熊式。

大熊一精(おおくま・いっせい)の日々あれこれです。
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トド島がいっぱい

そうだ東京に住んでいた頃はこのぐらいの時期に夏休みをとって北海道(というか礼文島)を訪れていたことが多かったんだよな…と思って調べてみたら、22年前の今日は、礼文島のさらに北にある無人島「トド島」(漢字で書くと海馬島)に行っていたのでした。

とど島上陸の認定証

当時の礼文島船泊ユース・ホステル(現在は内装や業態を変えて民宿海憧として営業中)にはトド島探検ツアーという体験型観光メニューがあって(と書きながら気づきましたが当時はそんな言葉はなかったんだけどあの頃のユースでやってた「ツアー」なるものは現在の体験型観光そのものでありますよね)、漁師さんに頼んで漁船に乗せてもらって(あんまり好きじゃない表現を使うと「漁船をチャーターして」)周囲4キロの無人島であるトド島に渡してもらい、トド島でバーベキューをやって帰ってくるという一日コースが船泊ユースの名物の一つでありました。

漁船を頼むだけならお金を払えばなんとかなるのかもしれないけれど、このツアーが素晴らしかったのは、漁船の船底に、われわれ専用の特製大鉄板が積まれていたことでした。バーベキューセットなんてものは持参せずに、薪こそ持っていくものの(かつては前日の薪割りからやってたこともありましたねえ)、トド島の海岸で大きな石を集めて竈をつくり、焚き付けに流木を拾ってきて火を起こすまでが一苦労。

トド島は現在は無人島で(かつては夏の間だけ漁師さんが暮らしていたそうですがそれはぼくですらまったく知らないようなかつての時代のこと)、周囲はゴツゴツした岩だから、船を着けるのが難しく、少しでも波があれば船が壊れちゃうから、行きたいと思っても凪のときにしか行けなくて、ぼくは4日間待って5日目にようやく行けたという経験もしたことがあるのですが、上の写真にあるように、といってもわかんないと思うんで説明すると、上の写真(の中のさらに上の部分)にあるカードはトド島探検ツアーに参加した人だけがもらえる認定証でして、これを見ると、22年前は、今日がその年(個人的に)3度目のトド島だったようで、しかも、20日と21日は、連続して行ってるんだなあ。7月18日に行って、19日はお休みして、20日、21日と行けば、仮に22日にトド島に行く漁船が出ていたとしても、さすがに、行かないよなあ。

その辺の記憶はもうまったくないんだけど、22日も泊まっている(というのは上の写真の下の部分にあるユース・ホステルのスタンプでわかる)ということは、22日にも、条件さえ整っていれば、トド島に行けたわけで、しかし、行かないよなあ。

トド島探検ツアーは、一般的な観光では行かれない無人島に上陸して美しい風景を堪能できるという楽しみもあるんだろうけれど、それ以上に、たまたまユースで泊まり合わせた人たちと、みんなでわいわいバーベキューをやるという楽しみが大きかった、のですが、それゆえに、メンバーがいまいちだと、つまんなかったりして、でも、それもまた、人生と同じで、いろんな巡り合わせがあるわけで、そうやって考えると、やっぱり若いときにはたくさん旅をしておくべきだなあと、あらためて、思う次第であります。
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第64回さっぽろ夏まつり(大通公園のビアガーデン)は本日から

毎年のことではありますが、大通公園の5丁目から11丁目まで、長さにして1km以上、1万席以上のビアガーデンは、壮観です。初日の今日は、ほどよい暑さの曇天とあってか、夕方、まだ17時にならないうちから(たまたますぐそばを通ったのですが)、けっこうな賑わいになってました。お酒の飲めないぼくでも、座って飲みたくなったほど、楽しげな空気でありました。



こういうのがすぐ近くにある札幌は、やっぱり、いい街です。


 
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『日本男子♂余れるところ』高橋秀実

本の表紙

まずは「序章」の、ごく一部を、ご紹介:
《イザナキは自らの男根を「成り成りて成り余れる処」と呼んだ。肉体が形づくられていって余った部分がすなわち男根。参考までに、本居宣長はこれを「ふくれ出て身の外に贅るが如くなるを詔へり」(『古事記伝(1)岩波文庫 1940年)と解釈していた。餅にたとえると、焼いた時にぷくっと外にこぼれ出る部分なのだ。
 確かに余っている。
 私はズボンの膨らみを見つめた。》

