隣にいた主役のおじさん(ぼくより年下ですけど)は「いつどこで聞いたかわかんないけどしょっちゅう聞いてたよね」。

ちなみに上の103系、スカイブルーの方向幕は「磯子」、オレンジバーミリオンは「高尾」、ウグイスは「山手線」です。スカイブルーは、オレ的には、「大宮」か「南浦和」か「東十条」だな。
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先輩に続け!

北海道新幹線の開業からちょうど一年の昨日、テレビ北海道「マチュアライフ北海道」では、北海道新幹線開業一年特別企画と銘打ち、『函館・道南鉄道ものがたり ―SLから新幹線まで』の著者である原田さんの半生が紹介されました。



余計なBGMや必要以上に煽り立てる字幕がない、ラジオ深夜便的な落ち着きがありがたく、楽しく、かつ、感銘を受けつつ、拝見いたしました。終わったとき、テレビの前で、拍手しちゃったもんね。



この番組は、ミドルからシニア世代のチャレンジを紹介する番組ってことで、退職後の第二の人生とか言われると、あー、定年退職のない世界に生きてるオレには関係ないね、と思っちゃって、もしかするとどこかに反発も生まれちゃったりするかもしれないんだけど、退職して余生を云々、って感じのエピソードはまったく出てこなかったのも、よかったです。

趣味を活かして云々というのも、これまたよくある切り取り方なんですが、趣味を活かして好きなことをやって楽しく過ごしてます、っていう紹介の仕方がまったくなかったのも、よかったです。そうじゃなくて、長年にわたって趣味として接してきた鉄道を、これからの時代にこういう形で役立てていきたい、という想いが、すごくよく伝わってきました。本当に、いい番組でした。



土曜日の深夜27時(つぎの日曜日の午前3時)から再放送もあるようです。

同じ昨日、北海道新聞の3面には、こんな記事が。



お二人に共通しているのは、子供の頃からの鉄道好きなれど、一度は、(趣味 or 仕事としての)鉄道から離れていることです。でも、お二人とも、40代になってから鉄道への関心や関わりが復活して、それぞれ60代、50代になられてから、それまでのご経験を活かしながら、鉄道を通じた社会貢献(というとご本人がたは「そんな大げさなことじゃないよ」とおっしゃるでしょうけど)に取り組まれている。

経験を活かす、趣味を活かすというのは、そういうことなのだろうと思います。自分が撮りためた写真の個展を開くのも構わないけど、ぼくは、こういうのが、素敵な大人の姿なのだと思います。社会でもまれる中で培ってきた経験や人脈と、自分がこつこつとやってきた趣味の分野を掛け合わせて、それをビジネスとしてまわる仕組みにする、そして多くの人を笑顔にする仕掛けを作る。

きわめて個人的な話になりますが、この一年、会計年度的にいうとまもなく終わる今年度は、鉄道に関わる仕事に携わる機会をいただいて、正直いえば(楽しいことばかりじゃなかろうというのは覚悟していたんですけど、それでも)大変なことのほうがはるかに多かったんですけど、そんな中で、お二人には、とてもお世話になりました(もちろん、それ以外の、多くの方々にも)。こうして諸先輩がたが活躍されておられるのを見ると、ぼくなんかまだまだです。やらなきゃいけないことも、やれることも、まだまだ、たくさんあります。

★マチュアライフ北海道で紹介されていた赤電保存会は、現在、会員を募集中です。

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※写真は合成です。

本日、北海道新幹線開業からちょうど1年。

北海道新聞の1面トップは、こんな記事でした。



「道新幹線」なる表記は何度見ても慣れませんが、それはともかく、マスコミ的にはこうやって開業1年だから云々という報道をするのでしょうが、札幌にいると、ピンときません。札幌ですらそうなのだから、道北や道東では、まるで他人事なんだろうなと思います。

まあまあ、そんなこと言わないで。



ってことで、たとえばこれは札幌駅でちょっと前にもらった使い捨てカイロ。JR東日本盛岡支社のロゴが入っているのは、札幌駅でやっていたのが、東北地方をPRするイベントだったからです。