うまいなあ。

表題の「余れるところ」とは、すなわち、そういうことです。平均8.3センチの謎。医学的なテーマになるのかと思いきや、民俗学的なほうへと進み、そうかと思うと、第6章は「絶頂巡礼」、すなわち、女性の話になったりする。ちなみに、序章は「仏説男根」、第1章は「包皮前進」で、ちょっと飛ばして第4章が「男色交換」。そっち方面の趣味のない者にとっては気持ち悪かったり、読んでいるだけで痛くなってきたりむず痒くなってきたり、なんだけど、そこを、下品にならずに、しかし高尚にもせずに、体を張って表現するあたりは、さすが高橋秀実さんならではの匠の技です。

ラストがいいんです。ネタバレになるから書かないけど、最後のページは、最後まで見ないで、最初から読んでいくと、最後の最後に、幸せな気持ちになれます。

いいじゃないの、興味本位だって。

 
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暑かったり寒かったり

この週末はJリーグがお休み、個人的行事も何もなかったので、東京へ行ってきましたら、やっぱり、暑いんですね。札幌にいて、連日、暑い暑いと言っていたけれど、札幌のほうがずっと楽です、って、当たり前のこと言ってますけど、札幌だと気温は高くても湿度が低いから云々、ということは理屈の話で、札幌の住宅はクーラーがないうえに室内に熱がこもるようにできているから(そうなっていないと冬は寒くてたまらない)、夜になって外気温が下がっても室内は暑い、その室内の熱気をいかに抜くかというのがまた難しい課題で、ゆえに気温のわりには寝苦しくて寝不足が蓄積されていく…という点でいうと、東京はいまやクーラーのない家庭は少数派でしょうから(ぼくが子供の頃は=埼玉県民でしたが=むしろクーラーのない家のほうが多かったはずで電車に乗るときも屋根の上にクーラーを積んだ車両が来ると「冷房車だ、ラッキー」ってな感じでした)、睡眠に関しては、札幌の住宅よりもすっと眠れて、楽だろう…と思ってましたけど、実際、その点は楽なんですけど、昼間も夜も空気はやっぱり重くて、せっかく(ひさしぶりに)東京まで行ったのだからあちこち行けばいいものを、結局、ほとんど外出することなく、往路に至っては自宅(札幌)から目的地(東京)まで、一度も電車に乗らないという、鉄道愛好家にはあるまじき行動をとってしまったのでした(電車には乗らなかったけど気動車には乗った、という話ではなく、バスと飛行機しか乗らなかった、という意味です)。

いまやどこにいようとも、テレビや新聞といった媒体よりも局所的かつ具体的な「何が起きているか」情報がSNSで取れてしまう時代でありますので(と書いてから思ったけどふだんの会話で「SNS」なんて言葉は使わないわな)、東京にいる間に、札幌では集中豪雨らしきものがあったとか、それで一気に涼しくなったとかは(なんとなく)知っていたのですが、実際に夜遅くに帰ってきたら、やっぱりひんやりしていて(半袖だとちょっと寒く感じたほど)、昨夜は寝る前から窓を閉め切っていても眠れました(それは睡眠不足が蓄積しているからでもあるんですけど)。そして今朝は、窓を開けたら、涼しいを通り越えて、寒い。

よく考えてみれば、1ヶ月後には、もう、世間的なお盆休みも終わりかけて、季節は秋に向かっているんですねえ。

よいたびを と 書いてあるエアドゥの機内への入口
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道みんの日と松浦武四郎

今日7月17日は、今年から「北海道みんなの日」、愛称「道みんの日」。

ぼくは小学校まで埼玉県で中学校からは東京都で、子供の頃から11月14日の(埼玉)県民の日や10月1日の都民の日(かっぱのバッジの日)が身近にあったから、大人になるまで、都道府県民の日というのは各都道府県にみんなあるものだと思ってました。