北海道新聞には、新聞の縦横を無視した大胆な全面広告も載ってます。



すっかりおなじみとなった、JR貨物北海道支社の広告です。



すれちがいの
毎日だけど。

人と物。
運ぶものもちがう。
あなたは旅客。
わたしは物流。
線路の幅も、
速さもちがう。

でも、
同じ道を歩んでる。

それは決められた
レールだけど、
未来の北海道を
つくる道だと
信じてる。

今日で一歳の
北海道新幹線、
おめでとう。

いつも、
すれ違いの
毎日だけど、
いつも、
ありがとう。

という言葉が上に並んでいて、左下には「新幹線と貨物列車 青函共用走行 祝1周年」のロゴ、その下には(もはやおなじみ)「人以外、運べるすべてを。 JR貨物 北海道支社」の文字。

右下のJRマークの上には、小さな文字で「※青函トンネル周辺は北海道新幹線と貨物列車の共用区間。同じ線路を走るのは全国でここだけのことです。※写真は合成です」と書いてあります。

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落石と郵便局と魚つき保安林

「北の国から」DVDマガジンの第2号の巻頭は中嶋朋子さんのインタビュー。「スペシャル版の8作品のなかで一番印象的なシーンは?」との問いに、蛍ちゃんは「落石(『'95秘密』)かな」と答えています(落石=「おちいし」と読みます<地名です)。

これはこのブログで何度も書いていることですが、「北の国から」の全作品を通してぼくがいちばん好きなのは、「'95秘密」の終盤、シュウが純に書いた手紙を読んで純が「山部山麓デパートに行こう」と言う場面です。そんなに好きなのに、その場面と落石が同じ話の中に収まっているという印象があまりなくて、といっても、もちろん蛍が落石に行くのはよく知っていて、なんといっても、「'95秘密」の放送後に、ぼく、わざわざレンタカーで落石行って、ロケ地めぐりみたいなことをしてるのですね。

ロケ地めぐり「みたいな」、というのは、当時はまだインターネット黎明期、情報が限られていて、ロケ地マップなんてのはなかったから、きっとここだろうって感じで、バス停探したり、あちこち、レンタカーでまわったのでした。

それはこのときだったのだろうか?

中標津ユースホステルのスタンプ

落石はそのときが初めてではなく、それまでに、何度か行ってます…と書きながら、やっぱりへんなヤツだなあと(自分のことなんですけど)思うのは、落石なんて、何度も行くところではないですわね。

落石で思い出すのは、まだ旅行貯金をやっていた頃、乗っていた列車がたまたま落石駅でしばらく停車するというので駅前に出て、駅の真正面にあったお店で「この近くに郵便局ありますか?」と尋ねたときのこと。「ありますよ」「どのくらいですか?」「2キロぐらいだね」…おいおい、それは近くないだろっ!と思うのは、東京(本当は埼玉)から来た旅行者だからであって、その当時(30年ぐらい前)にして、すでに、この地域では、日常の足は自動車だったってことなのでしょう。

そして、魚つき保安林、です。

浜中ユースに連泊していたとき、落石岬はいいぞ〜と言われて、そのときに泊まり合わせていたホステラーさんたちと、浜中から落石まで列車に乗って(ということができたのは当時ユースに泊まって旅していた人は男女を問わずみんな北海道ワイド周遊券を持っていたからなのですね)、いま思うとけっこうな距離のはずなんだけど、落石駅から落石岬まで、歩いていったのでした。このときのメンバーとはその後しばらく付き合いが続いたぐらいに楽しかったのですが(東京に帰ってからみんなでハイキングか何かに行ったような気もする)、それはさておき、このとき初めて目にしたのが「魚つき保安林」の看板でした。「これ、何だろう?」と言ったら、Tクン(彼とはいまだに年賀状のやり取りがある)が「種村さんの本に出てませんでしたっけ?」と応じ、ぼくは、はたして読者なのかと考えさせられてしまったのでした。

浜中ユースホステルのスタンプ

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こんどの日曜日、午前11時放送です

原田さんの著書

 

北海道新幹線の開業からちょうど1年になる3月26日日曜日、午前11時から、テレビ北海道(TVh)の番組に、お世話になっている原田さんが登場します。


番組ホームページから→《次回のマチュアライフ北海道は、 鉄道ファンとして長年の夢であった新幹線での列島横断を実現させた原田さんを紹介します。…(中略)…父のカメラで、汽車を夢中で追いかけていた頃から半世紀。 今も、近所にある、お気に入りの踏切でシャッターチャンスを待ったり、 世代を超えた仲間と集まっては、鉄道のイベントづくりにアイディアを練ったり。 少年の頃のまま気持ちで鉄道を追いかける原田さんに密着しました》