佐江衆一著『北海道人 松浦武四郎』(新人物往来社)は、1999年10月15日第一刷発行。

本の表紙 北海道人 松浦武四郎

この本の終盤(306ページ)に、本日の日付である7月17日が登場します。

《七月八日、太政官の官制改革とともに開拓使が新設されると、武四郎は十七日、
 −道名の義につき意見書
 を政府に提出した。
 この意見書の中で、六つの名をあげた。
 北加伊道(ほっかいどう)、海北道、海島道、東北道、日高見道、千島道である。
 (中略)
 アイヌ語で「アイヌ」は「人間」の意であるから、武四郎の名づけた「北加伊道」は「北のアイヌ(人間)の国」という意味である。
 明治政府がどのような理由で選んだか詳らかではないが、結局、この「北加伊道」が採用され、「加伊」を「海」の字に改めて、蝦夷地は、
 −北海道
 と命名された。くしくも、武四郎の雅号の「北海道人」と合致した結果となった。
 二十七歳での初航以来、アイヌの現状を深く憂い、おのれの生涯を恵みゆたかな蝦夷地と共に生きると自負して、
 −憂北生、北海道人
 と号してから二十有余年、身命を賭して蝦夷地のほとんどを足心に踏みしめて五十二歳になった武四郎である。》

 

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埼玉みやげ

タオルハンカチ

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「鉄道の街」音威子府 鉄道、必要ですか?

音威子府村の広報誌の最新号(2017年7月号)は「『鉄道の街』音威子府 鉄道、必要ですか?」と題した特集記事を、5ページにわたって掲載しています。

鉄道の街、音威子府。宗谷本線開通から今まで
北海道の鉄道の現状
これからの鉄路のあり方は… 互いに支えあうマイレール

といった見出しで、宗谷本線や北海道の鉄道の現状などが、わかりやすく、しかし、静かに熱く、綴られています。ありがたいことに、いまの時代は、こうしたものもネットで読めますので、ご一読を強くお勧めします。

音威子府そばの包み紙

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たったの40日前

今週末のお出かけで、先月買ってきた礼文島みやげは、在庫一掃(の予定)。

宝うに、おぼろ昆布

船泊マリンストアーで買いました。

マリンストアーの入口

礼文島に行ったけどマラソン大会は中止でラーメン食べただけで帰ってきた、という話は(ぼくが往路で乗った船が欠航前の最後の便で復路で乗った便は運航再開後の最初の便だったという話も含めて)ネタにしやすくて(だからよかったということではない<やっぱりフラワーマラソン走りたかったよ〜)、今回もきっとそういう話をするんだろうな…と、ぼんやり考えていたら、思い出しました。

あのとき、礼文島は、寒かったのです。

ストーブ

あれから、まだ、1ヶ月半なのだ。このところずっと、どうしようもないほど暑くて、昼間は直射日光を避けても暑いんだけど、先月、礼文島に行ったときは、ストーブなしでは過ごせなかった。

夏なのだから、寒いよりは、暑いほうがいい、ってことにしておこう。

かいどう下の道路
 
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夏はTシャツ

連日、暑い日が続いております。毎年、こういう日が来るたびに、来年はエアコンの付けられる家に引っ越そうと思うのですが、夏が終わればすっかり忘れてしまいます。毎年、同じようなことを言ってますが、札幌ではクーラーが付いている一般住宅というのはけっして多くはなく、かたやで冬の対策として気密性は高いから、同じ気温30度でも関東地方の30度とは感覚が異なるわけです。

でも、そんなこと言い出したら、キリがないですね。そんなもの比較しても仕方がない。それぞれの事情を斟酌して、遠く離れた場所に住んでいる人に対しても、お互いを思いやることを忘れないことが大事です。

そんな暑い夏、北海道の(短い)夏には、Tシャツです。

Tシャツ前面 胸にワンポイント

ちょうど30年前に作ったTシャツ。

Tシャツ背中側 背中に大きく北海道の形と文字

今はこういうのもネットで注文してネットで決済できちゃいますが、この頃は、お店に行って、こんなふうにやってください、色はこれで、素材はこれで、などなど、お店の人とやり取りをして、作ってました。その後、注文してくれた人に、一つ一つ発送するところまで考えると、あんまり割のいい商売ではなかったかもしれない(商売だったのか?)。でも、人生の中でもっとも時間があり余っている時期だったから、それでよかったんだ。

胸ワンポイントのアップ

今だったら、北方四島がないだの、離島がないだの、ごちゃごちゃ言いそうだな(言われそうだ、ではなく、自分が言いそうだ)。いま思えば、当時は北海道のことなんてほとんど知らなかったのに(当時の自分は何度か旅行してよく知ってるつもりだったんだけど)、よくこんなイベントやったなあ。

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