 

みなさま、ぜひ、ご覧ください。

 

 

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春なんてまだ来ない

今朝のフェイスブックの使い回しみたいな写真ですが、アーカイブ的に、今朝の大通公園です。

大通公園の雪景色

朝、カーテンを開けて、おお、降ったんだな〜とは思ったけど、ものすごくびっくりってことでもなくて、たしかに、先週あたりから、市内を歩くだけなら冬靴がむしろおかしいぐらいのノー積雪になっていたんだけど、これが4月の下旬だったらビックリするんだけど(といっても4月の下旬でも降るときは降るんだけど)、今日はまだ3月23日なのですから、このぐらいの雪は、想定の範囲内でしょう。

こんなに降っても、うへ〜ってことにはならないのは、こういう雪が降ればもうすぐ春ですねってことがわかっているからで、どっかでドカッと降らないと、こっちも(まだ降るんじゃないかと)落ち着かない。もう、ベースの気温が高くなっているから、これがそのまま凍ることも、ないでしょう。

これが今シーズン最後の冬の抵抗。春はすぐそこです。
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放送開始35周年記念

格安価格で大量陳列されていた第1号はともかく、第2号も買ってしまうと、これはもう、最後まで付き合わなきゃいけない。

北の国からDVDマガジン

放送開始35周年記念、と、さらっと書いてますが、ぼくはその35年前を知っているから「ああ、もうそんなになるんだ」と思うぐらいですけど、放送開始のさらに35年前というのは昭和21年、終戦直後なのですね。そう考えると、35年というのは、ものすごく長い時間です。

それで、ひさしぶりに、最初の、布部駅に降り立つシーンを見たんですけど、平成29年に見ると、昭和56年の東京から見た北海道は、ものすごく遠い場所だったんだなあと、あらためて、思います。種村直樹さんが、自身の学生時代の北海道旅行を振り返るときに、よく「当時の北海道は今の海外旅行よりも遠かった」といったことを書いていたのは、こういう感覚を言葉にしたらそうなるってことだったのかもしれません。

そして、純と蛍が、とにかくめんこくて仕方がない…のは、自分がトシを取ったせいなんだろうな。

北の国から JRオレンジカード
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なぜファンクラブなのか

数えてみたらこの25年の間に5回の引っ越しをしているのですが、この冊子は、その間ずっと、すぐに手の届く場所に置かれ続けていました。

夢の国霧多布湿原 湿原に寄せられた千通の手紙

ISBNコードどころか値段も付いていないこの冊子は、奥付によると1989年9月26日に発行されています。たぶん、その年の11月に道東ぐるっとひと回りしたときに、いただいたのでしょう。きわめて個人的な話をすると、1989年というのは3月の下旬まで小清水ユースでヘルパーをやった後、浜中ユースでホステラーなのにミーティングを仕切らされたりしていた年で(ペアレントさんが夜に外出せざるを得ない用事があって「オークマくん、うちのミーティング全部わかってるだろうから、同じようにやっておいて」と言われたのでした)、浜中ユースに連泊している間は、当時の霧多布湿原ファンクラブの事務局が置かれていた「コーヒーハウスてんぼうだい」に、よく、行ってました。

この冊子の最後のほうに、霧多布湿原ファンクラブの発足の経緯がまとめられています。

《★ファンクラブという名前ですが、普通ですと「霧多布湿原を守る会」というような名称をつけると思うのですが。☆これはひとつの試みなんですが、できれば「霧多布湿原ファンクラブ」は、文字どうりの「ファンクラブ」になれたらいいなと、思っているんです。ファンクラブが呼びかけているのは、「開発反対」という声ではなくて、「残すの賛成」という声です。これは同じようですが、実はだいぶ違います。つまり「反対運動ではなくて賛成運動」なんです。「好き」、だから「いつまでもそのままで」という、いわばラブコール、プロポーズの声を寄せてもらっているわけです。》

たまたま、ある場所で、霧多布の運動の話が出たもので、この冊子を本棚から引っ張り出して(といってもすぐに取り出せるところに並べてあったというのはいつかこういう日が来ることを無意識的に予感していたからなのかも)、なるほどな〜、勉強になるな〜と、ぱらぱらと眺めている早春の夜、なのでありました。
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